自由な学校「おっきなおうち」通信 親御さんたち トップページへ(フリースクール情報など)
 自由な学校のことをもっとよく知りたい、そしてその思いをもっとわかちあいたい、そんな思いからおっきなおうち通信はスタートしました。ちなみに「おっきなおうち」とは小学校の校舎の通称です。
おっきなおうち通信5号より
「元気でいるということ」
プー(仲本桂子・自由な学校スタッフ)
アメリカでフリースクールを営むパットさんは言った。 

「信頼するのがお仕事だ。」尊い言葉だなーと思った。今も時々かみしめる。10年たって、今「私の仕事はなんだろー?」と、今の自分に問いかける・・・?「元気でいること!」か・・・?! 

そう!「私が私でいて、そして元気でいること!」だ。

TOECの沖縄無人島キャンプを18年間共に創ってきた古波蔵さんは今大腸ガンと共に居る。 おそらく相当病んでいるはずなのに電話をとるその声はいつもと変わりが無い。「また、3キロやせてねー、もう別人だよ・・・」と笑う。「病院の食事はおいしくない、カロリーばっかり計算して・・・」とグチもこぼす。「ソーキや豚肉、ソーメンチャンプルが食べたい。魚はまた自分で釣って、エビ、カニは姉ちゃんに買っておくように頼んだよ。うまくいけば2、3日で退院して、自分の家で、ぼちぼち料理しながらゆっくり食べるさー」とつづく。 医者は体力も落ちて抗ガン剤も打てないでいるというのに・・・だ。元気とは一体なんだろー?「おいしいものを食べたい」という意欲や迫力はダイレクトに響いてきた。「やりたいことをやる」ということは真に命をも輝かす、美しく重みのあることなのだ。

10月6・7日小神子(こみこ)(海辺)でのキャンプ〜

 自分のテントを立ておえた千夏(3年生)が「何かすることない?」と近づいてくる。

「んー?!何しよーかねー。」2人でポソポソ・・・。キャンプで使うキッチンをゴソゴソ作りながら「ここが料理するところで・・・ここが・・・」「ようするにリビングね!」となにやらひらめいた様子の千夏。両手いっぱいに小石(砂利)を抱えて帰ってきた。ツラツラツラーっと指の間から小石を落とし、線をかく。「?」と思ったら、何やらその四角のわくは玄関だった。「ここから入ることにしよー!」とニッコリ。「あー、いーねー!!」と私。他のみんなをまきこんで狭いだの、もう1つ作ろーだの…わいわいやっている。一枚のブルーシートは中央に立派なクヌギの木を抱えた中庭つきの心地良いリビングへとどんどん創られていった。それが発展し、みとのぬいぐるみのキツネ(コン太)のテントを建てよーだの、横にはベンチがいる、畑に種まこー、花咲かせの、木植えただの、次々とオブジェが立ち並ぶ。みづきや創太も負けじと男のテントの周りで始めた。千夏は言う「プー、これってごっこやけど、本物のごっこやな!」訳のわからぬ日本語だけど、私たちはお互いを理解し合った。まさに「美しい時間」。これが、想像力であり、働く喜びであり、優しさであり、強さだと思う。  

 たまたまなのだが、自学キャンプに続き、2泊3日の山キャンプにも参加した創太(2年)は、さすがに今朝はヘロヘロの顔でやってきた。ヘロヘロをやりきり、ミーティングでお話をし、静かな時間には文字通り静かに1冊の本(おおきなポケット)を読みきり、「おもしろいよ!」と皆に分け与えた。おいしい昼食のコロッケを食べ、紙ヒコーキを飛ばし、トンネルの家作りで遊んで「バイバイまたあしたー」と元気に帰っていった。そう、これが学校だ。        

         

「揺れる」ということ
井上隆子(創太、母)

 学びたいことを、学びたいときに、自分の意志で学ぶ。少し大げさかもしれないが、私は自由な学校をそんな場所だと考えている。特に私にとっては「自らの意志で」というところが重要で、創太には強制されて勉強するのではなく、心の内側からの欲求に応えるために学んで欲しいと願っていた。
 ところが・・・・である。あらゆるフリースクールの常なのかもしれない。母の心は時々揺れるのであった。「学びたいことをちゃんと見つけられるの?」「自らの意志に任せていて大丈夫?」「学ぶ時間というより、ほとんど遊んでいる時間?」子どもを信頼できなくて、どんどん不安になってくるのだ。
 夜学で・・・ペアレンツで・・・スタッフと個別に・・・夫と・・・いろいろ話し合った。私自身も何度も考えた。「学ぶ」ということを。そんな時間を過ごして、ひとつ気がついた。私の不安は私自身の問題なんだということを。私の不安を解消したいから、私の理想通りに自学で学んで欲しい、というのとは違うということ。そう思えると、再び子どもを信頼する力が湧いてきたから不思議だ。

  この夏休み、ある科学館の「遊びながら科学を学ぼう」という企画展に行った。波型レーンの上のどの場所からボールを転がしても、外には飛び出ず中央にボールが集まってくる・・・というようなものだったと思うのだが、創太はそのコーナーにくぎづけ。何回も何十回も、黙々とボールを転がしていたかと思うと「そうか!わかった!外に飛び出さんように、すこーしカーブしとるんよ!」と大きな声。満足げな表情。なんだ、創太は学びたいことを、学びたい時に学ぶ力を、疑問に対する答えを見つける力をちゃんと持っているじゃないかちょっと感動だ。
 
創太は今2年生。これから先も、私の心はまだまだ揺れることがあるだろうなぁ。でも、揺れる余地があることは大切なことなんじゃないかとも思っているのだ。揺れた時には一緒に自学を創っていく子ども達や大人達としっかりその先を見極めればいいのだから。

自学のすすめ
藤井雅代(瑞月、母)

 「題がない、題がない、いくら考えても題がない・・・」原稿に詰まると、決まって思い出すのが、このフレーズ。これは、中1の時、同じクラスの男の子が書いた詩の始まりの部分。各クラスから2人の詩を何かの詩の読本に載せるために出すという。ひとりは、この男の子。そのときの正直な心の動きをかいたもの(だと思う)。いつもおちゃらけていたその子が自分の書いたその詩をみて、とても誇らし気だった。もうひとりは私。何で選ばれたのかわからない。きっと母親が同じ中学校で先生をしていたからだと勝手に思っている。国語の教師だった担任に、こうしたら、あーしたら、といっぱい直され、誰の詩なのかわからなくなった。そんな詩に自分の名前がくっついて載っている。なんともいえない居心地の悪さ、消えてしまいたい気分だった。学級歌の作曲においてもそう。音楽の先生に頼まれ、プレッシャーを感じながらも一生懸命に創っていった。いざ、配られたものをみてみると、音もリズムもまるっきり違うものに。それなのに、名前だけは私。今度はその伴奏を考えてこいと。もう、何が自分なのかわからない。自分がどうしたいのか、どうしたくないのか、そんなことはすでに私の中でどうでもいいことだった。     
  自分が誰かのご期待に応えるような振る舞いをしているなあと、本当に気がついたのは、実はつい最近のこと。とてもおどろいた。もうとっくにそんなこと知ってるよと思ってたから。今、やっと、そういえばずっとこんなふうに感じてたんだ、というのをていねいにみはじめたところ。

 自学を卒業し、現在中1の葉月。この半年の間に、心も身体もまた一段と成長した。それはもう見事なまでに。ひとつの「作品」と言ってもいい。自学での6年間、常に自分の空気とともに生きてきた葉月。私が必死で手に入れようとしているものをすでにこの歳でもっている。というより、失くしていないというべきか。「自由な学校に6年間通わせた」これだけでもう充分親のつとめは果たした。あとはお好きなように!

美杜が入学して
佐藤紀代美(美杜、母)

「お父さんと川に行くより、自学が楽しい!」「土日に熱出して、自学は絶対休まん!」美杜が自学にゾッコン!!だ。
  はじめ、「子ども達は自学に入れる」と夫が言ったときに「友達が少ないんじゃぁ?勉強は?」と思っていたので私は入れることに「?」だった。「それを超えるものがある!」と言われ、「そうだ」と納得しての入学だった。半年たって、この美杜の言葉・・・。何よりも美杜があんなに幸せそうに通っている。それだけで、ひとまず大満足。
 一学期の終わり、「美杜の活動の様子」をもらった。
  「友達がやりたいことに合わせていて、美杜自身のやりたいことができているか少し気になることが何度かありました。でも美杜と関わっていくうちに、困っている誰かを助けたり、友達と遊ぶことが美杜のやりたいことなんだと感じました。とても自然で、水が流れているように関わり、雰囲気がとても良くなります。」(デコポン)
 なんて優しく、温かく見守られているのでしょう!涙が出ました。
 子ども達と居る時のデコポンの優しい声を聞くにつけ、プーさんと楽しそうに遊んでいる美杜を見るにつけ、美杜は幸せ者だなと思う。美杜が家族以外の世界と出会うその第1歩目(第2歩?)が、温かい場所でよかった。

最近、私が怒りのあまり家を飛び出したことがある。(1,2分ですよ・・って言い訳ですが。)帰ってきた私に美杜は「どんなに心配したか分かってる?」って。自分の気持ちをこんな風に言えるなんて。(TOECでよくいうIメッセージですね)これって自学でそんな風に関わってもらっているから言えるんでしょうね。どんどん美杜は私を超えていくんだなぁ。とっくに追い越されているけれど!

今の心配といえば、美杜は毎朝30分の「静かな時間」(お勉強タイム)がキライらしい。「早く遊びたいから」たった30分なのに・・・と思うけれど、その30分のために、勉強嫌いになってしまったら・・。でも今晩美杜は漢字のお勉強をしていた。「月、火、水・・」「海っていう漢字が本に載ってないから教えて」と言う。習う順番バラバラだけど・・と思いながら、教える。これを「自学」というのね。今のところは勉強嫌いにはなっていないみたい・・ホッとする母でした。

穂高の入学
米田悦子(穂高、母)
 穂高が「毎日たのしい」という。幼児フリースクールから自由な学校(以下自学)に進学した時、何ともいえない"すっぽりおさまった感じ″をただよわせ、いそいそと学校へ通う姿。そしてそれがなお今も続いてかつ深まりを感じさせていること。
端から見ていてなんだか充実しているんだなぁ、とっても。
 入学する前、親子で自学を希望していたもののその他、人的経済的障壁のため、たくさんの話し合いがもたれた。その間自分の身を案じる穂高の不安はどれ程のものだったか。それが入学後のスッポリ感に如実に現れたなと私は感じていた。だけどそれってすごく私的な一面にすぎなかったと思う。ほなって。
 最近穂高に「自学どう?」って聞いたら、「最初入って(入学して)ごはん食べる時、プーさんに(ごはんorおかずを)入れてもらって幸せ」だってサ。(それって春の話でしょ?!)。なるほどもじもじ一年生の穂高が困っている時、何気なく手を差しのべてくれたプーさんの愛がしょっぱなすでに穂高と自学の距離をぐっと縮めていたって訳ネ。それだけじゃない、スタッフと穂高のやりとりのひとつひとつがちゃんとつむがれているんよな。原因はともあれ穂高の「毎日楽しい」が私もうれしいし、いや実にうらやましい。
 ところで穂高曰く、「『さんすう』」はむずかしいから、パッと終わらせて、寝転ぶ。悦子「へぇーそう」パッと終わっているかいないかは私には見えないけれど(大いに凝っている悦子)パッと終わらせることができると穂高が感じていることにガク然とする。自学なんだなァ。
 今、幼稚園教諭の資格試験で少ない時間ながら勉強する中で、なぜか中学校の校訓が思い出されて頭から離れない。「自主・協和・勤労」ムズカシイ言葉だけど、今頃になっていい校訓だなぁと思う。(ご多聞にもれず、我らが南中にそれが十分にあったとはいい難い・・・)そして、そのどれもが高々とうたわれていないのに、自学にはある、TOECにはある。そのことにまた驚く。
おっきなおうち通信4号より
葉月の卒業
 藤井雅代 (藤井瑞月・葉月、母)
 ちょうどこれを書いている2ヶ月前、葉月は自由な学校を卒業した。まだ2ヶ月なのか。随分経ったように感じる。気持ちが大きく動いたからなあ。やっと、ちょっと自分が疲れていることに気づくゆとりを持てるようになってきたけど、ほんの数日前までは、つん、とつつかれたら、いつでもすぐ泣けます!というくらい気持ちが張りつめていた。もう、いっぱい、いっぱい。なにがって、葉月を応援しすぎて。今日はどうだったかなあと、葉月の帰ったときの顔をみてはホッとする毎日。通常ならば、小学校入学のときに親として経験するであろうことを、きっと今やっているのだ。肝心の葉月はというと、元気にたくましく地元の中学校に通っている。バレー部に入ったので、帰りはほとんど7時過ぎ。あんなに悩んだのに、そんなこともあったなあと思えるくらい、今はすっかりなじんでいる。これも、葉月に声をかけてきてくれたお友達のおかげ。春休みにもたくさんたくさん葉月や私とやりとりしてくれたプーのおかげ。そして葉月のことをいつも気にかけて応援してくれているたくさんの人たちのおかげ。ほんとにほんとにありがたいです。わたしもちょっと頑張って、学校の様子が少しでもわかればと思い、PTAの学年副部長というのになってみた。そのおかげで、先生方とも話せる機会があり、さらに大丈夫だと思えた。話してみないとわからないことってやっぱりある。また、世界が広がった。
 
TOECならではの手づくりの卒業式のなかで、お世話になった人たちに、葉月が「ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。」と言った。用意されていない、葉月の中からでてきたことば。よく聞く言葉なのに、ものすごく感動した。
 
次の日、農園では「おおきくなったねの会」があった。泣いても笑っても自学にいられるのは、この日が最後。6年生たちはやり残したことはないかなと、木に登ったり、水を飲んだり。めいっぱい農園の空気を体にしみこませていた。その様子を嬉しく見守りながらも、4月からどうしたものかと、頭の中ではぐるぐると考えていた。帰ろうとしたとき、葉月が何気に「ママ、はっちゃん那賀川中学校に行くかも知れん」と。もう、ふいうち。胸打たれた。彼女の中で何か昨日までとは違う心の動きがあったのか。あの時の感じは言葉にできない。涙があふれてとまらなかった。葉月の親をやってきてよかったと感じた瞬間。こんな体験をさせてくれてありがとうと思った。大人の思惑をはるかに超えたところで、「こと」は起こり、もうそばで見守る段階にきているのだということを強く感じた。子どもを信頼するって、こういうことなんだと初めて感覚としてわかった気がした。
 6年間、葉月は葉月のペースでやりたいと思ったことをただひたすらやってきた。こちらからは、あえて何も教えようとはしなかった。むしろ、その学年で習うとされていることが、子どもにとって害になる恐れがあるかもしれないとさえ思っていた。「音楽」とか「算数」とかに分類すること、音階を「ドレミ―――」に限定すること(微妙な音もあると思った)、九九を丸暗記すること、漢字の書き順ですら抵抗があった。勿論、子どもがそうしたいといえば、話は別だけど。教科書の類は、一度も開けてないのがほとんどだと思う。まったく不安がなかったかといえば、決してそんなことはなく、頭では大丈夫だと思いながらも、本当にこれでいいのか、よかったのかと、よく揺れもした。そんな中で、中学校生活をとりあえず始めてみた。とりあえず新入生オリエンテーション、とりあえず入学式、という具合に。この「とりあえず」がよかったのかもしれない。中学校での生活は、彼女にとって何もかもが新しい。初めて給食を食べた。テストもあった。葉月の口から「男子」や「女子」、「ハイ(返事)」を聞いたときには、かわいくて思わず笑ってしまった。毎日何かしら新しい葉月に出会える。日を追うごとに、葉月らしさに一層磨きがかかり、会話の中にもますますいい味を出している(と言えば、横からすかさず「いい味って、何味?」とつっこんでくる)。葉月はどこにいても、葉月なんだなあと感じた。そんな葉月も、つい先日、突然39度を越える熱をだした。午前中は元気に部活にも行ったのに。日曜日は予定を取りやめ、久しぶりに家で一日ゆっくりした。こんなにゆっくりしたのは何年ぶりかというくらい、みんなでのんびりだらだらを楽しんだ。 藤井さんち、今までよう頑張ってきたなあーと、しみじみ思った。

6年間TOECで過ごせたことを誇りに思う。6年間たっぷりしっかりやりきったからこその「今」。「次」に向かっていける力があった。たっぷりの時間をかけて葉月が葉月になってゆくそばで、わたしがわたしになってゆけた。葉月のことはわたしの中でとても大きな位置を占めていて、何だかわたしも一緒にすっかり卒業した気分になっていた。ふと横を見ると、みづくんがいた。エヘヘ。まだまだ、つづく・・・である。

 けど、やっぱり葉月の卒業はわたしにとっても何かの「卒業」。そして、「新しい始まり」。

 
スタッフ・プーさんのお話

子どもの「絵」

この前大学生が来て、子ども達が描いた絵を見て「いいねー」と褒めてくれた。「どういうふうにこの絵を描かせたの?」ってきくから一瞬驚いた。「何にも教えたわけではないし、描かせたわけでもないよ」と答えた。例えばこの絵、沖縄旅行の後、魚の辞典をめくっている時「あ、この魚見たね」「僕も見たー!」とわいわい盛り上がって、ふと「じゃあ絵の具で描いてみる?」と聞くと「描く!」となって描き始めた絵です。どちらかというと邪魔しないように心がけている。彼らの、例えばこれを描きたいとみつけた時、本人もわからないけど生まれてくるもの「おーきれいだ!」と思いながらできたものを見せてもらっている感じです。そういうふうに生まれてくるものを表現すると、それがすごくかわいい絵だったり、のびやかだったり、どこかユニークだったり、他の誰にも描けないような絵だったりするわけです。それをただただ感じてる、味わっている、「いいねー」ってそこに関心を寄せているだけなんです。ここ自由な学校で夢中になっている子どもの姿は美しいんです。その美しい時間を保障したい。

子どもの「字」

 ある日筆を持たせたら、いっぱい字を書きたがって、そしたら思いついく字、見たことのある字を書き始める。1年生で習うとか習わないとか関係なくなる。でもその子なりの足跡があって、筆を持つ、筆で書くということを喜び、面白がっている時にちょっとここの払いが違うとか、ここはまちがっているとか言えなくなるんです。
 例えば、習字には左下に名前を書くという書き方があるし、はねやはらい、止めるなどの決まりごとも多い。そういうのもみんな飲み込まれていく。指導しないんじゃなくて、今は言わないでおこうって思うんですよ。伝えたくなる時がきっとくる。タイミングがあるんですよ。もっと大事なものがここにあって、書くことが楽しいだったり、あれこの字ちょっとおかしいと自分で気づいたり、これはうまくできた!と自分で評価する。他人と比べての評価で生きない、自己評価で生きる生き方を学んでいると思うんです。好きな字を自分で思うように書く、字もいっぱい覚え、漢字を覚える。

 また、時には4年生で習う漢字を「全部みんなで書いてみよう!」ってスタッフプランとして私達も提案するし、子ども達も「やろう!」って乗ってきますよ。また、お互いにテストを作りあうっていうことをしたりもする。子どもが子どもに問題を作るのね。容赦なく×とかつけながら、「もっとがんばりましょう!」などとコメントしたりもする。百ます計算などワーッとやったり、思いつくことはそれなりにやるんですよ。子ども達本来の欲求があるんです。子ども達は成長もしたいし、楽しくもやりたい。誰かがやっていることに刺激されてやることもよくあります。大事なことは美しく流れる時間と、常に子ども達が主体的(意欲的)に取り組んでいるか?ということ。
 子どもと同じで、『学び方』を私達も学んでいます。「こんなやり方するとわかるんだね」とか、「こんな風にすると楽しいんだね」とか、逆に「やられるといやな気になる」とか・・・。

おっきなおうち通信3号より
いま、おもうこと
藤井雅代(葉月・瑞月母)

もうすぐ葉月が卒業。これを機に、私の中でも何かひとつ区切りをつけたくなった。
 6年前、葉月が自由な学校(以下自学)に入るとき、「無認可の小学校に入学」という前例がなかったため、手続きにものすごくエネルギーを費やした。学校と教育委員会に何度も足を運び、嫌な思いもいっぱいした。いっぱい怒り、いっぱい泣いた。4年後の瑞月のときは、驚くほど楽だった。(比べれば、だけどね。)ひとつ道がついてると、こんなにも違うものか、それとも気持ちに余裕があったからか・・・。前例がないと言えば、沖縄無人島の大人のキャンプもフリースクールのお母さんの参加は初めてということで、聞いてみたけれど、2回とも割引はなかった。そのあとできた。TOECのお米を分けてほしいと申し出たときも「初めて」だった。ちっちゃなことだけど、そういえばそうだったよなあと思い出した。
 最初の一年、自学は葉月ひとりだけの時期もあり、フリースクール(幼稚園)ともあんまりつながりがなくて、私自身、本当に孤独だった。「世間」に対していつも何かひとりで戦っていた。同じ立場の人がいなくて、あまりにもつらくなって、達郎(自学代表)とプー(自学スタッフ)ししまる(元自学スタッフ)に時間を作ってもらい、気持ちを聞いてもらった。小学校ならではの悩みってあるよね、ということで、2年目から自学のペアレンツグループがスタートした。
 入学から4年半の間は、佐那河内(前に住んでいた所)からの送り迎えだけで精一杯で、自学に対して何か疑問を持ちながらも、スタッフも精一杯やってくれてるし・・・と自分を納得させていた。葉月が5年生のときに今の家に移り住み、送迎に手がかからなくなって、気持ちにゆとりができてきた頃、私自身、自学に魅力を感じていないことに気がついた。このまま葉月を通わせて、6年終わった時に何もなかったらどうしよう・・・、これでいいのか、といっぱい考えた。スタッフの向いている方向にもズレを感じていたので、またまた達郎とプーとでこぽん(自学スタッフ)に時間を作ってもらい、自学をやめてもいい覚悟で話を聞いてもらった。そこで、夜学がうまれた。
 私は物心ついた頃から最近まで、自己評価が思いっきり低かった。自分には価値がない、自分の言うことを真剣に聞いてもらえるわけがない。「そんな私の家族」というだけで、夫や子ども達のこともたいしたことないとさえ思っていた(ごめん、失礼でした)。だけど、こうして振り返ってみると、自分が存在することで、うまれたものがある。動いたものがある。まわりが動いてきたように、私の中でも時間をかけて、何かが動いてきたのだろう。今はちょっと、自分が好き。葉月はよく「はっちゃんって天才やなー」と口にする。このまま自分のことをすごいヤツと思える気持ちを持ち続けてほしい。

 さてさて、葉月がもうすぐ自学を卒業する。その後のことは、まだ決まっていない。本人に聞いても「わからない」と言う。「あと一年」を切った頃、この先のことが急に不安になり、随分いろいろ考えた。本当にこれでよかったのか、自学を進めた自分を責めたり、達郎に中学校もつくってよ、と詰め寄ったりもした。夜学でも何度も話題に出しては、納得できる答えが見つからず、途方に暮れた。どうせみんな他人事でー、とここでもすごく孤独を感じた。きたきた、また「前例がない」だよ。誰かどうにかしてー、とこの通信で呼びかけようかと本気で考えた。「葉月の中学校募集!」と・・・。随分じたばたしたけれど、結局は自分たちで何とかするしかないんだと気がついた。というか、覚悟ができた。応援してくれる仲間もいるしね。不思議なことに年が明けた途端に、「何とかなるさ」と思えた。夫も私も。あとは、残り少ないTOECでの生活を思う存分楽しんでほしい。ここまできたら、もうそれだけです。

達郎さんインタビュー

自然スクールTOEC・幼児フリースクールの誕生

学校という枠組みの外で子どもと関わろうと思ったのがきっかけです。もともと教師になりたいと思っていましたけど、自然の中でやろうとしていたので、教室の中、席についてという学校は直感的に違うなと思いました。授業のやり方や価値観にも疑問があって、学校以外のところで子ども達とキャンピングや大人対象にしたカウンセリングを始めました。(自然スクールTOECスタート1985年)
 アメリカで僕らのやっているキャンプスタイルと同じところがあると、友人が紹介してくれて、カールロジャース(来談者中心療法を創始した臨床心理学者)の理念を基にしたオルタナティブスクールでスタッフと同じようなことをさせてもらうという体験をしました。そこの子ども達が生き生きとしていて、すごく学んでる。で、明日もまた来るよと当たり前に別れていく。今までTOECではキャンプなど継続的にやっていたものの毎日通うというのはなかったんです。それで自分がイメージした学校を作っていけばいいんだと思って、そこにもう少し自然の美しさとか農業だとか、日本の文化を加えるとすばらしいものができるんじゃないかと思って、まずは幼児教育からとTOEC幼児フリースクールをスタート(1990年)しました。

自由な学校週末版

これが何年か続いているうちに、小学校は作らないのかと言われ始めました。でもかなり躊躇がありました。学力の問題、無認可ということでの行政からの圧力もあるでしょう。それで親御さんから週末だけでもやったらと言われ、自由な学校週末版がスタートしました。(1995年)
 いろんな文化を持った場所や、絵や工作、料理などその道のプロに会わせてあげる。その人たちの一流プレーを見せることが人を成長させる一番の動機になるのではないか。一流のプレーや生き方を見て、自分と比較し、それを縮めていく。子どもはそんなよりよき大人になろうとする力を元々持っているのではないかと思います。人に会わせる、その場所に行く、そして固定したカリキュラムにとらわれない、子どもの学ぶ意欲を壊すことのないような学校を作ろう。そのスタートに週末の学校を始めました。

自由な学校

そうこうしているうちに阪神大震災、オウム真理教の問題があって酒鬼薔薇聖斗の事件があったり、世の中では次々と事件が起こっていった。モノや便利さを追いかけた続けた社会や教育の在り方に強烈なメッセージが届いてきたわけです。この期に及んで躊躇するのはいさぎよくない。これは研究会ではなく、実際にフリースクールを実践してきた自分達にもひとつの責任があるのではないか。そのことに勇気を持って手を挙げることは僕らが今できる一番大切なことなんじゃないか。これは僕の運命の道と言うかTOECに来ているスタッフ達の神話というかそこの道は明らかに見えているので、今だというのではじめました。そんなかなり外的な動機も加わっています。(1998年自由な学校通年版スタート)

教育観

従来の教育は産業社会をプッシュするもので、今大きく揺り戻しがきている。教育界のふり幅というのは激しくて、勉強ばかりではなくゆとりも大事だと自由保育ができて、でも知識は使えないとだめというのでまた揺り戻しがきて、しつけは大事、基礎学力は大事、英語も大事、自然体験活動も大事・・・・。あれもこれも大事でわからなくなっているのが今の教育だと思います。子ども達にはダブルメッセージ(相矛盾するメッセージ)で、勉強もがんばりなさいよ、でも勉強ばかりやっていてはだめよ。自由に絵を描きなさい、でもあんまり自由に描いてもだめよ。どうしていいのかわからないというのが今だと思うんですよね。不安になった親は次々とサッカーだ、お絵かきだと教室に通わせて、子ども達はどんどん自由を奪われている。今は学校の休み時間の使い方まで評価されるからみんな仲良く元気よく、一緒にできないような子はダメな子っていう風に親は思わされてくる。実際にうちの子は元気に外で遊べない、本ばかり読んでるという相談も受けたりもします。それのどこが問題なんだと思うけれども、親はすごく悩んでいる。ボクはそこを突き抜けるのが体験学習だと思います。

自由な学校の特徴

・少人数であるということ。
・僕らの意図を超えた自然からの学び。農業とか働くことの価値。金を儲けてくるだけではなく人に貢献する喜びと して本来の労働の意味を学ぶ。
・教師は全部教えるのではなく、人や場所、文化、体験をつなぐ役割。また自らも学ぶ人であるということ。
・これが一番の根幹ですが、その子ども自身の関心や好きという心が起点になっているということ。いくら楽しい授 業をしても、丁寧にもしくは厳しくしつけたとしてもそのことは主体性を奪い、依存心を助長させることになって しまうことがある。人は少々教えなくても意欲があったら学ぼうとします。

 学歴というならおそらく負けると僕は思います。スポーツもいい成績は出せない等、目先の評価では負けると思います。だけど大人がどれだけ否定しようと競争に基づいた消費型の産業社会は終るでしょう。その向こう側のドアは間違いなく開かれているし、そこに大人は目覚めないともう地球も壊れちゃう。物は壊われても回復するけど、人や自然は回復しない。そのことを根っこにした上でないと知育も体育も道徳もないと僕は思います。

夜学

今大人のドリルがバカ売れしている。頭の体操がすごく面白い。僕たちは主体的なことをやりたかったんですよ。強制的にやらされていたから、その時はできたけど身に付いてなくて、やってみたら面白かったんですね。数学的なものの考え方はすごく面白いんですよ。でもそれは後になってできるよとはいっても、中学校でやっていくことはできるのだろうかとか、公立の小学生に比べての学力とかいろいろ心配は出てきます。そのことについてひとつひとつ逃げずに、かといって安易な答えではなくて、親御さんとスタッフが夜集まり、徹底的に議論しています(夜学)。僕を含めギブアップな問題もあります。どこまでいってもパーソナルな問題なんですよ。逆に言うとそのパーソナルな問題にちゃんと受けてたちたいからこういうシステムでやっています。

自由な学校の今

木登りできるけど鉄棒はできない、馬とびはできるけど跳び箱はできなくていいのか。ひとつひとつこれは僕だけじゃなくて親御さんの教育観とか人生観に戻ります。うちに来なかったら多分悩まなくていいことだと思います。それは何か責任を取ってくれそうな、事実とってくれるかどうかは別として、公立の学校には安心感のレールがあるんです。それにも価値があるとは思うんですよ。反社会的なことをやっている気持ちは毛頭ないんで。しかし、産業社会の次の時代をどう生きるか、調和的で、共生というのか、非暴力な社会づくりに貢献できる人間。外側ではなく内側が豊かな人間。本来の心の神話というか「自分自身を生きる」ということをたどっていくならば道をちゃんと見つけたわけではないけれども、こちらの道を親御さんもスタッフも一緒に語ろうとスタートして、今まさにその土俵でスタッフも子ども達も試行錯誤して日々過ごしているわけです。

質疑応答 

Q 定員10名だと同級生がいない可能性がありますよね。いたとしても1人?私は同世代の友達が支えになったので、それが心配です。

A(伊勢) 10名というのは考える余地はあります。同世代の友達もいたほうがいいでしょうね。けどたくさんはいらないと思います。イメージは「寺子屋」そんな感じ。自由な学校だけが学びの場とは思っていないですから。旅に出たり、近所であったり、自由な学校週末版ではかなりの人数が入ったりします。普通は1クラス30~40人だけれども僕はそこまではいらないと思います。そことは違う価値があるでしょう。

 (プー) 同級生がいればなという声は子どもからも届いています。ある子は近所で遊んだり、部活に行たり、いろいろ工夫はしていると思う。けどそれでも足りない、どうしても手にはいらないものっていうのも全部ひっくるめてあの小さな体でわかっていると思います。そのすごさがある。そこは届きあっているので、週末版したり、いろいろ用意したいとは思う。友達が学校にいることで親自身の安心につながるっていうのがあるかもしれないですね。

Q うちの地域では違う小学校へ行っている子はいません。遊ぶ機会もなくなりますよね。孤立してしまうんじゃないか、心配です。

A (伊勢)  一緒じゃなくてもつながっていけるような、みんなでいるから仲間ではなくて、それこそどこの国へ行っても心開いてつながれるような、そんな子になって欲しいと思います。ひっついているから安心という支えじゃなくて、ちゃんと1人で立っていられる、たとえ学校に行っていなくても、友達だと言える子になって欲しいです。

Q 1年生の子が1年で習う漢字全部かけますか。

 A (伊勢) 今は書けません。書けない字は書けなくていい、教えていないという意味ではないんですよ。個人差、タイミングとかそういうものですね。

Q 子どもは選べないから、親としてはすごく責任が重くて怖いです。

A (伊勢)  親としてはチャレンジだし、保障はないわけですからね。ほんとは保障なんか無いのだけどね。

Q自由な学校出たらこんな子になるとか、特色のようなものはありますか。

A  (プー) すごく優しくて、人のことを聞いたり感じたりして、でも自分のところもどうだろうと感じれて、折り合いをつけるのがうまい子かな。みんなにもあるでしょう?人とすごく接近したり、遠ざかったり・・・。うまくやれてますか? 葉月(自学6年生)なんか上等!と思います。

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