『あやかしびと』はなぜ二次創作っぽいのか

はじめに

 Propellerの快作『あやかしびと』がPS2に移植されるようだ。いい機会なので、ちょっとメモをとっておきたい。ネタバレだらけなので注意されたい。
 これからいろいろと欠点を指摘することになるので最初に言っておくと、このゲームたいへんに気に入りました。面白かった。
 ただし、だ。面白かったのだが、どことなく二次創作臭いのが気になった。
 二次創作臭いとはどういうことか。登場するキャラクターのそれぞれは立っているのだが、それらのキャラクターが全体として一つの物語を形成できていないのである。様々な物語の要素を詰め込みすぎて、全体が統一されていない。そのため、プレイすると、どこかつぎはぎ感が残ってしまう。結果、「いろいろな作品から好きなキャラクターを抜き出してきて競演させてみました」というような二次創作の雰囲気が出てしまうのである。
 以下、いかに多くの物語パターンを『あやかしびと』が要素としてもっているかを確認してみよう。

序盤・事件の原因は誰の事情なのか

 『あやかしびと』は、孤島の病院に隔離されていた主人公武部涼一=如月双七が収容先から逃亡するところから始まる。まずここで注意すべきは、一人で逃亡するのではなく、如月すずと二人で逃亡することだ。
 ここで我々が期待するのは以下のようなストーリーだ。隔離されていたからには主人公たちにはなにか特別な事情があるはずだ、その特別な事情が後の物語の核心をなしてくる、云々。
 ところが、ここに問題が起きる。主人公たちの逃亡の原因となったのは、双七くんの事情である。ところが、その後の諸々の事件を引き起こすに原因となるのは、すずの事情だけである。
 これはまずい。話の中心がズレてしまっている。
 普通、病院に隔離されていたのに逃げ出した、となれば、双七くんに特別な事情があることを我々は期待してしまう。しかし、すぐに話の中心がすずに移行してしまうので、肩透かしをくらったような感が残ってしまう。つまり、「訳ありの主人公が逃亡する話」が、いつのまにか「主人公が訳ありの女の子を連れて逃げる話」にすりかわってしまっているのである。
 二つの異なる種類の物語パターンが混在してしまっているのはよくない。どちらかに絞るべきだし、どちらの話なのか導入部分でプレイヤーにわかるようにすべきであった。
 『あやかしびと』の共通ルートは実質的に双七くんとすずの二人主人公制なのだが、どうもそれが上手く処理されていない感がある。たぶん、「訳ありの二人が手に手をとって逃げる話」にしてしまえば、綺麗にまとまったのだろう。しかし、このゲーム、マルチエンディングのギャルゲーなので、これができない。この物語パターンでは、他のヒロインのルートへの分岐がより難しくなってしまうだろうから。

中盤・主人公はどこに辿りついたのか

 主人公たちは逃げた。次に問うべきは、逃亡の行きつく先である。主人公たちは逃げることでなにを獲得するのだろうか。
 ある意味、答えは簡単で、神代学園生徒会という居場所を得るわけだ。それはいい。問題は、この生徒会というものが主人公にとってどのような意味をもっているのかが混乱してしまっていることだ。
 ここで混在している物語パターンは、以下の二つである。すなわち、「逃げた結果、主人公が戦いの場を獲得する話」のように見えるのに「逃げた結果、主人公が平安を獲得する話」になってしまうのだ。
 『あやかしびと』をやっていくと、まずは前者を予想してしまう。最初に生徒会は、すずを捉えて双七くんを尋問するバリバリの武闘派機関として登場する。そのためプレイヤーは、生徒会に入るということは、戦闘集団に加入するということなんだな、と思ってしまう。 この線だと、話の流れはこうなる。序盤では逃げるほかなかった主人公が、中盤で戦うことを引き受けて成長し、終盤で真の敵と対峙する。王道だ。
 しかし、『あやかしびと』の実際の展開はそうではない。以降の展開での生徒会の役割は、双七くんとすずにほのぼのとした日常生活を提供することである。これは後者のパターンである。その流れはこうだろう。序盤で虐げられた状況にあった主人公が、逃げることで中盤に平安な生を得るが、終盤でそれを脅かす敵に直面し、ついに戦う。これまた王道だ。
 どちらも王道なのだが、一方のパターンで始まって他方のパターンに終わるのは、問題であろう。
 神代学園生徒会の位置づけがしっかりしていないのが拙いのだ。

終盤・敵はなんのために襲来するのか

 さて、「逃げた結果、主人公が平安を獲得する話」に期待される物語のパターンは二つほど考えられる。
 どちらのパターンでも、折角手に入れた平和を乱す敵が現れ、主人公は戦うことになる。しかし、敵の狙いが異なっている。
 一つめは、「逃亡元から主人公にたいして追っ手がやってくる話」である。二つめは、「主人公を受け入れてくれた仲間たちに魔の手がせまってくる話」ということになる。
 それぞれについて、あるべき展開も決まっている。
 第一の場合は、主人公は受け入れられてくれた人たちに迷惑をかけないよう、孤独に戦うのがお約束である。第二の場合は、主人公は恩義ある仲間たちを護るためにその力を発揮していくことになる。
 ところが、ここでも『あやかしびと』は混乱をみせる。
 基本的に悪の魔の手はすずを追いかけてくるわけで、軸は「逃亡先から主人公にたいして追っ手がやってくる話」のように思える。ところがまずいのは、生徒会の仲間が主人公の戦闘に協力してしまうことである。
 もしも『あやかしびと』が、「中盤」で指摘した「逃げた結果、主人公が戦いの場を獲得する話」になっていれば、問題はなかった。この物語パターンであれば、主人公は最終決戦までの間に、仲間と「戦友」になることができる。戦友ならば自分の戦いに巻き込んでもよい。戦友はそもそも堅気ではないからだ。
 しかし、生徒会の仲間は基本的に主人公の日常を支える役割を担っている連中だ。そのような堅気の友人を戦いに巻き込んでしまうのは、展開として少々拙いのである。
 生徒会の連中を戦わせたければ、「堅気の連中にとっての敵を主人公が助太刀して討つ」という構成にしなければ筋が通らない。しかし、設定上のすずの重要性が大きすぎるので、その方向もとりにくいといえばとりにくい。
 ただし、『あやかしびと』の終盤は、ルートによってはさらにすっとんだ方向に飛んでいくので、この論点をあまり強調しても仕方ないのかもしれない。刀子ルートと薫ルートなぞ「双七くんが助けられる側に回ってしまう」のだ。プレイヤーの視点を担う主人公役が変わってしまう。実験小説みたいだ。

おわりに

 他にも「あれっ」と思ってしまう箇所は見つかる。能力バトルものと武術系必殺技バトルものは文法がまったく異なるので両立できないはずなのに、混ぜてしまっている、等々。
 予測を裏切るような展開をプレイヤーが求めているというのは正しい。しかし、予測を裏切るのと、期待を裏切るのとは、似ているようで違う。『あやかしびと』は全般的にどうもその辺の見極めが甘いように思える。「九鬼先生の仇の究極のショボさ」なども、意外な展開といえばそうなのだが、どう考えても話の盛り下がりにしか繋がっていないような気がする。
 ただまあ、細かい点を挙げだすときりがないので止めておこう。今回は物語のパターンに着目するだけにとどめたい。
 まとめれば、こうだ。全編にわたって別種の物語パターンがパッチワークされているので、とにかく話の流れに一貫性が欠けているように感じられてしまうわけだ。
 加えてその一方で(これはもちろん長所なのだが)キャラクターが非常に魅力的に立っている。そのため、さらに寄せ集め感が増してしまうのだ。これが『あやかしびと』の二次創作的な雰囲気の原因である。
 ただし、このあたりは実際、なかなかに難しい。
 映画や小説であれば、一つの物語パターンに絞れ、と言い切って済む。しかし、マルチエンディングのゲームの場合、各ルートで物語パターンを変えつつ全体で統一感を出す、という曲芸を期待されていたりするわけだ。「ヒロインが違うだけで全部話は同じ」ではプレイヤーが納得してくれない。
 このあたりの圧力があるので、ことゲームにかんしては、物語パターンのある程度の詰め込みは仕方のないことかもしれないのだ。
 最後にもう一度強調しておこう。いろいろと書いたが、『あやかしびと』がきわめてよくできた作品であることは間違いない。キャラクター、それも男連中の見事なまでの立ちっぷり、異常に豪華な声優(とくに加藤虎太郎先生)、そして、ヒロイン全員お姉さん、等々、たいへんに素晴らしかった。
 私は最近少々枯れ気味で、燃えゲー以外のエロゲーにほとんど興味がなくなってしまった。東出祐一郎には『あやかしびと』路線を突き進んで欲しいものである。

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