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皆さんはバークとウィルズ
Burke & Willsという名前をご存じだろうか。ロバート・オハラ・バーク Robert
O'Hara Burkeとウイリアム・ジョン・ウィルズ William John Willsは1861年オーストラリア大陸の縦断を初めて達成した探検隊の隊長と副隊長である。彼らの探検行はアラン・ムーアヘッド著『Coopers
Creek』(邦題『恐るべき空白』 ハヤカワ文庫)に記され、椎名誠の『熱風大陸』の下敷きとなった。『熱風大陸』は『地球の歩き方』にも紹介されており、アウトバックの旅人の中にはバークとウィルズの物語に直接的、間接的に触れた方々も多いのではないだろうか。
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Famous
Purple Pub
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Carpentaria
Shire Council
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驚くべきことにバーク隊がメルボルンからカーペンタリア湾までを踏破するまで、オーストラリア大陸中央部はどのような状況なのか、そこに何があるのか、ほとんど分かっていなかった(正確に言えばこれは西洋人的見解で、原住民達は内陸部で生活をしていたのだが)。ほんの140年ほど前の話である。多くの川が内陸に向かっていることから、中央部には巨大な内海があるのではとまことしやかにささやかれていた。そして、空白の内陸部を調査し、幻の内海を発見しようとチャールズ・スタートのような偉大な探検家を含む多くの探検隊が出かけていったが、どれも内陸部の想像を絶する環境に阻まれ、目的を達することなく帰還、あるいは命を落とした。 |
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Sign
for Camp 119
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Camp
119
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Monument
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Monument
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クーパーズ・クリークの基地から約2ヶ月をかけて彼らはこのキャンプに辿り着いた。すでに川の水が塩辛くなったり、干満による水位
の変化が見られることで、実質的な大陸縦断達成を認識していたが、大海原をこの目で見て大陸縦断の完遂をリアルに感じたいというのは人情であろう。探検隊はここにキャンプを設け、カーペンタリア湾へのルートを探ることになる。
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Little
Bynoe River
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Bynoe River
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Bynoe
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Flimders
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【写 真】リトル・バイノ川の下流方面を望む。バークとウイルズの「最北の地」はこの方向のどこかにあるはずだ。 |
キャンプ119周辺で「最北の地」の手がかりを見つけることができなかったワシは一旦ノーマントンの街に戻った。地元の人に聞けば一発で分かるはずである。まずはツーリスト・インフォメーションへ。観光列車ガルフランダー
Gulf Landerの発着するノーマントン駅が観光案内所を兼ねている。そこにいた若い女性に尋ねる。 「バークとウィルズが達した最北の地を探しているだが」 「キャンプ119ならバークタウンに向かう途中にあるわ」 「いや、キャンプではなく本当の最北の地を探しているんだ」 「残念ながら、そんな場所はないわ」 ワシの英語が拙いせいで真意がうまく伝わらないのかと思い、その後何度か言い回しを変えて同じ質問をした。しかし、答えは同じ「そんな場所はない」、「誰も知らない」の繰り返しだった。 正直なところその答えには驚いた。最北の地にはキャンプ119と同じようにモニュメントが築かれ、地元の人なら誰でもそこを知っていると思っていたからだ。とは言え、おねーちゃん1人に「知らん」と言われ、「はいそうですか」と引き下がるわけにはいかない。こちらははるばる日本から来ているのである。 かくしてワシはノーマントンの街でインタビューを始めた、「バークとウィルズが達した最北の地を知りませんか?」と。しかしどこで誰に聞いても「そんな場所ないよ」と言われるばかり。終いにはアボリジニの牧童に「そんなこと言ってないで、まあ飲めや」とビールを勧められ、歌まで歌わせられる始末。変なことを聞いて回る日本人としてワシは街で有名になってしまった。 何の手がかりもなく、再び観光案内所に戻った。「何かわかった?」さっきの彼女が聞く。「いや何も、でもね、ほらこの地図をみて、ちゃんと最北の地とかいてるでしょ?、しかもGulf Savannah Developmentの人はメールでその場所があると言ってたんだ」ワシは彼女に哀切した。「そうだ、Kenに聞いてみるといい。彼はガルフランダーの運転手兼ガイドよ」。それはいい!そんじょそこらのねーちゃんやおっさんとは違う。ガイドならこの辺りの歴史にも詳しいだろう。ワシは彼女の言葉に飛びついた。 ガルフランダーの駅でKenを見つける。彼は期待通りの人物だった。落ち着いた口調で彼はこういった。 「おそらくキャンプ119とバークとウィルズが達した最北の地が混同されているんだろう。どちらも"最北"には違いないからね。この地域では雨期の氾濫はすごいんだ。川も毎年のように流れを変え、河口部の地形は変わり続けている。仮にバークとウィルズが達した最北の地があったとしても、140年経った今では地形も変わってしまって、もうどこなのか全然わからないよ」 なるほど彼の言葉には説得力がある。彼の知識は非常に豊富で、バークとウィルズに関する他にも興味深い話をしてくれた。話の終わりにワシは尋ねた「Mr. Denise Tanneyを知ってますか?」と。「勿論知ってるさ、何なら彼にも聞いてみるといい」。Denise TanneyとはGulf Savannah Developmentが詳しくは彼に聞けと紹介してきた人物だ。 実はさっきKenを紹介される前に、おねーちゃんにたのんで、Denise Tanneyに電話をかけてもらっていた。彼の返答も「そんな場所はない」というものだった。しかし、自分を納得させるために直接会って話を聞きたいと思った。Kenも話を聞くといいと言っている。Denise Tanneyはノーマントンを流れるノーマン川 Norman Riverでリバークルーズやフイッシングのガイドをしている。毎夕彼の施行するリバークルーズがスケジュールされているので、それに参加することにする。観光案内所のおねーちゃんは快く予約を入れてくれた。 |
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Gulflander
Train
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Tourist
Information
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リバークルーズまでにはまだ時間がある。ここでその後のバーク達の運命を記しておこう。
カーペンタリア湾からクーパーズ・クリークまでの帰路は苛酷を極めた。少ない食料、衣服はボロボロになり雨露をしのぐテントさえ彼らは持っていない。連れていた馬やラクダを殺して露命を繋ぐものの、体力の消耗と疲労の蓄積は甚だしく、ついに隊員のグレイが死亡する。他の3人にもグレイを埋葬する体力が残っておらず、埋葬に1日を要する始末だった。しかし、彼らはとうとう前線基地に帰還する。そこには仲間達がいて、十分な食料があり、ゆっくりと体を休めることができるはずだった。
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Norman
River
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Norman
River
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さて夕刻のノーマン川、ボートランプでDenise
Tanneyはワシを待っていた。他にもツアー参加者がいるので質問はクルーズが終わってからにする。1時間のクルーズは内容も濃く、クロコダイルやシーイーグルをはじめとして豊かな自然に触れることのできる貴重な時間だった。このクルーズだけを目的に参加しても十分楽しめる内容である。 |
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【写 真】バークとウィルズも足を運んだであろう川の畔。一段と色鮮やかな鳥が彼らの生まれ変わりのように見えた。 |
【参考】 Burke & Wills略年表 |
1860年
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8月20日 | メルボルンのロイヤル・パークをバーク隊長率いる探検隊が出発する |
9月6日 | スワンヒルで休息。その間バークは物資を調達し、何人かの隊員を解雇し、その補充を新たに行う |
10月12日 | メニンディにてバークは隊を二手に分ける。大量 の物資と装備を後日クーパーズ・クリークの基地に運ぶようウイリアム・ライトに託す |
10月19日 | バークはメニンディを出発する |
11月11日 | クーパーズ・クリークに到着 |
11月20日 | クーパーズ・クリークに前線基地を建設。バークとその他隊員は水を探して北方を偵察し2週間を過ごす |
12月16日 | バークとウイルズ、ジョン・キング、チャーリー・グレイのカーペンタリア湾へと出発する。留守部隊の責任者はウイリアム・ブラーエ。彼は「3ヶ月待つように」と指示された |
1861年
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2月11日 | この日付の前後、探検隊はフリンダース川の低湿地へと至る。キングとグレイを残しバークとウイルズは海岸への突入を試みるも失敗する |
2月12日 | バーク隊はクーパーズ・クリークへの退却を始める |
3月上旬 | 物資の不足が深刻化し、連れていたラクダや馬を殺して食料とする |
4月17日 | グレイ死亡 |
4月10日 | 体力の衰えに伴い、装備のほとんどを放棄する |
4月21日 | バーク隊はクーパーズ・クリークの基地に到着するが、ブラーエ隊(留守部隊)は同じ日に基地を引き払っていた |
4月22日 | バーク達はブラーエ隊に追いつくことをあきらめ、クリーク沿いに進み、南オーストラリアの入植された地域に向かうことを決める。その後、食料と衣類の不足により彼らの体調は次第に悪化する。ナルドーの種で自給していたが、適切な調理法を知らなかったため、その毒に冒されることになる |
5月8日 | ブラーエはクーパーズ・クリークの基地に戻るものの、バーク達が戻ってきたことに気付かずに去る |
5月27日 | バークの指示によりウイルズはクーパーズ・クリークの基地に戻り、彼らの所在を記すとともに彼の日記を埋めた |
6月3日 | ウイルズが隊に戻る |
6月下旬 | 彼らはどんどん衰弱し、互いの死から二、三日をおいてバークとウイルズは息絶えた。キングはアボリジニの部族に混じり彼らと数ヶ月間生活をした |
9月15日 | ハウイット隊(救援隊)がキングを発見する |
【参考】 Burke and Wills - Terra Incognita http://www.burkeandwills.net/ |
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