おがきちか『エビアンワンダー』の感想

前置き

 おがきちかが快調である。2004年中に『Landreaal』を楽しいなあ楽しいなあと喜んで読んでいたわけだが、知らないうちに『エビアンワンダー』も『エビアンワンダーReact』として復活していたとは。嬉しい限りである。

 この人は正しいファンタジー漫画を描こうとしている数少ない漫画家の一人だと思うのであるよ。

 ファンタジーを描くというのであれば、「なぜ物語の舞台をファンタジーに置くのか」という問いにたいしてきちんと答えられるようでなければならない。ファンタジックな世界には読者が納得できるようなファンタジックである理由がなければならない。そのようにと私は考える。

 たとえば、ある「描きたい何か」があって、リアルな舞台ではその「何か」が他の色々な要素の背景に隠れてしまいがちなときには、「描きたい何か」を中心に世界観そのものを構成する必要がでてくるだろう。そのような必要性のもと構成された世界は虚構であってもきちんとした質感をもつ。逆に、そういう作者の意気込みがきちんと作品中に見えてこない作品はいかにも安っぽくなる。簡単に言えば、ファンタジーには、なんというか、「現実世界とはまったく別の異世界を創造することへの心意気」みたいなものが必要なのだ。こういう心意気がないと、世界がどうにも薄っぺらくなってしまう。改めて考えれば当然のことだ。志の低い者に異世界の創造主の役なぞ務まるはずもないではないか。

 誤解を招かないために付け加えれば、ファンタジーには高級な意図がないといけない、と言っているのではない。「描きたい何か」が下らなくてもかまわない。敵を大量にブッ殺しても道徳的に非難されないような世界観が欲しい、でもいいのだ。いくら馬鹿馬鹿しかろうがかまわない。とにかく強い情念が欲しいのだ。その情念が世界に奥行きを与えてくれるのだ。

 ところがである。現在巷に溢れる自称ファンタジー漫画ファンタジーノベルはそうなっていない。ただなんとなく「ファンタジーっぽい雰囲気」に浸りたいから、ファンタジー。そんな薄っぺらなモノばかりだ。それも連中のイメージする「ファンタジーっぽさ」は端的にユルい。たとえば指輪物語…ですらなくロードス島戦記の劣化コピーとか。劣化コピーの劣化コピー。カタカナエイゴ風のジュモンやらを唱えると、手の先からヒノタマが出るの。ああ下らない。奥行きがない。ロマンもなにもない。

 そもそも既成のイメージをふにゃふにゃとなぞるだけのファンタジーはファンタジーと言えるのかね。どこにも想像力を使っていないじゃないか。雰囲気だけではダメなのだ。「描きたい何か」に基づいた、情念溢れる「オレ的ワタシ的異世界の論理」が欲しいのだ。しかし、これを感じさせる作品のまあ少ないことといったら。

 そういう似非ファンタジー全盛の現代において、「描きたい何か」がきちんと見える作品を描こうとしているのが、おがきちかである。というわけで、私はかなり期待をしているわけだ。

 さて、このようにネタを振ったにもかかわらず、本稿は、おがき漫画全般を扱うことはしない。『エビアンワンダー』のみを採り上げる。たぶん『Landreaal』のほうが代表作になりそうなのだが、目をつぶる。さらに、ファンタジー論とは別の角度に限定して論じることにしたい。というのも、『エビアンワンダー』はたいへんよい姉漫画なのである。

姉漫画としての『エビアンワンダー』

 『エビアンワンダー』の基本的な物語は以下のとおりである。

 親に極寒の山に捨てられた少女フレデリカ。そこでフレデリカは、悪魔ペイシェントと出会い、契約を交わす。フレデリカが望んだもの、それは絶対に自分を捨てない家族。で、悪魔が彼女に与えてくれたのが弟ハウリィということになる。弟を与えてもらった代償に、フレデリカは悪人を屠り、その魂を狩り続けねばならない宿命を負う。成長したフレデリカ姉ちゃんと弟ハウリィの明日はどっちだ。こんなかんじである。

 主人公が姉なので、お姉ちゃん漫画というよりは、弟漫画なのかもしれない。さらに言えば、親子関係も主題のひとつなので、家族漫画というのが正確なのだが、このあたりの細かいことはいいだろう。注目すべきは、物語を駆動する道具立てが、姉弟でなければ成立しえないものになっている、というところである。『React』に入って、そのあたりがさらに明確になった。弟として悪魔に造られたハウリィが、人並みの幸福をそもそも望みえない存在であることに苦悩するフレデリカ。これぞまさしく、というような姉の苦悩である。ハウリィはハウリィで、姉ちゃんを守れない自分の弱さ不甲斐なさに涙する。これまた純正の弟の苦悩である。このように、他の属性では出せないようなその属性ならではの含みをきちんと引き出している、という点で、本作は属性漫画のすべきことをよくわかっている、と言えるであろう。

 さらに、一般的な姉弟モノにはない要素もあるので、注意を喚起しておきたい。通常は、姉にとって弟とは、自分の意志にかかわりなく、親の事情によって出来てしまうものである。姉が望んで弟を得るわけではないのだ。ところが、本作の姉弟関係は、悪魔に何が欲しいかと問われてフレデリカが「弟が欲しい」と答えたことから始まっている。その存在の責任がフレデリカにある、という点では、フレデリカとハウリィの関係は、姉弟よりも親子に近いところがある。それゆれに、フレデリカは、普通の姉ではありえないような度合いで、弟の存在に人生をがんじがらめに縛られていくわけだ。このようなかたちで、姉が姉をこじらせる度合いを極端なものにしているあたりは、ファンタジーならではの姉漫画としてなかなかに興味深い試みであると表しうるであろう。

追記

 『エビアンワンダー』が完結したので、最終的な感想を記しておきたい。

 ……微妙、かな。いやね、契約がそもそもの出発点になっているのだから当然の展開でしょう、と言われればそうなのであるが、クライマックスが法廷での弁論合戦というのはどうなのだろうか。あそこはやはり物語の展開をもって描かなければいけないと私は思う。なるほど落としどころの論理はなかなか面白いのだが、描き方にどうにも打ち切りチックなせわしなさを感じてしまった。『Landreaal』のほうは快調のようなので、こちらは頑張ってほしいものである。

ページ上部へ