踊るOP/EDの快楽

 自宅のパソコンで作業しなければならないことがいろいろとあるのだが、しばしば行き詰って息が詰まることがあるわけだ。そんなときふと気づくと、動画サイトでアニメやら特撮やらのOPとかEDをぼんやり見ていたりする。この手の趣味をもつ人であれば、誰でもある人生の一幕だな。
 それにしてもいい時代になったものである。記憶の底の底におぼろげに残っているだけだったあの歌をフルサイズで聴けるたりするのだから。『恐竜戦隊コセイドン』OP、『ベムベムハンターこてんぐテン丸』OP、『キャプテン・フューチャー』フランス版OPは、記憶の底にいろいろ沈んでいたようで、聴いていたら変な脳汁がダクダク出てしまった。まあ、それはいい。
 せっかくだからテーマを決めて観るか、と、しばらく踊るOP/EDばかりをいろいろと眺めていた。踊っているの好きなんだよ。で、あまりまとまっていないが、思うところを適当に垂れ流してみる。

 踊るOP/EDには、ある種の自由さがあって、それが私は好きである。
 本編で描かれる物語がキャラクターの第一の存在する場であるとしよう。このとき、OPとEDという一まとまりの動画がどのような場をつくっているのか、ということに注意すべきである。OPやEDは、本編から切り離されて独立した一つの映像単位として、別の場を構成しているのである。
 これは、キャラクターが、本編から抜き出され、物語の文脈から自由になったキャラクターそのものとして、OPやEDに登場することが可能になっている、ということを意味する。

 ここでダンスが面白くなる。本編の物語の文脈から自由になったがゆえに、キャラクターは自由に動くことができるようになる。OP/EDでは、本編では許されないような崩した動きも許される。本編の物語内の世界観の法則や雰囲気、本編の物語内のキャラクターの性格や能力、こういったものをかなり崩して動いても、楽しければよし、とされる。このような自由の可能性を最大限に生かすテーマは、ダンス以外にはないだろう。
 以上のように、OPないしはEDのという場が本編とは別物として完結していて、その中で、 その中だからこそ、自由に踊っていて、だから面白い、というのが、踊るOP/EDの快楽の基本だと私は思うのだ。

 ここでちょっと気になったことを一つ。昨今踊るOP/EDというとまず名前が挙がることの多い『涼宮ハルヒの憂鬱』EDのダンスの面白さは、私の立場からすると、典型的なものではない。
 ハレ晴れユカイのダンスは、私が先に特徴づけたところの「OP/EDのダンス」ではない。あれは「本編の物語内で、 三脚にビデオ据えて、教室で皆で踊っている映像流しました」の態のダンスであろう。つまり、あのダンスが踊られている場は、EDではなく、本編の延長なのである。このあたり、『らきすた』の最初数話のEDの歌が「EDの歌」ではなくて、「本編の物語内で、カラオケに行って、皆でテキトーに歌っている歌を流しました」の態なのと一緒である。この工夫がつくりだす独特の雰囲気が、あのダンスの興味深いところである。少なくとも私にとっては、ハレ晴れユカイの楽しさはOP/EDの基本文法をちょっと外してみせたところにあるのだ。
 それは裏を返せば、やっぱり基本は自由なダンス、OP/EDという枠内で遊び切るダンスであろうよ、ということでもある。だから、もちろんよくできていると思うし嫌いではないのだが、ハルヒダンスを軸にしてOP/EDダンス全般を語っている言説を見ると、あれ、と首を傾げちゃったりするのだ。

 話を変えよう。OPとEDの制約の差異も気になるところである。
 EDは文字情報が大量に差し込まれるので、それが画面に一定の縛りをつくってしまう。そのため、EDアニメにはある種の制約ができる。文字情報を読むのにストレスがかかるような動きを画面につくれないのである。たとえば、一つのテロップが出ている間にカメラを派手に振ってしまったり、キャラに画面からはみ出るような動きをさせてしまうと、文字を読んでいる人を酔わせてしまうだろう。EDにカメラ固定でキャラだけをその場で躍らせるダンスが多い理由は、一つには、このあたりにあるのだろう。これはまあ、誰でも気づくことだ。
 これを踏まえて、私はなんとなく次のように思うのだ。
 EDにこういう制約があり、それがぼんやりとした「EDらしさ」を構成しているとしよう。このとき、「OPらしさ」は、EDではできないことをやっている、ということにおいて成立するのではないだろうか。
 さて、ここで注目したいのが、OPのダンスなのである。ダンスを躍らせると、OPであってもどうしてもカメラを据えてキャラを枠内で躍らせてしまいがちだ。それがいちばんダンスをダンスとして魅せやすいからだろう。しかし、これだと、ダンスに「OPならでは感」が出なかったりするのだ。もちろんダンスはOPを構成する要素の一つにすぎないので、それでも別にかまわない。そういったダンスが組み込まれた楽しいOPもたくさんある。ただ、そうなのではあるが、いいところでカットワークとかカメラワークとか工夫してキャラだけではなく画面そのものをも踊らせているようなOPダンスにぶつかると、ああ、これだよこれ、と思って繰り返し観たりしてしまうのであるよ、私は。やはり「ならでは」の快楽には独特のものがあるのだ。

 さて、最初はこの流れを受けて、私的踊るOP/EDのベスト10を、とか思っていたのだが、なんだかあまり面白くならなかったので止める。この手の試みは難しいね。定番ばかりが並んでも面白くない。マニアックなものばかり選んでも年寄りの知識自慢になって嫌な感じだ。素直に選ぶと、これまで語ってきた理屈を完全無視で、たんに好きな作品が並んでしまったりする。仲間うちで酒でも飲みながらやるような類の遊びなのかもしれない。
 このところ、踊るOP/EDが語られるとき、わりとダンスそのものの可愛さとか動きのよさとかに注目がいきがちのように思う。とくに京都アニメーションのダンスがそういう語りを誘発しやすいところがあるからかもしれない。それはそれで間違いではないのだが、我々が観て語ろうとしているのは、たんなるダンスアニメではなく、あくまであるアニメ作品のOP/EDである、というあたりにもうちょっと注意を払ったほうが、我々が感じている快楽をより適切に説明することができるのでは、と考えて、こんなテキストを書いてみた次第である。散漫なまま終る。

 追記。

 リクエストがあったので、踊るOP/EDについて、個人史をかなりキツめに反映させた十選をつくってみた。(KB5さん、ありがとうございます。)もうちょっといろいろ調べて記憶を掘り起こしたりすれば変わってくるかもしれないが、とりあえずはこんなところだろうか。
 年代順に並べてみるとこうなる。

『伊賀野カバ丸』(1983)ED
『ストップ!ひばりくん』(1983)ED
『Gu-Guガンモ』(1984)OP
『おちゃめなふたご クレア学院物語』(1991)OP
『花より男子』(1996)OP
『こどものおもちゃ』(1996)OP「ウルトラ・リラックス」
『アリスSOS』(1998)OP
『ぱにぽにだっしゅ!』(2005)OP「ルーレット・ルーレット」
『女子高生 GIRL'S-HIGH』(2006)ED
『桜蘭高校ホスト部』(2006)OP

 そんなに踊っているかな、というものもある。そういうものについては、作品が好きなだけ疑惑、歌が好きなだけ疑惑が濃い。また、さすがに古いところは本編の記憶がかなり曖昧である。
 いくつかコメントを。『伊賀野カバ丸』はOPも大好きで、シュガーを「ウエディング・ベル」だけで語るな、と言いたい。『花より男子』は本編はほとんど見ていないのだが、OPは踊りまくって可愛くて、すごく好きなのである。『ホスト部』はダンスなのか微妙であるが、パートナー替えつつクルクル回るハルヒがこよなく可愛いのでよしとする。
 その他にも踊るOP/EDは数限りなくあるのだが、お気に入り10本となるとこれくらいか。あとは、けっこう楽しく踊っていても、定番にすぎたり本編に思い入れが薄かったりダンスはよくてもOP/EDの全体としての出来がイマイチだったりするものも多いので。

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