必殺!!ライダー卍キック

0 はじめに

 我が聖典、『仮面ライダー』全九十八話。どれか一話を挙げよ、と言われても困る。しかし、これだけは言える。第三十一話「死斗!ありくい魔人アリガバリ」は必ず候補に入ってくる、と。何度見返しても、ラストでちょっと泣いてしまう。しかし、その魅力を語ることは、本稿では禁欲しよう。
 本稿の主題となる問いは、こうだ。強敵アリガバリを屠った2号ライダーの必殺技、ライダー卍キックとはいかなる技なのだろうか。

1 既存の解釈

 そもそも、なぜ卍キックが問題になるのか。
 公式には、卍キックとは、ひねりを加えたライダーキックであり、その姿が卍の形態をとることから、その名で呼ばれることになった、とされている。しかし、これは肝心な部分について何も語っていない。卍のひねりがライダーキックに何を加えているのかという点が不明なのだ。
 ここで、「それは当然、破壊力ではないのか」と首をかしげる向きも多かろう。強敵を倒すため、より破壊力の大きい技を開発した。これはごく自然な解釈に思える。たとえば村枝賢一も、この解釈を採っているように思える。『仮面ライダーSpirits』第一巻を参照されたい。2号の卍キックはクモロイドの吐く糸を、その回転で弾き飛ばしながら炸裂している。
 しかし。私はそのような解釈は表層的であり、誤っている、と考える。
 ライダー卍キックとは、ひねりによって破壊力を増加させたライダーキックではないのである。

2 アリガバリの強さの秘密

 ライダー卍キックは、アリガバリを倒すために開発された技である。であるならば、それを適切に解釈するためには、アリガバリの強さがどこにあるのかを考えなければならない。
 アリガバリは一度ライダーキックを破っている。これが誤解を生むもとだ。それならばライダーキックの破壊力を上げればよい、と短絡的に考えてしまう。それは間違いだ。よく見てみよう。アリガバリはライダーキックを左手の爪の一撃でカウンターをとって叩き落している。
 そうなのだ。2号はアリガバリに攻め負けたのである。アリガバリの攻めが強すぎてライダーキックを当てることができなかったのだ。後の対ゴースターや対スノーマンの場合のように、ライダーキックが当たったのに効かなかったわけではないのだ。
 つまり、ここで2号に求められるのは、ライダーキックそのものの破壊力の強化ではない。アリガバリの攻撃をいかに凌ぎ、ライダーキックを命中させるか、という純然たるテクニックの強化こそ、必要なものなのだ。
 これは突飛な解釈ではない。一文字隼人本人が特訓中にまさに以下のように独白しているではないか。「この技ではアリガバリの攻めを封じきれない」と。まさにそのとおり。攻めを封じることこそ課題であり、自分の攻撃力を上げることは、さしあたりどうでもいいことなのだ。

3 滝和也との特訓

 今や、ライダー卍キックの核心に迫る段に至った。いかにしてアリガバリの攻めを封じるか。その答えやいかに。
 ここで、まさにライダー卍キックが編み出される瞬間、一文字と滝和也との特訓の場面を想起されたい。
 その瞬間は、こうだ。滝、一文字の身体を抱え上げ、ブン回して放り投げる。一文字、その瞬間に身体に急速なひねりを加える。そのまま着地と同時に蹴りつけた大岩が粉々に。
 ここで、大岩が粉々になる派手な瞬間に注意を奪われてしまってはならない。そこに本質はない。大事なのは、滝の投げからまったく切れ目なく蹴りに移行した、という点である。ここで一文字は、敵の攻撃の力を身体のひねりによって自らの攻撃にそのまま繋げる、という技術を体得したのだ。そう、この防御から攻撃へのひねりによる連続的移行こそ、ライダー卍キックの核心なのである。

4 そして決着へ

 さあ、アリガバリとの二度目の、そして最後の対決の場面である。
 極めの瞬間は以下のようになっている。アリガバリ、舌を伸ばして2号の腕を絡めとる。そのまま左手の爪の連撃、連撃、連撃。その瞬間、2号は、一撃をかわすジャンプの動作を、ひねりにより、そのままライダーキックに繋げたわけだ。この一撃には、さしものアリガバリもカウンターをとることはできなかった。かくして、強敵アリガバリ、轟沈。これだ。これがライダー卍キックなのだ。

5 おわりに

 まとめよう。
 ライダー卍キックとは、ひねりにより破壊力を増加させたライダーキックではない。ライダー卍キックとは、ひねりにより、防御から連続的に放つライダーキックなのだ。
 たしかに、ひねりにより攻撃力も増加しているかもしれない。しかし、それは、あったとしても副産物であり、そう大幅なものではないと考えられる。大幅な攻撃力増が見込めたのならば、対アリガバリ戦以降も使っていくはずだ。それがないのは、卍キックが防御即攻撃を狙う綱渡りの返し技だからなのだ。
 卍キックの卍は、キックの姿勢のみを表しているのではない。攻撃と防御がまさに一体のものとして組み合わされた様をも示しているのである。

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