『サクラ大戦3』にみる自分で言っちゃあおしまいよ理論

0 はじめに

 『サクラ大戦』シリーズは、文句を垂れながらも、一応一通りやっている。

 文句があるのになぜ手を出す、嫌いならやらなければいいではないか、と言われるかもしれないが、もちろん好きか嫌いかと言われれば、好きであるよ。というか、すごく好きであるよ。だからこそ許せないこともあるのだよ。

 どこが許せないのか。もう聞き飽きた意見だろうから恐縮なのだが、シナリオである。シナリオの弱さには溜め息しか出ない。グラフィックやら音楽やら、他の要素になまじ金がかかっているだけに、アラが余計に目立つ。

 しかし、このように作品をただ叩いても、生産的ではないし、そもそも精神衛生上悪い。ということで、『サクラ大戦』を反面教師として、シナリオでは絶対にこれをやってはいけない、という教訓を一つ引き出してみることにした。

 論点を絞るために、『サクラ大戦3』に対象を絞り、考察してみよう。

1 自分で言っちゃあおしまいよ理論

 ある人がどんな人か知りたかったら、どうするか。いちばん手っ取り早いのは、ご本人に訊いてみることだろう。「あなたは何者ですか」と。当たり前の話だ。しかし、ここに問題がある。

 ある種の属性については、本人が自分で主張した時点で、それが嘘になる、ということがあるのだ。

 ところが、『サクラ大戦3』のシナリオは、このことをまったく理解していない。だから駄目なのだ。

 わかりにくいだろうか。具体例で論じよう。

2 巴里花組にみる自分で言っちゃあおしまいよ

 いちばんわかりやすいところから。グリシーヌである。

 彼女、高貴な貴族らしい。

 しかし、この人、自分でデカい声で、「私は貴族だ、私は貴族だ」って連呼するんですよ。これはまったく貴族らしくない振る舞いである。これでは下町の酔っ払いオヤジである。下品きわまりなくて嫌になる。

 高貴である、ということは、自分で言っちゃあおしまいよ。

 まだまだある。ロベリアである。

 彼女、魅力的な悪女らしい。

 しかし、この人、自分でデカい声で、「私は魅力的だ、私はワルだ」って連呼するんですよ。これでは、どこからどう見てもチンケな小悪党にしか思えない。萎えることはなはだしい。

 魅力的な悪女である、ということは、自分で言っちゃあおしまいよ。

 少々複雑であるが、花火。

 彼女については、異国の大和撫子というところでキャラを立てたかったようだ。このポイントは、いわゆる大和撫子というものをよく知らず、ちょっとズレた憧れをもっている花火であるが、実はその彼女こそが帝都の誰よりも大和撫子的魅力を体現している、という逆説にある。

 しかし、この人もまた、デカい声で「大和撫子ってなあに、大和撫子ってなあに」って連呼するんだよね。ここに情緒もなにもない。

 というわけで、彼女もまた、本当にただの大和撫子に憧れる人、で終わって、それだけになってしまうわけだ。

 大和撫子である、ということは、自分で言っちゃあおしまいよ。

 こう見てくると、貴族、悪女、大和撫子、このへんの、いわゆるオトナな属性は、一般的に、自分で言っちゃあおしまいなのである。つまり、『サクラ大戦3』のシナリオは、キャラに基本的な属性を付与する、という出発点の出発点から躓いてしまっているのだ。そもそものキャラのコンセプトは非常に魅力的であるのにもかかわらず、それを表現する段になって、すべてが台無しにされてしまっている。これではどうしようもない。

 ところで、おバカなエリカと子供なコクリコがここで例として挙がってこないのは、彼女たちがオトナ属性をもたないからであろう。この二人は描けてるのかもしれない。でも、私はバカもロリも苦手な属性なので、キャラ造形の成功不成功については自信をもって判定できない。

3 大神一郎にみる自分で言っちゃあおしまいよ

 自分で言っちゃあおしまいよ、というのは、先に挙げた例だけにとどまらない。実は、『サクラ大戦』シリーズ全体が、これに汚染されているのだ。

 プレイヤーの分身たる、大神一郎が一番の問題児なのである。

 この男、クライマックスのいい所になると、必ず敵に向かって「オレタチが正義だ」って言うのだ。そして何だか浅薄なお説教をするのだ。これは駄目だ。駄目の駄目駄目なのだ。

 どこぞの超大国の大統領(2003年5月現在)を見ればわかるように、自分のことを正義だ、と言うヤツってのは、典型的に胡散臭い。こういう台詞は、自分がこれから戦うことを正当化するためのものである。しかし、自分を正当化することが必要なのは、悪党だけ。本当のヒーローは、敵に向かって「オレタチが正義だ」とは言わないのだ。それまでのシナリオがしっかりしていれば、言う必要がないのである。ヒーローが戦わざるをえないことはもう敵にも味方にも読者にも誰にでも判るような状況、これがクライマックスにくるはずなのだから。ここに、下らない理由づけの台詞など要らないのだ。

 譲れないもの、守るべきものがあるから戦うわけだ。そして、それが何なのか、は、まともなシナリオならば、もうすでにきちんと語られている。つまり、彼が彼女が正義の味方である、ということは、自ずと見て取られる。そこにユルいお説教を更に被せる必要はないし、それどころか逆効果。インチキ臭くなる。

 つまりこういうことだ。正義の味方である、ということは、自分で言っちゃあおしまいよ。

4 おわりに

 『サクラ大戦3』を反面教師として使い、教訓を引き出してみた。しかし、こうして論じ終わってみると、自分で言っちゃあおしまいよ理論というのは、至極あたりまえのことしか言っていないような気もする。

 なぜそんなあたりまえのことを、私のような一消費者がプロに向かって言い立てなければならないのだ。お金払ってゲーム買っているんだから、ライターの先生方には、もっとちゃんとしてほしいものである。

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