きみはメタルダーを知っているか

 きみはメタルダーを知っているか。

 私はヒーローには二種類の系統があると思うのだ。
 答えとしてのヒーローと、問いとしてのヒーローとが。

 昭和の仮面ライダーたち、たとえば風見志郎は、我々に答えを与えてくれるヒーローだ。彼の生き様は、我々がいかに生きるべきかの答えになっている。彼は答えであることによってヒーローなのである。
 答えを与えてくれるヒーローは、我々の同一化を許す。仮面ライダーV3の勇姿を見て、我々は風見志郎に自らを重ね合わせ、彼のようにありたいと誓うことができる。このような同一化が可能であることによって、答えとしてのヒーローは成立する。昭和の仮面ライダーたちはみな、この系統のヒーローであった。
 しかし、別の系統に属するヒーローが存在する。
 そのひとりが、超人機メタルダー、剣流星である。

 メタルダーは答えを与えてくれるヒーローではない。
 我々はメタルダーに同一化することはできない。我々は剣流星のようにありたいと願うことはできない。なぜか。彼が超人機であるからだ。彼がロボット人間であるからだ。
 劇中、メタルダーは、目覚めたばかりの曇りない目で我々人間の社会を、そして、人間社会の闇の結晶であるところのネロス帝国を見ていく。その彼の無垢なまなざしに、我々は同一化することはできない。人間である我々は、そのような無垢なまなざしをもっていないからだ。さらに言えば、我々はメタルダーとともにまなざす者ではなく、メタルダーによってまなざされる者であるからだ。
 ネロス帝国を統べる桐原剛造は、人間である。ゴッドネロスは異形の存在であるが、人外の怪物ではない。桐原剛造の悪は、人間しかもちえない、だからこそ途方もなく醜悪で強大な悪である。すなわち、ネロス帝国を見据えるメタルダーのまなざしは、人間である我々のなかに確かに存在する桐原剛造的なるものにも向けられているのだ。
 我々はメタルダーのまなざしに同一化することはできない。
 我々はメタルダーのまなざしに晒されているのである。

 メタルダーに我々は同一化することはできない。これはすなわち、メタルダーが我々にいかに生きるべきかという答えを与えてはくれないことを意味する。その代わりに、メタルダーのまなざしは、我々に問いを投げかける。超人機である自分に、超人機ならざる人間の生き様を見せてくれ、と。桐原剛造とは異なる生き様の可能性を見せてくれ、と。
 そして、その問いかけに応えようともがくことで、我々はヒーローの生き様とはなんなのかを自ずと学んでいくことになる。
 仮面ライダーV3風見志郎は、答えを与えることで我々を導く。一方、超人機メタルダー剣流星は、問いを投げかけることで我々を導くのである。

 そして最終回。ゴッドネロスの攻撃は、メタルダーの超重力エネルギー制御装置に致命的な損傷を負わせる。その結果引き起こされる超重力エネルギーの暴走は、地球をも破滅に導くものであった。
 すでに動くことすらできなくなったメタルダーは、超重力エネルギー制御装置を完全に破壊してくれ、と頼む。
 その結果、自分は超人機としての力をすべて失い、人間の姿にも二度と戻れなくなるだろう。それはすなわち、ただの機械に戻るということだ。剣流星が死ぬということだ。しかし、それでもいい、と彼は言った。それが自らの生きた意味なのだ、と彼は言った。
 かくして、兵器として生まれた超人機は、正義のために戦い、愛を知り、友情を知り、人として成長したその果てに、ただの一個の壊れた機械として我々のもとから去っていったのだ。

 そしてここでもまた、我々はメタルダーのようにあることはできない。
 人間であり機械ではない我々には、壊れた機械となることを選び取ることはけっしてできない。メタルダーに自らを重ね合わせ、浅薄な自己犠牲の悲劇に陶酔するなど、下劣極まりない冒涜以外のなにものでもない。
 メタルダーの選択に我々はけっして同一化することはできないのだ。

 ああ、でも、だからこそ、超人機メタルダーの存在は、私の心に深く深く刻み込まれて消えることがない。
 超人機メタルダーのその生き様に、超人機ならざる私は、メタルダーとは異なった仕方で、人間としてのやり方で応えなければならないのだ。

 メタルダーは問いを投げかける。いや、メタルダーだけではない。運命に翻弄されことごとく散っていったネロス帝国の異形の軍団員たちもまた、我々に問いを投げかける。
 それに応えようとすることで、我々は愛と勇気と正義へと導かれる。
 超人機メタルダーとは、そのようなヒーローだったのだ。

 きみの青春は輝いているか。
 きみの人生は満たされているか。
 そして、きみは超人機メタルダーを知っているか。
 きみは、ありのままの自分を太陽に晒すことができるのか。

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