アニメ版『Another』の二つの問題点とその回避不可能性

はじめに

 原作の綾辻行人『Another』上下を読了した。いい機会なので、アニメ版『Another』について気になった点を二つ論じておきたい。微妙なネタバレを含むので注意されたい。ちなみに私は漫画版は未読である。

 アニメ版『Another』であるが、全体としては、アニメ版はB級悪趣味スプラッタホラー+キャラ萌えでなかなかによくできていたと思う。さて、原作との比較のうえでアニメ版を論じるさいにしばしば問題となるのが、ラストの生徒同士の殺し合い展開である。そもそも、小説とアニメというジャンルの差異を考慮すれば、それが実際にどこまで上手くいったかは別として、あのような派手な展開を入れるという改変の試みそのものはきわめて合理的なものである、と考えざるをえない。そして、このテキストは、アニメ版『Another』の問題点を論じることで、この改変にかんして、さらに二つの理由を付け加えるものである。

巨乳問題

 一つめの問題は、私が長らく気になっている、中学生という設定とその描きかたにかかわる。

 ホラーとしての『Another』を考えると、中学校という舞台設定がかなり重要になっているように思われる。前半のいじめへのミスリードの仕組みも中学校が舞台であるからこそのものであるが、それだけではない。「現象」に巻き込まれるのが、行動の選択肢も狭く自由になる手段もそれほどない中学生の子どもたちであるからこそ、逃げ場のない閉塞感が色濃く出るのである。時間的空間的に舞台を狭く区切れ、というのは、ホラージャンルのよく知られた経験則であるが、これの応用というわけだ。

 ところが、「私家版属性事典」「中学生属性」項の(2)ですでに指摘したが、我々の娯楽アニメの文化においては、中学生と高校生の描き分けにそれほど意識が払われることがない。アニメ版『Another』もその流れに乗っている。夜見川北三年三組のキャラたちは、たんに制服の学生として描かれているだけで、きちんと「高校生ではない中学生」として描かれてはいないのである。

 そして本題となる。そのような「中学生ならでは描写の欠如」に負の方向で拍車をかけてしまったのが、あの水着回である。水着になった中学生女子キャラは三人であるが、そのうちの二人がとんでもなくけしからんわがままボディに描かれてしまったのである。赤沢泉美と杉浦多佳子のあの発育は、中学生キャラというには無理がある。かくして、アニメ版『Another』には中学生ならではの閉塞感が決定的に欠けてしまった。アニメ版がラストの展開を過剰にB級スプラッタホラーの方向へもっていったのは、この閉塞感が足りなかったぶん暴走せざるをえなかった、ということもあるのだ。

 さて、ここまで書いて手のひらをくるりと返さざるをえないのが難しいところである。このように考えつつも、結論としては、私はアニメ版『Another』はそれでいい、と判断せざるをえない。赤沢さんも杉浦さんもあの感じで実に可愛くまとまっているからである。そもそも、三年三組の連中をいかにも十数年前の田舎の公立中学生っぽい感じに忠実に描くべきである、などという主張は馬鹿げている。それではモッサリしすぎて、現代オタに向けた深夜アニメとして成立しない。かくして、私はアニメ版『Another』の巨乳をいかに評価すべきか、という問題の前で立ちすくまざるをえないのである。

不細工の不在問題

 以前から私は漫画やアニメにおける不美人描写が気になっていた。このあたりは「私家版属性事典」「不美人属性」項を参照されたい。我々オタクのほうを向いた漫画やアニメでは、世間一般のほとんどの人間がそうであるような「凡庸きわまりない平均的不細工さ」を表現することが難しいように思われるのである。

 ところで、私がホラージャンルに期待する怖さとは、これが自分にまさに現実に降りかかるかもしれない、という怖さである。物語の中の怖さは結局のところ物語の中のことなので、本当の意味で怖くはない。そして、読み終わればそこでその怖さも終わってしまう。本当に我々が怖くなるのは、ひとしきり怖い話に耳を傾けた後で、

「そして……それは今お前の後にいるぞ!」

と言われた時であろう。つまり、私にとっての本当に怖いホラーは、読んでいる物語そのものをを怖がらせるものではなく、読後に現実を怖がらせるようなものなのである。一人でお便所に行けなくなっちゃう、というアレだ。一つ注意しておけば、これは、ホラーの怖さにかんしてだけの話である。ホラーというジャンルの面白さは、このような狭義の恐怖以外にもいろいろあり、それは物語そのものに属するものでありうる。この話はホラーがもつ他のさまざまな含みやその価値を否定するものではない。

 さて、ここで注意すべきは、そのようなホラーが成立するためには、ホラーに描かれる舞台が読者たる私の現実とどこか地続きでなければならない、ということである。そうでなければ、この現実が怖くなることはないだろうからだ。もちろん、虚構でしか成立しえない舞台で展開されるSFなホラーやファンタジーなホラーもある。しかし、私にとってはそのようなジャンルは、恐怖させるというよりは、ビクッと驚かせたりグロテスクなものを見せたりすることに主眼をおいたものに感じられてしまう。いくら物語として面白くても、欲しかった恐怖を与えてくれるものではない、と言わざるをるをえなくなってしまうのである。

 さて、『Another』である。原作とそもそもの設定は、まさに「自分に降りかかるかもしれない系」の恐怖を志向したものであろう。『Another』を読んだあとは、階段を下りるのも道を歩くのも死亡フラグのように思えてしまう、というわけだ。しかし、ここで問題が生じる。アニメ化されたときに、三年三組のクラスメイトたちば、先ほど指摘したような現代オタク文化における深夜アニメの流れに沿って、全員それなりの美少女美少年に描かれざるをえなかった。しかし、サブキャラモブキャラ含めて可愛すぎるあのラインナップは、読者あるいは視聴者の現実との地続き感を決定的に阻害してしまっている。そのため、アニメ版『Another』には、盛ることができたはずのホラーらしいガチの恐怖感が欠けてしまった。簡単に言えば、美少女美少年ばかりなので、所詮アニメのなかのことでしょ感が出てしまい、運が悪ければ自分も五秒後にこんな感じで事故死するかもしれない、という思いが弱まってしまった、ということだ。このように考えると、アニメ版のラストの殺った殺られたの大盤振る舞いは、この欠けた面白さの分をスプラッタとアクションで補うための必須の改変であったことが理解できるであろう。

 あとは前半部と同じような話になる。だからといって「凡庸きわまりない平均的不細工さ」に特化したキャラクターデザインでアニメ版『Another』をやるべきか、と言えば、そんなことはあるはずもない。アニメ版は、あの可愛らしい桜木さんや杉浦さんや小椋さんがあんなことやこんなことになるから面白かったのである。不細工の不在問題の前でもまた、私は立ちすくまざるをえないのである。

おわりに

 最後にアニメ版『Another』が充実した眼鏡アニメであることを強調しておきたい。眼鏡女子は、桜木さん、杉浦さん、柿沼さん、そして玲子さん、みんなそれぞれ似合ったデザインの眼鏡をしていてよりどりみどり。眼鏡男子も、風見くんと辻井くん、千曳先生に久保寺先生と、四人もいる。作品の性格上、死亡率イコール活躍率だとすれば、いかに眼鏡属性が優遇されていたかわかるであろう。死亡率イコール活躍率だとすればであるが……。

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