平成ゴジラシリーズメモ

 いわゆる平成ゴジラシリーズ二期三期についての私的なメモである。適当に記憶だよりで書いている。すでにどこかで述べておいたことと思うが、私は東宝特撮にそれほど思い入れがあるわけではない。熱心な信者の評価は、甘くなるんだか辛くなるんだかわからんが、また異なったものとなるのであろう。それにしても、二度目のハリウッド版ゴジラがもう来年に迫っているのか。今回はどうなることやら。

ゴジラ(1984)

 いちおう昭和の作品ではあるが、まずは当然この作品から。大災害政治シミュレーションとして頑張っているところは好感度大である。ただし、そうなると、怖いのは怪獣よりも国家のエゴとその衝突、となってしまうのが怪獣映画として難しいところである。さらにこの作品のゴジラはトカゲレベルに頭が悪く、文字どおりの鳥頭。このあたりにも、ちょっと肩透かしな感じが漂う。あと、スーパーXはわりと私は好きである。

ゴジラVSビオランテ(1989)

 見直してみて、平成ゴジラでもっともよくできているのはこの作品である、という結論を再確認した。記憶に残るいいシーンが随所にあって、見直していて何度も「ここだよ、ここ」と呟いてしまった。欠点を挙げるとすれば、以下の二点である。一つめ。銃撃戦がそのまま80年代和製TVドラマのしょぼさで、これがとにかく哀しい。圧倒的質量で迫る超巨大ビオランテとゴジラとの戦闘をあそこまで魅力的に描くことができるのに、どうしてこうなった、と嘆かざるをえない。物語の最初のアクションが銃撃戦なので、私はこの作品を見るたびに、そこでまず萎えてしまうのである。二つめ。これはこの作品だけのことではないのだが、バイオテクノロジー系SFで日本人のキャラクターに「神の領域を侵犯した云々」という警句を語らせるのが、どうにも私は好きになれない。あれは、神が生命を創造したという教義を明確にもっているキリスト教文化においてはじめて重い意味をもつ台詞であろう。安易に日本人キャラにこれを言わせているシーンを見ると、ああ、脚本家が海外のカッコいい台詞を翻訳して考えなしに使ってしまったのだな、と、私はこれまた萎えてしまうのである。

ゴジラVSキングギドラ(1991)

 特撮、脚本、演技、すべてが奇跡のようにヘッポコ。うお、酷い、と思わず声に出してしまうほどアレな似非ターミネーターなどは、逆の意味で一見に値する。このゆるふわ感を楽しむ境地に私はまだ達しえていない。作品そのものについてどうこうというよりは、これでいいや、と思ってしまった制作陣にたいしてちょっとイラっとくる。

ゴジラVSモスラ(1992)

 冒頭の激烈にお寒い『インディ・ジョーンズ』のパクリが私にとってはかなり辛い。面白い面白くない以前に、他人の褌で相撲をとって恥じないプライドのなさが嫌なのである。ただし、バトラという怪獣はけっこう好きである。戦闘的昆虫は私の趣味に合うようだ。また、本歌取りの要素がちりばめられているところは気に入っている。こちらはリスペクトであってパクリではない。

ゴジラVSメカゴジラ(1993)

 メカゴジラがポンコツで関節がまったく動かない。棒立ちのままジェットで移動して、棒立ちのままビームを撃つだけ。お約束事には肝要なはずのこの私が耐えきれなくなって、これなら怪獣型にする必然性ないよね、と突っ込んでしまった。話の展開は王道で悪くはないと思うのであるが……。

ゴジラVSスペースゴジラ(1994)

 モゲラが動かない。以下、上と同文。スペースゴジラは設定のいい加減さも含めて、わりと好きである。全体としては、柄本明が浮きすぎていて、なんだか変な映画になってしまっているような気がする。

ゴジラVSデストロイア(1995)

 311後に見ると、いろいろとヤバくて面白い。今リメイクしたら、ラストは東京全土が放射能汚染で壊滅して絶望のままで締め、ということになるのかしらん。デストロイアは平成ウルトラマンあたりに登場しそうなデザインで、そのTVチックさがちょっと安っぽく感じられてしまうのが残念である。また、人間側のキャラクターも少々小粒で印象に欠けるのであるよね。

ゴジラ2000ミレニアム(1999)

 頑張って世界観を組み立てているところは気に入っている。しかし、爆破予定のビルからデータを回収しなければならない、というミッションで物語を引っ張っておきながら、そのデータがその後ほとんどなんの役にも立たない、というのはどうかと思う。ここは脚本上の穴としてはちょっと大きめである。なにかもう一工夫があれば、と残念に思う。

ゴジラVSメガギラス G消滅作戦(2000)

 子どもがメガニューラの卵を捨てるあたりのくだりが、いかにも子どもの行動っぽい無責任さで気に入っている。また、ゴジラとメガギラスの戦闘は、メガギラスが昆虫型ということもあり、プロレスチックにならない緊張感と意外性があって私は大好きである。平成シリーズの怪獣バトルではいちばん好みである、と言ってもよい。しかし、田中美里のヒロインの造形が、無能のくせに威張り散らしてドヤ顔キメ顔、とまったくもって魅力に欠けていて、そこで心底萎えてしまう。

ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃(2001)

 大好き。ハム太郎と同時上映で、私の行った映画館ではネズミども目当てらしき子どものほうが多かったのが懐かしい。この作品のいいところは、怪獣特撮映画の根っコにある欲望の一つ、すなわち、この不愉快で退屈な日常などコナミジンにブッ壊れて、この日常世界そのままで幸せだとか楽しいだとか思えているような能天気な連中は社会制度ごとみんな豚のような悲鳴をあげながら為すすべもなく死んでしまえばいいのに、という欲望をよくわかったつくりになっているところである。(ちなみに、311のような現実の災害は、まさにこの日常を支配する不愉快な諸々の論理を浮き彫りにするだけなので、この欲望を満たすことはできない。)映画全体について言えば、いくらでも穴を指摘することは可能なのだが、大量殺戮シーンのよさで許せてしまう。ところで、私は上述の欲望を愛する一方で、どんな日常にもささやかだがかけがえのない価値があって、それを守らなければならない、という、ヒーロー妄想も同じくらい大好きである。妄想の方向性は正反対なのであるが、たぶんこれ、同じコインの裏表なのかもしれない。

ゴジラ×メカゴジラ(2002)

 大好き。これは怪獣映画ではない。スーパーロボット映画である。ゴジラを思いきってたんなる敵役にして、メカゴジラをメインに据えたことが成功であった。三式機龍は鳥肌立つほどかっこいい。組織内の不協和とその解消、という展開をもうちょっとテンプレートに頼らずに描くことができればなおよかったのであるが、そこまで贅沢は言わない。ゴジラ映画とされているせいで見逃してしまっている視野の狭いロボットアニメ好きに是非見せてあげたい作品である。

ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS(2003)

 スーパーロボット映画の続編。三式機龍のかっこよさは相変わらずだが、前作に比較すると、個々のキャラクターが薄いうえに配置も散漫で、物足りない。ここでずいぶん損をしている。あんなヒロインなら要らない。もっと三式機龍のパイロットを掘り下げて、主人公の整備兵とホモホモしく絡ませなければ駄目でしょう。あと、モスラを登場させると、どうしても薄っぺらいエコ説教が入って話が幼稚になりがちなのが不満である。

ゴジラ FINAL WARS(2004)

 ゴジラの暴力を直球に描いていると、どうも私の点数は甘くなりがちである。この作品も嫌いではない。ただ、人間どうしのアクションを盛り込むのはいいとしても、ヒーロー松岡昌宏、ヒロイン菊川怜、ついでにライバルのケイン・コスギ、このあたりにまったく魅力がないのが実に辛い。ドン・フライが実に素晴らしくかっこいいので、彼を主人公に据えておけばよかったのに。しょっぱいアイドル映画臭が作品の魅力を数段落としてしまっている。

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