紺野キタ『ひみつの階段』の時間論

 女子高で百合百合でメロリンラブな作品として、今野緒雪『マリア様がみてる』シリーズが人気だ。ただまあ、『マリみて』はさしあたりどうでもいい。
 ソレな系統でいうならば、紺野キタはもっと評価されてしかるべきでしょう。そう私は思うわけだ。本稿は、その代表作である『ひみつの階段』シリーズを中心に扱い、紺野キタの独特な魅力を分析してみたい。
 『マリみて』はどメジャーであるが、『ひみ階』は知らない方も多いかもしれない。未読の人は、私の駄文など読んでいないで、まず本屋に走っていただきたい。

 『ひみつの階段』(以下、『ひみ階』と略記)は学園モノである。しかし、当然のことながら、通り一遍の学園モノではない。『ひみ階』を『ひみ階』たらしめているものは何か。言うまでもなく、その時間論であろう。
 『ひみ階』の舞台たる祥華女学院においては、通常の時間法則は成立しない。あらゆる時代の生徒たちの生活が同時に同じ舞台に登場する。階段において、また、お茶室において。ゆりこさんの世代から酒井先生の世代、篠原まゆりの世代、山口センセと安藤みゆきの世代、そして現役の美作軍団から風間夏とゆかいな仲間たちまで、すべてが一堂に会しうる場、これが祥華女学院なのである。

 では、このような『ひみ階』の時間論は、何を結果するのか。

 まず、こう考えられる。この時間論は、まず第一に、かつてここにいたが今はいない世代の臨在、を可能にしている。しかしこれは裏を返せば、現役の夏ちゃん世代でさえもやがてここにいなくなる、時の流れとともに祥華を去っていく、ということを強調するものでもある。すなわち、祥華の学生生活は、それがつかの間のものであることの感覚と徹底的に表裏一体なのである。
 逆説的ではあるが、あらゆる世代の同時存在が、その同時存在しうる場の短さを示すのだ。

 これを、『ひみ階』の視点が徹底的に過去形である、というように表現することもできよう。かつてここにいたが今はいない世代の臨在、これは過去の想起と容易に重なりあう。すなわち、『ひみ階』のあらゆる描写には、たとえそれが現役の夏世代のシーンであったとしても、過ぎてしまったあの日々を思い返す、という香りがつねにつきまとう。現役のはずの夏世代であっても、今はもうそこにいないかもしれない。すべてが過去へと押しやられていく構造になっているわけだ。

 さて、以上の事態をどう読み取ればよいのか。
 祥華女学院という場所には、十代のほんの一瞬しかいることはできない。それはごく儚いものである。言葉にしてしまうと月並みであるが、その儚さを尊さに至るまで徹底的に先鋭化させること、これが紺野キタの基本的な思想である、と思われる。稀少性重視の論理とでも名づけられようか。
 この思想はほとんどの紺野キタ作品に一貫して現れ、その独特の雰囲気と魅力を生み出している。『ひみ階』の特殊な時間論は、この思想を表現するための方法論として解釈することができる。ちなみに、この儚さの感覚は、失われた過去の想起において最も典型的にみられるものだ。それゆえに、紺野キタの作品の多くは、過去形の視点とでもいうべき雰囲気をまとうのだ。

 現時点での最新の単行本『Cotton』においても、儚さを尊さに至るまで徹底的に先鋭化させる、という思想は確認できる。そして、着目すべきは、それを表現する方法論として、やはり、特殊な時間性を導入する、というものが採用されているということであり、また、それが世代間の横断を利用して行われている、ということである。
 表題作「Cotton」は、世代の異なる二人を主人公に据え、その視点を交錯させる。「私も昔はそんな表情をしていたのだろうか」「私 小さい頃からずっと“大人になった自分”が想像できなくて とても20才まで生きられないような気がしてた」。この交錯が、『ひみ階』における特殊な時間論と同様の機能を果たす。「残暑」もまた、祖父と孫の少年、祖母と孫の少女という、世代の異なる視点を交錯させている。
 「生物T」においては、世代間の横断という方法は使われていない。しかし、時間論はやはり重要である。「もしかしてさ ずっと昔、僕は鳥で」「君は魚で」という台詞から、一気に時間軸を拡大することにより、いまここの儚さの尊さを描いていく。
 「手紙」や「朝の子供」においては、この事情は希薄である。そのぶん、儚さの感覚も少ない。ただし、やはり、二人の少年が出会うポストは旧式でなければならなかったりするし、大人の自分にとっての問題が子供の夏休みの宿題に重ねあわされねばならなかったりする、ということは面白い。

 繰り返そう。儚さを尊さに至るまで徹底的に先鋭化させること、これが紺野キタの思想である。

 ちなみに、私がいちばん好きな紺野キタ作品は、実は『ひみつの階段』ではなく、なんのギミックもなく直球で儚さの尊さを投げ込む「あかりをください」だったりする。

ページ上部へ