永野のりこ論

 永野のりこは私にとってかなり重要な作家なのであるが、ちょっと語りにくいので後回しにしていた。
 なんとかまとめてみたが、どうだろうか。

 永野のりこの根本思想は「それでも君の居場所はこの世界の誰かの隣に必ずあるんだよ」に尽きている。
 たぶん、永野のりこには、それ以外に描きたいこと描けることはない。ただただ執拗にそれを描くのみなのだ。
 最近あまり見ないけれども、これから描くであろうものも、あいかわらずのナガノ節になるだろう。
 それでいいのだ。それが永野のりこなのだから。

 ただし、これだけでは永野のりこを十分に捉えたことにはならない。
 もう一つ重要な思想が永野にはある。
 それは、「それでも君の居場所はこの世界の誰かの隣に必ずあるんだよ」ということは真理なのだけれども、それを他人に向かって説くことはとても傲慢なことなのだ、という思想である。
 この思想が永野のりこのもう一つの重要な魅力をなしている。

 永野のりこは、わかっている。
 「ほんとうのこと」を掴んでいる。そして、それだけを描きつづける。
 非常に誠実である。
 しかし、更に評価すべきは、その真理を正面から描き述べ立てることの傲慢さを理解している点なのだ。どんな立派な真理でも、大声で下品に述べ立てられた瞬間に、ただの陳腐きわまりない説教に堕落し、見るも無残なものとなる。

 この堕落に永野のりこはたいへんに敏感である。
 永野のりこがギャグ漫画という形式を選ぶ理由はここにある。
 「ほんとうのこと」を言葉にして伝えようとすると、どうしても暴力的になってしまう。正しい、ということはそれだけで力なのだから。
 とりわけ、「それでも君の居場所はこの世界の誰かの隣に必ずあるんだよ」ということは非常に繊細な真理であって、暴力性がかすかにでも混入してしまえば、台無しになってしまう類のものなのである。
 しかし、だ。永野のりこはこの「ほんとうのこと」をどうしても語りたい、伝えたいのだ。
 この二律背反を解決するための、ギャグ漫画の形式なのである。
 毎度のナガノ的高速空回りギャグの笑いに隠して、そっと恥ずかしそうに「それでも君の居場所はこの世界の誰かの隣に必ずあるんだよ」ということは語られる。
 こうしてはじめて、純粋な真理の伝達が可能になるのだ。
 このような繊細さにたいする感受性を見落としてはならないだろう。
 永野のりこは、あくまで「手段としてのギャグ漫画家」なのである。

 手段としてギャグ漫画の形式をとらざるをえない、というのは、それほど自明ではない。たとえば、真理の繊細さを理解したうえで、丁寧に伝えていけばいいのではないか、こう思われるかもしれない。この方向を採ると、文芸色の強い漫画ができあがるだろう。
 しかし、永野のりこはそうしない。
 私が考えるに、こういうことではないか。
 それが正しいかどうかはともかく、現在のところ、漫画は大衆的な娯楽と位置づけられている。そのような状況のなかで、文芸色が強いと見なされる漫画はそれだけで一つの社会的な力を担ってしまう。「大人が読むに足る」「子どもに薦めたい」「新聞で書評される」漫画、というように。そして、そこにはつねに、「漫画というジャンルそのものは低俗な娯楽だけどね」という暗黙の主張が隠れているのである。
 ここに違和感を感じるのは私だけではないだろう。
 私は文芸系漫画を否定しているわけではない。そのような漫画が図らずも浅薄で無粋で傲慢な社会的な力の文脈に置かれがちである、という事実を述べているにすぎない。
 永野のりこは、そのような「文芸系であることが引き寄せる社会的な力」にとうてい耐えられないほどに繊細なのではないか。
 どこまでも永野が「電波」「変態」「オゲレツ」を貫くのは、文芸系漫画として読まれてしまい、結果、傲慢な立場に立ってしまうことを徹底的に拒否するためではないだろうか。
 私はここに、永野のりこの他に類を見ない誠実さを感じるのである。

 …いやでもナガノは無駄に感受性強すぎ、「のーがき」などで「それでもやっぱり語ってしまったこと」について恥ずかしがりすぎ、と言えなくもないのだが。

 最後にいくつか具体的な作品を挙げておこう。
 こう考えてみると、やはり『GOD SAVE THE すげこまくん』が代表作であることは動かないだろう。「手段としてのギャグ漫画」の完成形態ではないだろうか。
 わかりやすくて個人的に好きなのは、『ハネムーンプラネット』所収の「あなたのスペース」である。ナガノ思想の基本形がよく見える。

 あとは『みんな以外のうたR』所収の「Link」であろうか。
 珍しくギャグ漫画という手段を採らずに、正面からただただ丁寧に丁寧に「それでも君の居場所はこの世界の誰かの隣に必ずあるんだよ」を伝えようとした小品である。
 このテキストを書くにあたって読み返したが、なかなかに「効く」。やはり永野のりこは自分にとって重要だよなあ、と再確認してしまったよ。

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