Swan Hill, Victoria


パイオニア・セトルメント(スワン・ヒル、ビクトリア)の入り口にGemはその巨体を鎮座している。初め、船体の大きさと、この辺りの河幅のアンバランスに少々当惑した(スワン・ヒル周辺で、マレー河の河幅はそれほど広くない)。とにかく大きな船である。全長もさることながら、三層からなる上部構造物が圧倒的なのだ。船がそびえ立っているという印象を受ける。また、強い日差しに輝く白い船体には客船特有の優美な雰囲気を感じた。2000年2月、ワシは初めて本物のPSにお目にかかった。それがこのPS Gem、"パドル・スチーマー"の存在を知ってすでに7年の歳月が流れていた。

その後、資料を広げると、ワシの第一印象がさほど事実と外れてなかったことがわかる。Gemは艀として誕生し、その後蒸気エンジンの搭載、船体の延長を経て客船として運用されるようになる。全盛期のGemは「Queen of the Murray」と呼ばれたマレー・ダーリング水系最大のパドル・スチーマーである。南オーストラリアのモーガンからビクトリアのミルデュラまでの1100キロを一週間で結んだ。船体延長工事の後、70年間を客船として運用されたのである。

このページの編集にあたっては、オーストラリア在住のフランク・タッカー氏に多大な協力をいただいた。下に掲げる二枚の白黒写 真もタッカー氏から提供いただいたものである。現役時代のGemの雄姿、マレー河水運華やかりし頃の雰囲気が伝わってくる素晴らしい写 真だ。やはり機械というものは、本来の目的に実際に使用されているときが最も美しく輝いて見える。ホイールハウスから前半の第一層は吹き抜けになって、燃料の材木や貨物が積載されている。機関士が汗だくになりながら薪をくべたのだろう。機能のブロックを組み上げた感じのするGemの外観には、現代の効率を追求したのっぺりとした乗り物にはない何か不思議な暖かみがある。

Gemは52名の宿泊客と17名の乗員を運んだ。一層目の後部に食堂と厨房があり、乗客はそこで食事をすることができた。写 真でもわかるように、最上甲板の前半、操舵室の前はサンデッキになっていて、乗客達のフリースペースとして利用されていたことだろう。こうして古い写 真や各種の情報を見るにつけ、古き時代の船旅にますます興味が沸いてくる。100年前のマレー河、ガムツリーの巨木が川岸を覆い、PS同士が汽笛を鳴らして行き交う。船長達はすれ違いざまに「今度あの店で飲もうぜ」、などと会話したに違いない。中には法外な運賃を取るけれど、船足はめちゃくちゃ速い快速船がいたかもしれない。なんだか考えただけでもワクワクするじゃないか。

現在Gemは復元作業中と聞いた。ワシが訪れたときのGemは一層目やホイールハウスを中心にかなりいたみが目立った。復元作業が行われているふうには見えなかったのだが...。まあ、あの国のことである、気長に待つことにしよう。いつの日かGemが復活した時、再びワシは"マレーの女王"に会いに行こうと思う。現役時代の優美な煙突が再び煙を上げることを切に願う。

Gemの歩み:
1876年:モアマ Moamaにて150トン積の艀船として建造
1877年:蒸気機関搭載工事を受け、貨物船として運用
1882年:船体の延長工事を受け(船体を二つに切断し、その間に12m分の新船体を追加)、客船と して就航
1939年:再度改装を受け、より豪華な内装を持つ
1948年:ミルデュラの下流で沈み木に接触、船首後方に穴を開け、水深3~4mの川底に着底、一層目は水没
1949年:ミルデュラにて修理完了(工期は10ヶ月に及んだ)
1952年:船会社が倒産し、入札にかけられる(事実上、旅客船として引退)
1954年:新しいオーナーのもとミルデュラで住居や下宿として使われる
1960年代:事実上放置された状態となる
1962年:スワン・ヒルに売却され(到着は1963年)、パイオニア・セトルメントにて展示され、現在に至る

写 真をクリックすると拡大表示されます。

Special thanks to Captain Frank Tucker
このページを編集するにあたり、写真、並びに情報をフランク・タッカー氏にご提供いただきました。

戻る