『涼宮ハルヒ』の迷走

 アニメが終わって少し状況が落ち着いたようなので、谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』とその周辺のもろもろについて、私が面白いなあと思ったことを少し書き留めておきたい。
 ところどころネタバレを含むので注意してください。

 暇をみつけて「涼宮ハルヒ」シリーズを並べて読んでみたわけだが、私は少々辛口な感想をもった。なるほどキャラクターは非常に魅力的なのだが、どうにもお話にキレがないのだ。
 ただし、一つだけ例外がある。一作目『涼宮ハルヒの憂鬱』だけは、お話そのものがなかなかに面白いと言える。それ以降のシリーズがいまひとつなのだ。どうしてこうなってしまったのか。一般にシリーズものは長く続けば劣化するのだが、それだけではないと私には思われる。

 『涼宮ハルヒの憂鬱』は結構スパイスの効いた反SFになっている。
 『憂鬱』は、複数のSF風な道具立てを大風呂敷に過剰なまでに出鱈目に広げまくったあげく、それをポイっと脇に置いて「女の子が、気になる男の子の好みの髪型をちょっとだけ試してみる」というなんともジュヴナイルなオチにもっていっている。一応SFというものは「広げた風呂敷を合理的に畳む」ことが求められるジャンルである。それを確信犯的に放棄している。見事にちゃぶ台返ししているわけだ。私はここに感心した。
 つまり、私が感じた『憂鬱』のお話としての面白さは、「確信犯的投げっ放し」にある。

 さて、こう考えると、『憂鬱』は一作こっきりで完全にお話が終わる一発ネタタイプの物語ということになる。
 先に述べたように、『憂鬱』の肝は、オチがつかないほどカオスな状況をつくったうえで、それをきれいさっぱり放り出してボーイミーツガール話にしてしまうところにあった。そこが面白かったのだ。
 しかし、そうなると、『憂鬱』には続編をつくりにくいことになる。連作可能性が欠けていると言ってもいい。
 続編をつくるためには、『憂鬱』のキャラクターをもう一度登場させて、なにか事件を起さなければならない。一発ネタの反SFの立場を捨てて、まともに話を纏めなければならない。ところが、キャラクターたちが背負っている設定が大風呂敷にすぎて、面白いドラマをつくりにくいのである。
 たとえば、なにか新しい事件を起こそうとする。ところが、長門有希の能力が強力にすぎるので、事件の重要性を強調しようとすると、どうしても話が大味になる。さらに、涼宮ハルヒの設定がやっかいだ。彼女はあらゆる重大な事件について、原因ではあるが実は蚊帳の外、という立場に置かれねばならない。実に窮屈だ、どうにも上手くいかない、等々。
 「涼宮ハルヒ」シリーズは、「SOS団」という魅力的なキャラクターの集合をもちながらも、ジュヴナイルなシリーズものの基本であるところの「いろいろな事件が降りかかってくるのだが、みんなでそれを解決していく」というパターンが非常に使いにくいものになっているわけだ。そのため、いろいろと頑張ってはいるのだが、どうしてもいささかキレの足りないSFで終わってしまうのだ。
 そして、すでに述べたように、これはある意味で当然のことなのだ。
 そもそも『憂鬱』の諸設定は「もはやまともに話が進まないほどに出鱈目に風呂敷を広げまくろう」として立てたものであるからして、話が進みにくいに決まっているのである。

 『涼宮ハルヒの憂鬱』は、そもそもシリーズ化に向かない作品だったと言える。シリーズの続編が、いろいろなネタを器用に散りばめているようにみえて、どことなく迷走してしまっているのはそのためである。
 ライトノベルは、キャラクター小説と呼ぶ論者もいるように、同一キャラクターによるシリーズ化を期待されるジャンルと言えよう。そう考えてみると、アニメ化を巡る狂騒もあってライトノベルの代表作として言及されることが多いのだが、「涼宮ハルヒ」シリーズは実は典型的ライトノベルではないことになるわけだ。

 わりと否定的な話をしてしまった。しかし、ここで議論が終わってしまうと面白くない。次のように問うてみよう。
 『涼宮ハルヒの憂鬱』がシリーズ化に向かない作品であるとしよう。では、『憂鬱』は、そもそもシリーズ化すべきでなかった、と言えるのか。
 これがなかなか難しい。
 『憂鬱』に登場するキャラクターたちは、それで終わりにしてしまうには惜しいほどに立っている。続編を出さないのは明らかにもったいない。「別にプロットの点で捻りがきいていなくとも、魅力的なキャラクターが出てくる話を次々と提供してほしい」というのも、娯楽の観点からすれば十二分に合理的な態度である。寝っ転がってハルヒのツンデレ可愛いなあとか長門フラグ立ったよオイとかダラダラ読み流すには、お話そのものはそれなりの出来で十分、とさえ言える。
 ということで、たまに首を傾げつつも、私は「涼宮ハルヒ」シリーズを楽しく読んでいたりするのである。
 考えてみればシリーズにならなければ鶴屋さんも登場できなかったわけだからな。鶴屋さんわりと好きなんだよね、私は。

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