『仮面ライダー響鬼』における中学生への成長圧力

 痛ましい過去として記憶の奥に押し込めていた『仮面ライダー響鬼』であるが、掲示板でのやりとりに触発されて少しばかり気づいた点が出てきたので、まとめておきたい。この作品、第三十話から極端な路線変更を行った。ところが、前半部までの路線にかなりの数のファンがいたこともあり、作品の方向性に反発する人たちによる、ちょっとした騒ぎが起きてしまった。『アイマス2』ばりの署名運動まで起こったことを私は記憶している。当然のことながら、そのような動きはなんら実を結ぶことなく、『響鬼』はそのまま変更路線を進んだ。そして、なんとも後味の悪い失敗作の一つとして、平成ライダーの歴史に名前を残したのである。

 さて、本稿で私が確認したいのは、前半部を評価していた人たちが『響鬼』という作品にいったいなにを見ていたのか、ということである。いまさらこの作品について云々することそのものに意味はないだろうが、そこからいくつかの一般的な洞察を引き出せるのであれば、昔話をする意味もあるのではないだろうか。

 議論を簡潔にするため、論点を一つに絞りたい。それは、ヒーローものにおいて「中学生」という年代がどのように扱われるのか、というものである。

 さしあたりヒーローは大人としておこう。ヒーローものにおいて、ヒーローと年少者を組み合わせる、という構図がしばしば採用されるのだが、この年少者がどれくらいの年代なのかによって、物語の構造がかなり変わってくるように思われるのである。注目すべきは、年少者にかかる成長圧力の種類である。「成長圧力」という言葉は私の造語であるが、物語の展開上キャラクターに期待される成長の方向性、という程度のことと理解していただきたい。

 「ヒーローと小学生」の場合、この小学生キャラには、「良い子になれ」という成長圧力がかかる。ヒーローの立ち居振る舞いから、嘘をついてはいけない、とか、弱い者をいじめてはいけない、とか、そういった教訓を学びとることが期待されるわけだ。このとき、当該の小学生は、そのまま立派な普通の社会人になればそれでよい。

 ところが、これが高校生となると、話ががらりと変わる。「ヒーローと高校生」の場合、この高校生キャラには、「次代のヒーローになれ」というという成長圧力がかかる。たんに立派な社会人になるだけでは済まず、ヒーローの後継者としての成長が期待されるのである。多くの高校生は、普通に社会に出ていくだろう。しかし、君は違う。ヒーローに出会ってしまったからだ。君はヒーローの背中を負って、修羅の道へと踏み出さねばならない。それが運命なのだ。こういったノリを思い浮かべていただきたい。高校生くらいになると、受け手はこういった展開を期待したくなってしまうのである。

 さて、問題は、「ヒーローと中学生」がカップリングされた場合である。実はここが難しい。その中学生には、「良い子になる」ことが期待されるのであろうか。「次代のヒーローになる」ことが期待されるのであろうか。年齢が微妙なので、一般論では決定できない。どの展開を採用していくのかは、個々別々の作品によって違うのであり、一般的な期待が成り立たないのである。

 これで道具立ては揃った。問題は『響鬼』である。この作品において年少者の位置を占めるのは安達明日夢であるが、作品前半部において、彼にはどのような成長圧力がかかっていたのであろうか。

 実は、これがはっきりしないのである。そこが面白い。

 『響鬼』という作品の前半部は、まさに「ヒーローと中学生」カップリングを採用したうえで、どちらの成長を描こうとしているのかをはっきりとさせないままに話を進めていくものであった。つまり、成長圧力の向かう先が明確に描かれていないのである。それでも、小学生あるいは高校生キャラであれば、一般的な物語の傾向性から、成長圧力にかんする期待が成立したであろう。しかし、明日夢は中学生である。成長圧力のありようが完全に不定のままに『響鬼』の物語は進められることになったのである。

 この定まらなさが肝である。前半部支持者は、ここに「繊細さ」を見てとり、以降の展開に期待をもったわけだ。他方、ここに「煮え切らなさ」や「迷走」を見て、評価を低く見積もる解釈もまた可能であろう。成長圧力の方向のぼかしこそが、『響鬼』前半部の解釈上の要なのである。

 では、『響鬼』にかんしてどちらの読みが正しかったのであろうか。この問いは、この作品が第三十話から極端な路線変更を行ったため、永久に決着がつかないものとなってしまった。前半支持者の読みは基本的に後半部についての期待込みのものであったので、路線変更後には、その成否について検証することが不可能になってしまったからである。このようなわけで、『響鬼』という作品そのものについて、この角度から語ることはもはや不毛であろう。

 ただし、我々はここから一つの認識を得ることができる。すなわち、「ヒーローと中学生」という微妙なカップリングには、まだまだ可能性が秘められている、ということである。この可能性を引き出すことに挑戦するような、新たなヒーローものの登場を期待したいところである。

 このテキストは掲示板での応答をもとに再構成したものである。対話相手としていろいろとネタを引き出してくださった黒氏とnoir氏に感謝したい。ありがとうございました。

 以下、追記である。

 ここまで読んで気づかれた方もおられるかと思うが、このテキストには重大な問題がある。安達明日夢は『響鬼』の物語がはじまった時点ではたしかに中学生なのであるが、その後、目出度く高校生になっている。しかし、そのあたりの事情がすっぽりと抜けてしまっているのである。このすっぽ抜け、掲示板でRevol-crasher氏にご指摘いただくまで、私はまったく気づいていなかった。ご指摘たいへんに助かりました。

 これ、完全に私のポカミスで、ずっと記憶を封印していたところで、第一話の衝撃だけをピンポイントで思い出して勢いで書いたテキストだったので、少しして目出度く高校入学したことが脳ミソから丸々すっ飛んでいたのである。また、「中学生日記」という概念に引きずられたこともあるかもしれない。

 とりあえず、あらためて補強工事をすると、以下のような感じになるだろうか。

(1)基本的に、第一話の時点における『響鬼』の物語構造を分析の対象としている。

(2)また、『響鬼』前半部は、高校進学してはいるが、基本「中学生モノ」の構造を引き継ぐかたちで成立している、とも主張したい。「中学生モノ」とか「高校生モノ」とかいう概念は物語の構造を分類する道具立てなので、実際にその舞台が中学なのか高校なのかということは別に適用可能なものであることに注意されたい。

(3)ただし、後半部の扱いは少し変わる。後半部は「高校生モノ」に路線変更しているということになる。後半部では、桐矢京介や問題の明日夢の描き方も、ヒーローを継ぐべきだ、という成長圧力のもとなされていたわけだから。そして、彼らはそもそも高校生という設定なのだから、路線変更の向かった先そのものは、きわめて自然な方向であったと言えることになる。

(4)しかし、そのことと、実際の後半部が面白かったかどうか、出来がよかったかどうかは、別の話である。

(5)最後に、せっかくなので現在の私の心もちを述べておけば、このテキストを書いたことで憑きものが落ちたようなところがある。『響鬼』、完全に過去のことになったな。これからは記憶を封印しなくても生きていけそうである。

 ということで、あらためてRevol-crasher氏に感謝を。ありがとうございました。

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