痛みを知るサイボーグ

 何の気なしに『仮面ライダー』第一話「怪奇蜘蛛男」を見直してみた。

 改造されたばかりの本郷猛にたいしてショッカー科学スタッフが高圧電流を浴びせるシーンがある。何度もパロディのネタにされた、有名なシーンだ。しかし、これほどまでに有名で、また、自分でも何度か繰り返して見ていたにもかかわらず、私はこれまでそこに込められた深い意味にまったく気づくことができていなかった。

 重要なのは、ショッカー科学陣の台詞である。手術台で高圧電流にもだえ苦しむ本郷にたいして、白衣の科学者のひとりが語りかける。「火傷一つ君の身体には残らない。ただ、その苦痛は、脳改造が行われていないためだ」。

 そして続けるのだ、脳改造さえ済めば、痛みすら感じない完全な改造人間となる、と。

 そうなのだ。脳改造で失われるのは、まずもって痛みなのだ。そして、脳改造を受けることのなかった仮面ライダーには、人間の痛覚がいまだに残っているのだ。本郷猛が人類の平和と正義のために戦うたびに、その身に傷が刻まれる。そして、その傷は、生の痛みを伴うのだ。人間と同様の痛みを感じられる、ということが、ショッカーの改造人間と仮面ライダーとの決定的な差異を構成している、とも言えるだろう。

 機械の身体と化した戦士を人の世に繋ぎとめる細い絆のひとつが、戦いのたびにその身に刻まれる苦痛なのである。

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