なぜ弓塚さつきは『月姫』のヒロインになれなかったのか

0 はじめに

 Fate/stay nightの話題すらいささか時期はずれの感がある今、なんでまた月姫なんぞについて論じなければならないのか、と問われれば、すいませんと謝るほかはない。佐々木少年の漫画版を読んでいたら、いろいろと記憶が蘇ってきたのだ。そこで、前々から思っていたことをこの際まとめてみよう、ということに相成ったのである。
 当然のことながら、ネタバレしているので注意されたい。

1 月姫シナリオの基本構造

 月姫がなぜあれほどまでに受けたのか。私が思うに、月姫の物語がとにかくお約束を守ったものだったからである。
 古くて手垢のつきまくった、言い換えれば、長い年月でその有効性がきっちりと確証された、ベタきわまりないパターンを正面から投げ込んできたのが月姫だったのだ。
 そのベタなパターンとはなにか。
 「囚われのお姫様を王子様が助け出す」、これである。デズニィですよデズニィ。どうしようもなく陳腐。しかし、それだけに強力。囚われ閉じ込められたお姫様を、艱難辛苦を乗り越えて王子様が助け出すのだ。眠っているお姫様にベーゼさするのだ。そーするとお姫様は目を覚まし、王子様に惚れるのだ。
 ただまあ、ヒネってあるといえばヒネってある。お姫様たちは物理的に幽閉されているわけではない。アルクェイド、シエル、秋葉、翡翠、琥珀、みなさん忌まわしい過去に囚われているのである。ここから彼女たちを解放するのが王子様、遠野志貴というわけだ。で、エロゲーなので、愛の接吻の替わりにラヴラヴなエロが入っているのである。
 月姫のすべてのヒロインのシナリオは、ことごとくこのベタベタな基本構図に則っている。王道中の王道。ゆえに、我々を安らかに燃やしたり萌やしたりしてくれるのだ。
 月姫シナリオはベタである、と述べた。
 しかし、これは批判ではない。「『BALDR FORCE EXE』における燃えについて」などで既に述べたことであるが、燃えはベタでなくてはならない、というのが私の基本主張である。理論どおりだ。
 ここでさらに、ベタなだけでなく、どのシナリオも基本構図が同一である、という点に着目したい。
 多くのノベルゲーは、ヒロインごとにシナリオの骨組みを変えている。話に多様性があったほうが面白いからだ。それが普通だ。
 ところが、既に述べたように、月姫のすべてのシナリオは、「囚われのお姫様を王子様が助け出す」という一つの主題の変奏なのである。アレンジだけで多様性を演出しているわけだ。
 いやはや。「同一の主題でも、ここまでアレンジを変えて面白く魅せていくことができますよ」というシナリオライターの技自慢かと勘繰りたくなる。また、これ、主題を一つで済ませるという横着をしているとも言える。なんとも小憎らしいかぎり。
 これが同人作品だったのだから、まあ、もう、脱帽である。

2 なぜ弓塚さつきは『月姫』のヒロインになれなかったのか

 ここで、表題の問いに答えることができるようになる。
 弓塚さつき、なかなかの人気を誇りつつも、ヒロインになれない。どうしてなのだろうか。
 これは、王子様の能力に着目すると理解できる。遠野志貴は、王子様として、囚われのお姫様を助けることしかできないように生まれついてしまったのである。
 そして、残念ながら、弓塚さっちんは囚われのお姫様ではないのである。
 思い返せば、弓塚さつきも、その昔用具室だかに「囚われた」ときは助けてもらえたわけだ。これは遠野志貴に可能なことだから。
 しかし、吸血鬼化した弓塚さつきを助けることは、遠野志貴には上手くできない。「忌まわしい過去に囚われた少女を解放する」という月姫の基本構図では、彼女が巻き込まれたトラブルを解釈することは難しい。さつき救済シナリオは、「月姫の基本構図の変奏」という縛りのもとでは難しいのではないか。それゆえ、弓塚さつきはサブヒロインの立場に据え置かれたままになってしまったのではないか。
 弓塚さつきシナリオ、すでに存在するも凍結中と聞く。それがどんなものかは知らない。しかし、私の考えでは、さっちんがヒロインになるためには、誰かもしくは何かに改めて囚えてもらう、これしかない。そういう状況さえあれば、遠野志貴は能力をフルに発揮して動くことができる。囚われのお姫様になること。これが弓塚さつきの課題なのである。

3 恵まれすぎのヒーロー遠野志貴

 せっかくの機会なので、月姫について一つ気になっていたことを指摘しておこう。伝奇バイオレンスアクションヒーローとしての遠野志貴についてである。端的に言って、彼は恵まれすぎである。女にモテすぎ、とかいうことではない。戦闘能力にかんしてである。
 この手のジャンルの鉄則の一つに特殊能力は一人につき一つかぎりというものがある。山田風太郎の忍法帖からの伝統だ。まあ当たり前の話である。いくつも特殊能力を備えているヒーローなんてものは、ご都合主義にすぎて面白くない。複数の技を使うことができる場合でも、それらの技は一つの特殊能力から派生したものでなければならない。スタンドも悪魔の実も武装錬金も、すべて一人に一つかぎりである。
 ところが、だ。遠野志貴は、まったく由来が別の二つの超常的な能力をもっている。すなわち、「直死の魔眼」と「七夜の殺人術」である。
 これはよくない。お話の流れの順に追っていこう。月姫の冒頭で、志貴は魔眼を手に入れる。これがそもそもありえない事態である。ところが、月姫を読み進めていくと、なんとこの少年は超絶の体術をも身につけていました、ということになる。ちょっとひどい。葵の御紋の印籠と桜吹雪を両方備えているようなものだ。ズルっこだ。
 お話の展開上、「七夜」云々の設定は必要かもしれない。それはいい。しかし、志貴がすでに体術を修得済みである、ってのがいただけない。その情報が都合のよいところで後だしジャンケンのように出てくるシナリオの構成も上手くない。
 以下のような事情があるのはわかる。「モノの壊れやすい線が見える」のはいい。しかし、いくら線が見えたとしても、敵の攻撃を捌いてソコを斬る体術がなければ無意味だ。「直死の魔眼」だけでは、どうにも使えない。仕方ないので、別のところから、超絶の体術をもってきました。
 しかし、これは真田志郎の「こんなこともあろうかと」に匹敵するご都合主義ではないのか。遠野志貴は、「直死の魔眼」をもったのならば、あとは知恵勇気で戦わねばならないのだ。ある程度の体術がどうしても必要なのであれば、「直死の魔眼」を活用する、という意図のもと、あらためて努力して修練の末に身につけねばならない。「実はもっと昔、知らない間に身につけちゃってたもんねー」ではダメだ。ヒーローとしてフェアではない。これが敵キャラならばまだ許せる。しかし、読み手の分身としての主人公をこんなに甘やかしてはいけない。
 こだわりすぎのように思われるかもしれない。
 しかし、これは月姫の魅力の根幹にかかわる論点である。
 思えば、「モノの壊れやすい線が見える」という描写そのものは、別に月姫オリジナルではない。しばしば見かけるものだ。ただし、そういう描写のほとんどにおいて、「見える」ことは「モノを実際に斬る」ないしは「割る」身体能力の延長線上に出てくる。斬ることを極めていった先に「見える」瞬間があった、というように。これならば、体術と魔眼は素直に一つの能力として統合される。
 しかし、月姫はそうなっていない。遠野志貴は、「モノの壊れやすい線が見える」能力を、「モノを実際に斬る」身体能力とはまったく独立に獲得する。そして、私見では、それこそが月姫の「直死の魔眼」設定の独自性であり、評価できる点なのである。
 そうであるならば、魔眼を補完する体術を別口からあっさり導入してしまったのは、少々安易にすぎたのではないか。切り離すところにオリジナリティがあるのだから、切り離したままで頑張るべきではなかったか。
 とてつもなく強力であると同時に、とてつもなく使うのが難しい「直死の魔眼」を知恵と勇気と努力でどう活用するか。それを描くのが、伝奇バイオレンスアクションバトルものとしての月姫のやるべきことだったのだ。「七夜の殺人術」とペアにしたとたん、「直死の魔眼」は極めて使い勝手のいい道具になってしまう。それじゃ面白くないでしょう。
 志貴はもっと弱くていいのである。
 月姫世界の魅力的な奥行きは重層的に織られた裏設定が支えているわけだが、この一点にかんしてはちょっと設定を余分に重ねすぎたかな、という感がある。設定はあくまで物語を面白くするためのものである。設定の詰めすぎはよくない。読み手の素直な感情移入を阻害し、また、バトルにおける「知恵と勇気と努力」の重要度を低下させることに繋がりかねないからだ。
 このあたり、惜しいところなんだよね。

4 おわりに

 いまさら月姫について論じてしまった。
 しみじみ思うが、私はこの作品が大好きである。魂の作品だ。
 武内崇と奈須きのこ、ほぼ同年代なんだよね。
 中学生のころから菊地秀行とか夢枕獏とかを貪るように読んで成長してきた。周りにオタク(予備軍)はいたが、そんなのまで読んでるバカはいなかった。この点にかんしては孤独だった。
 そして、だ。いい年齢になって、月姫をやったときだ。「ああ、オレと同じものを同じように読んできたヤツらがいたんだ、そして、そいつらが、ついに創作する側に立ったんだ」ということに心の底から衝撃を受けたのである。
 そして、同時にしみじみと思った。思い知らされた。「オレはクリエイターにはなれなかったんだなあ」と。
 他に同年代の作家がいないわけではない。
 しかし、私に身が引き裂かれるような圧倒的な敗北感と嫉妬心とその他もろもろの情念を引き起こさせたのは、武内崇と奈須きのこだけであった。
 月姫こそが、私に生涯一オタクの決意をさせた作品なのである。

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