『Kanon』と「変な女」

0 はじめに

 テキスト系のオタクサイトには、エヴァか鍵のゲームについてのイタい考察がなければならない。これが少し前までのお約束であった。というわけで、私もひとつやってみることにした。プレイしたのがかなり前のことなので、うろ覚えなのだが、私の『Kanon』の感想は以下のとおりである。

  1. それなりに泣けた。いや、正直、一部シナリオにはビョロビョロ泣いた。
  2. しかし、メインヒロインにはかけらも心を動かされなかった。
  3. 好きなのは、佐祐理さん、香里、秋子さん、美汐。つまりすべてサブヒロイン。
  4. 結論としての評価は、泣きは合格だが、萌えは不合格。

 この個人的な感想に理屈をつけてみたい。そもそも、私の感想に賛同しない人には、何ら訴えることのない議論となるだろう。ちなみに、ネタバレがあるので、未プレイの方は注意されたい。

1 『Kanon』の物語構造

 そんなに難しい話ではない。名雪シナリオを除く『Kanon』の物語は、以下のような構造をもっている。

  1. 変な女が出てくる。
  2. 変な女が奇行を行う。
  3. 変な女の正体がわかり、奇行の理由がわかる。

 この第三段階が泣かせるところ、ということになる、ここで、変な女が実は悲しい運命を背負っていることがわかって、みんなビョロビョロと泣くわけだ。私もみっともない感じで泣いた。まあそれはいい。

 以下の議論で指摘したいのは、上述の構造が必然的に招来する結果である。

2 シナリオのヒロインは誰か

 まず考えてみたいのは、『Kanon』の各シナリオにおけるヒロインは誰か、ということである。一番わかりやすい、真琴シナリオを例に採ろう。真琴シナリオと言っておいて何だが、実質的な物語のヒロインは真琴になっていない。美汐である。

 理由は簡単である。物語をつうじて、苦悩し、成長していくのは、美汐であって真琴ではないからだ。真琴の役割は、言ってしまえば美汐の成長のドラマのための単なる触媒に過ぎない。舞台装置でしかないのだ。

 同じことが、栞シナリオについても言える。栞シナリオのヒロインは香里である、と読んだほうが、辻褄が合うのだ。理由は同様で、物語をつうじて苦悩し、成長していくのは、香里であるからだ。

 ところが、『Kanon』の実際のゲームはもちろんそうなっていない。

 つまり、『Kanon』においては、ヒロインであるべきキャラとサブヒロインであるべきキャラが逆転してしまっているのだ。舞台装置がヒロイン顔でのさばっている。このへんが、『Kanon』が泣きゲーとしてはともかく、恋愛ドラマとしていまいち話が盛り上がらない原因になっている、と私は考える。

3 ヒロインのキャラの弱さについて

 では、いわゆるメインヒロインはなぜ舞台装置化してしまうのか。端的にキャラが弱いからである。

 先に指摘したように、『Kanon』の泣かせの主たる流れは、変な女の正体が終盤までわからない、ということにおいて成立している。ここから、以下の二点が帰結する。

 その一。変な女の正体は、最後になるまで明らかにされない。すなわち、必然的にヒロインの内面が深く掘り下げて描かれる局面がなくなる。

 その二。変な女と運命との関わり方は不変のままで終わる。最初からあった運命が、最後に明らかになる、というだけで、動きがない。換言すれば、変な女は成長しない。

 内面が描かれず、成長もしない。このとき、キャラの立ちが弱くなる危険性は大きくなる。そして、『Kanon』は結局、この危険な罠に嵌ってしまった。さらにそのうえ、『Kanon』は、ここから帰結する決定的なキャラの弱さを補強するため、非常に記号的で薄っぺらい萌え要素をふんだんに盛り込んでいる。これが、いよいよヒロイン連中のキャラのダメさを加速させることになるわけだ。

4 なぜ奇跡が起きるのか

 これまで触れてこなかったあゆシナリオと舞シナリオであるが、構造的欠陥は上述のシナリオと変わらない。あゆシナリオは、ただサブヒロインがいないので逆転もなにもないだけである。舞シナリオは、サブヒロインたる佐祐理さんもかなり変な女なので(それゆえ佐祐理さんも短いながらも独立したシナリオをもつことになる)、こちらはこちらで、どこをとっても変でどうにもならない、というわけだ。

 まとめよう。結局のところ、『Kanon』のヒロインには、ドラマ性が足りないのだ。

 ここで、『Kanon』の奇跡の役割が明らかになる。奇跡を使って、最後に強引にヒロインにドラマをつくってあげているのだ。

 そうしないと、変な女のキャラが弱すぎて、メインヒロインに見えてこないのである。たんに、変な女の正体と過去の因縁が解けました、という謎解きの快楽が残るだけでは、泣けはすれど、いまひとつ萌えてこない。さらに、先に指摘したように、一部シナリオでは、ここまでの段階ではサブキャラのほうが目立ってしまっている。これでは困る。

 仕方がない、外道照身霊波光線だけでは足りない、ということで、『Kanon』はヒロインたちに、もう一つ最後に山をつくってあげているのである。それが奇跡というわけだ。

 萌えにおける『Kanon』の奇跡の役割とは単純なものであって、彼女がヒロインですよ、と指し示す役割を担っているのである。死んだり生き返ったりでビョロビョロ泣かせる、ということだけではなく、物語の焦点をどのキャラに置くか、というところの制御にも機能している、ということだ。ただし、私はこの辻褄合わせがあまり成功しているとは思わない。

5 まとめ

 いろいろと論じてきたが、端的に言えば、ヒロイン連中ではなく、香里や美汐とイチャコラしたかった、ということだ。この二人、それぞれがそれぞれなりにネガティヴ方面に屈折しているダメ人間で、そこが私的に非常によいのである。自分は不幸で当然、と思っている子が幸せになる。これが正しい。

 ところで、佐祐理さんであるが、シナリオ上は彼女も変な女である、と言わざるをえない。しかし、佐祐理さん、その実体は、香里や美汐と同じく病んだダメ人間で、私の「幸せにしてあげたい」情念を激しくくすぐる。好きなのである、理屈を超えて。

 以上、『Kanon』について論じてきた。二次創作やラジオドラマ(水瀬さんち)の展開を見るにつけ、私のような感想をもつ人間は少数派ではないと感じるのだが、どんなものだろうか。名雪シナリオについては触れなかったが、まあ、いいだろう。秋子さんは非常に好きなのだが、これまた、ただ好きなだけで、別に分析するような理由はありません。

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