「寝取られ」の醍醐味

はじめに

 少々下品な話題なので、その手の話は嫌い、という方は注意されたい。

 エロシチュエーションの好き好きは属性の好き好きにも増して情緒的な反応に依存するところが大きい。しかし、それはエロシチュエーションの論理を分析することが一般的に不可能であることを意味しない。語るべきことはいろいろある。本稿の課題は寝取られシチュエーションである。

 寝取られというシチュエーションを愛好する人がいる。私はその趣味があまりなかったのだが、そうであるがゆえに、これをきちんと理解したい、といろいろと考えてきた。現段階での思うところをまとめておきたい。

寝取られの特殊性

 寝取られが苦手という人は少なくない。一見、このことは、他のエロシチュエーションでも同じであるように思われる。すべすべしたストッキングで無茶苦茶にあれをあんなふうに踏まれるシチュエーションだとか、着衣のままあれをああしたのをペロペロ舐めとるシチュエーションだとか、選ばれた紳士淑女にしか理解しえない性癖は多いからだ。しかし、この見かけは誤りである。寝取られが苦手である、という事態には、他のシチュエーションについての苦手さとは異なる事情が存するのである。

 寝取られが苦手である、という事態には、よく考えると、まったく異なる二種類がある。一つめは、寝取られるシチュエーションにあまり興奮できない、という意味での苦手さである。こちらは他のシチュエーションについての苦手さと同種のものであるだろう。しかし、それだけではない。二つめに、ある物語を「寝取られ」と認知することが上手くできない、という意味での苦手さがあることとに注意しなければならない。前者は価値的に苦手、ということであり、後者は認知的に苦手、ということである。この二つはきちんと区別すべきであろう。そして、後者の苦手さ、すなわち、認知的な苦手さは、寝取られシチュエーションに独特のものなのである。

認知的な苦手さ

 認知的な苦手さの内実を検討してみよう。問題は、ある状況が寝取られと認知されるかどうかが、その状況を誰を核にして記述するのかに依存する、ということにある。

 「ジョンがヘンリーによってサムを寝取られた」という状況があったとしよう。これが「寝取られ」シチュエーションになるのは、ジョンの視点からこの状況を物語った場合であり、かつ、その場合のみである。たとえばヘンリーの視点からこれを物語った場合には、これは「寝取り」シチュエーションということになる。また、サムの視点からこれを物語った場合には、これは「心変わり」や「不貞」といったシチュエーションということになる。つまり、客観的あるいは第三者的な状況の提示だけでは、寝取られシチュエーションは構成されえないのである。そこには必ず、誰の視点から物語が語られるのか、という視点の要素が噛んでいなければならないのだ。

 さて、ここで、寝取られの認知について、以下のように考えることができる。

 寝取られ好きは、たんに寝取られに興奮することができる、というだけではなく、上のような状況があったときに、自然に寝取られる側のジョンを物語の核であると認知しうるのである。

 ところが、寝取られが認知的に苦手な人は、上の物語を受容するときに、どうしてもヘンリーの視点から物語を読みとってしまう。しかし、これでは寝取られ感を味わうことはできない。こういったタイプは、寝取られが好きとか嫌いとかの以前に、寝取られを寝取られとして認知できないのである。寝取られに興奮しているように見えても、実は寝取りシチュエーションに興奮していたりするわけだ。

 さて、先ほどの例では視点中立的に状況を提示しておいたが、寝取られシチュエーションを謳う物語では、きちんと語り手やら主人公やらが寝取られる側になるように構成されている場合が多い。しかし、そうであってもなお、寝取られが認知的に苦手な人は、寝取られを寝取られとして受容することができないことがある。それは、寝取られにおける主体性にかかわる問題のせいである。節を改めて検討してみたい。

寝取られにおける主体性問題

 寝取られる者が語り手あるいは主人公の位置にあるのに、状況を寝取られとしての認知することに失敗することがある。それは以下のような問題があるからである。

 純文学が寝取られた者ジョンの苦悩を描く場合とは違い、オタクジャンルにおける娯楽としての寝取られシチュエーションには、実用に足るエロシチュエーションとしての機能が期待される。そのため、物語には、姦ったり姦られたりという描写が必ず含まれることになる。ここから、寝取られシチュエーションには、寝取る者ヘンリーが必ず登場し、エロシーンにおいて中心的な役割を果たさねばならない、ということが帰結する。また、寝取られであるからして、寝取られるジョンは、エロシーンの中心からは必然的に排除されることにもなる。

 これはすなわち、当該の状況のクライマックスたるエロシーンにおいては、つねに寝取る者ヘンリーが寝取られる者ジョンよりも前面に出ざるをえない、ということである。(サムの役割についてはここでは問わない。)寝取られが認知的に苦手な人は、これに引っ掛かってしまうのではないか。寝取るヘンリーのほうが、能動的であり積極的であるので、そちらに注意が流れてしまうのである。そのため、作者がいくら「こちらのジョンが主人公ですよ」と説明しても、どうもそれが納得できない。その指示に逆らってヘンリーを主人公として読んでしまう、とまではいかなくとも、「おいおい、こっちのほうが主人公じゃないかよ」とツッこまざるをえなくなってしまうというわけだ。

 さらに論点を付け加えよう。寝取られ感は、元のカップルの絆が強いほうがより充溢したものになる。たいして愛し合っていないサムと引き裂かれても、ジョンは苦しくもなんともないだろう。そのため、物語の開始時点でのジョンとサムの絆は強ければ強いほうがいい。しかし、ここにも罠がある。強い絆を引き裂くためには、寝取る側に強力な寝取り能力の発揮が必要とされる。しかし、これは、寝取る者への注目度を高める効果を生んでしまうだろう。少なからぬ寝取られ物語が、寝取る側が積極的に動いたために寝取られ状況が生じた、という展開を採用している。たとえば、ジョンとサムが愛し合っているところに、ヘンリーが割り込んできて、なんらかの手段をもってサムを籠絡してしまった、というようなことである。しかし、これを「寝取られ」と認知できるのは、才能があったりよく訓練されたりしている寝取られ好きだけである。苦手な人にとっては、やはり寝取るヘンリーのほうが、能動的あるいは積極的であるがゆえに、ジョンよりも主人公らしいように思われてしまうのである。

 以上のような事情があるために、寝取られシチュエーションは、他のエロシチュエーションにも増して、わかる人にはわかるが、わからない人にはどうにも手が出せない、というものになってしまうのではないか。

寝取られ入門の方策

 さて、私は寝取られが認知的に苦手なタイプである。どうしても寝取る者の視点を軸に物語を読んでしまう、というわけだ。最後に考えてみたいのは、こういったタイプにも寝取られの醍醐味を味わってもらうにはどうしたらいいのか、ということである。

 よく採用される技法は、寝取る者のキャラクターを感情移入を阻害するような不快なものにしておく、というものである。これはある程度は有効であるだろう。しかし、ピカレスク度満載の悪漢屑野郎にある種の浪漫を感じる文化というものもあるので、この技法も万能ではない。たとえば、私にとってはこの手はほとんど効かない。

 そこで、別の方策を提案したい。ポイントは、寝取られ状況が成立する主たる原因をどこに置くか、である。ヘンリーが原因であれば、すでに述べたように、これは寝取りシチュエーションとして認知されやすいであろう。サムに原因がある場合には、心変わりや不貞シチュエーションという意味合いが強くなる。そうではなく、まさにジョンに原因があって状況が成立し、また、ジョン本人がそのことを認識したうえで後悔しているとき、このときは、かなり苦手な人でも、これは寝取られだ、というように物語を読むことができるのではないか。

 端的に言えば、寝取られる側が能動的かつ積極的に動いたために寝取られ状況が生じた、という展開をつくればよいということだ。典型的なパターンは、愚行によるものである。ジョンとサムは愛し合っていたのだが、ジョンが愚かな決断をして、ヘンリーに嫌がるサムを渡してしまった、というようなものだ。この展開であれば、寝取られが認知的に苦手なタイプでも、十分にジョンの後悔や苦悩に揺さぶられ、寝取られの醍醐味を味わうことができるはずである。つまり、寝取られのうちでも、「後悔を伴う寝取らせ」が入門者向きなのである。

 寝取られ初心者、あるいは寝取られが苦手な人は、「後悔を伴う寝取らせ」から入っていくとよい。そのうち上手い具合にピントが合えば、こんどは火のないところに煙を立てて、あらゆる物語を寝取られとして認知することさえできるようになるかもしれない。「アニメやラノベで主人公カップルがイチャイチャしているシーンを見ると、ああ、この場からこの自分は排除されているんだな、と感じて、ガチガチに興奮してしまう」というところまで行けば凄いものである。もちろん私には理解できないが。

おわりに

 最後に謝辞を。このテキストはウェブログの記事をもとに加筆再構成したものである。有益なコメントをいただいたnaruku氏とoz氏に感謝したい。ありがとうございました。

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