2004年8月 この夏は首と胸とお腹のあせもに用心せねば



8/31(火)ファイナル

夏休み最後の一日。
今日は私、しっかり休みを取っていた。覚悟せえよ。
だけどあまり口出しはしない事にして適度に放っておいたら午前中には明日の準備が完了したとの報告を受ける。
なかなかやるな。
だったら午後からは遊んでいいよと言うと喜んでてんでに散っていった。

私は通知表に1学期の感想を書き、判子を押しランドセルの上に乗せる。
これで長かった夏休みもやっと終わると思うと安心してソファでお昼寝。
でもそのお昼寝でちょっとうなされる。なんでかなあ。



8/30(月)セミファイナル

今日も遅番で仕事だった。
子供たちにとってはうるさく言う親がいないので過ごし易い午後だっただろう。
午前中、びっちり見てやったからね。
息子の歩行記の仕上げに2時間は費やしたかしら。

息抜きも必要だろうと思い、午後からもしっかりやりなさいよとは言わずに出掛けた。

仕事が終わって子供らの進み具合をチェック。
ちょっと、息抜きし過ぎじゃありません?


8/29(日)カウントダウン

お祭りの最終日。
お昼に子供らを実家に預け仕事に行った。
夕食用に屋台の広島焼を子供に買っておいてくれるよう頼んでおいたのでそれを食し家へ帰る。

楽しみにしていたお祭りも終わった事だし残る二日間で夏休みの仕上げをしてくでよ。


8/28(土)苦手

昨日は息子の事じゃないんだけどあれからまたちょっとしたトラブルがあって。

地元のお祭りだったからそのまま実家に泊まったのね。
いつものように姉家族も一緒に飲んで騒ごうって事になってたから。

んで、三日前に車の運転免許をやっと取得した甥っこが車を運転したがってたのをよい事に
頼んでおいたオードブルを取りにスーパーまで乗せてってもらったわけ。
ちょっと恐かったけど初心者マークのついたワゴンRの助手席に座ると「シートベルトしてね」と。
はいはい。

スーパーまではなるべく大きい道を選んであげたかったのだけどなにせ町中はお祭りで通行止めになってたから
「細い道、OK?」と聞いたら「なんとかね」と言うのでその言葉を信じゆっくり進んでもらって
途中、イヤーな汗かいたくらいにしながらも無事スーパーに到着。

駐車場はやたら混んでいてやっとこ見つけた柱脇のところに車を頭から突っ込んで店内に。
今思えばこの時、バックで入れさせるべきだった。もうこの先、言うことはわかっちゃったね。

結構運転も慎重で上手じゃなーいなどとお世辞を言いながらオードブルを受け取りそれを甥っこに持ってもらってお菓子なども買う。
じゃ今度は次の店ねと車に荷物を乗せ席に座ってボケっとしていると「はい、シートベルトぉねえぇ」などと言われる。
全く、免許取りたてはうるさくていかんな。わーったよとカチッ。

そしたらさ、彼は後ろばかり気にしながらバックしていたもんだから案の定と言うかやっぱりと言うか、あははは。
右前のバンパーを柱にガリガリガリ。やっちゃったんだよねえ。

その瞬間「ストーーーップ」私は叫んでいた。
甥っこは頭の中が真っ白になってしまってただろう。
「ど、ど、ど、どうすればいい?」
ハンドルを切って元に戻れー

そしたらなんと右にハンドルを切ろうとしやがった。あほー。
ちがーう。反対方向だよ。
左に切らないでどこ行く気だどあほー
これ以上被害を大きくしてどうするんだー
いったい自動車学校でナニ習ってきたんだー

しかし、そこはほれ、大事でかわいい甥っこの事だから私は彼を落ち込ませないようにいつもより百倍くらい気を遣って優しく言ったわよ。
「大丈夫だよ。ほら、大した事ないない。うんうん、私だってやったことあるしさー
お父さんとお母さんには私から上手く言っといてあげるから心配しなくて平気だよー気にしなくて大丈夫だからさ」
...と、それらしき事をベラベラしゃべりまくり。

それでもショックを隠し切れない彼はボソっと「俺、バック下手だし苦手だから」と気分はどん底落ちまくり。
それとたぶん父親に怒られる事への恐怖も相まってたのだろう。可哀想なほどガックリしていた。
車の傷は、まあ、5万ってとこかな。あははは。はぁぁ〜。

そこからはその抜け殻を助手席に座らせ私が運転をし次の用事を済ませてから実家へ戻り玄関入るなりお義兄さんに勢いよく謝りまくり。
「ちょーっと車をぶつけちゃった。私が乗せてくれって言ったからだわ。あ〜ん、ホントにごめんねー」
お義兄さんは初めびっくりしてたけど私に飲まれ、「あ、いや。そんな事ないよ」と何とか雷も落ちずに事なきを得た。
それから思い付いたようにフッと自分の息子の方に振り向き態度が一変
「何やってんだろうなあおまえはー」と私の手前そうそう怒れないので声のトーンを落としながらそう言い車を見に行った。

遅かれ早かれ誰もが通る道つったー道なんだけどさ。悪かったよ。いやー、ごめんね。
立ち直りが早いっていうか、バカだっていうか、すぐにケロッとしたのは現代っ子(死語)ゆえか。

そんな甥っこにも遅まきながら大学生にしてやっと初めて彼女が出来たそうだ。
それもつい最近の事らしく、家に一度連れて来た事あるんだけど部屋に入ったまま出てこないで会わせてくれなかったんだよーと姉。
愛する甥っこに彼女が出来てちょっと寂しいような。でも嬉しい。

車を運転する事も女の子と付き合う事も初心者の彼ではあるが
彼女に対してもバックが苦手なんだよと情けない声を出さなければよいがと心配せずにはいられない叔母であった。おっと、失敬。



8/27(金)自由研究

さて、夏休みも終わりに近づきつつある今日、息子にはひとつやらねばならぬ事があった。
それは延ばしに延ばしていた自由研究。

何にするかは夏休みの前から決めていたのだけど前半は「暑い」という理由から、
そして中盤は姪っ子に振り回されてぐったりしたという理由から仕方なくこんな休みの終わり間際になってしまったのだけどその内容とは「歩行記」
目的地までひたすら歩くのである。

そして問題の目的地とは家から約10km離れた私の実家。車で15分弱のところだ。
持ち物はペットボトルとタオルと地図と万歩計とデジカメ
万歩計で1000歩毎にデジカメで写真を撮り地図にチェックを入れる。

さあ、どれくらい歩くのだろうか。
普通、人の歩く速さは時速4kmくらいだと言われているから順調に行けば約2時間半。
午後1時半に家を出て途中写真などを撮ったり一服したりするとしても3時間半あれば着くだろうと予想していた。だとすると私の実家への到着予定時刻は約5時だ。

1時半になり今日は久しぶりに少し暑くてかわいそうだなと思いながらも送り出す。
テクテクと田んぼの中の一本道をたまにこちらに振り向きながら手を振りながら進んで行く。歩く速さはゆっくりめ。
そんな姿を見ていたら何故だか胸が少しキュンとなった。がんばれ。

最初はほとんど田んぼだらけで距離にして半分ほど進むと酒屋さんがあるからそこから一度家へ電話を入れるように指示していたのだけど
3時になっても3時半になっても連絡がない。
やっぱり携帯電話を持たせるべきだった。
途中で何かあったんではなかろうか、車で追いかけてみようかなどと私にしては珍しく動揺し落ち着かない気分で部屋の中をウロウロ。でも息子を信じて待つ事にした。
でもでもやっぱり心配になって来たので4時までに電話がなかったらいつでも出掛けられるようにと支度していたら3時50分に電話。

「どうした?大丈夫?」と慌てる私に息子は少し疲れたような、でもとても落ち着いた様子で「連絡が遅くなってごめんね。大丈夫だよ、順調だよ」と逆に私を安心させるような言い方をする。思わずちょっとキタ。いつの間にそんな風になったんだ。

そうして息子に安心させられた私は落ち着きを取り戻しそれからよく聞いてみるとその酒屋さんには公衆電話がなくそこからしばらく行った先のコンビニから掛けていると言う。
ああ、私の下見不足だったわ。前はあったのだけど.... って、最新情報はいつの話じゃ。ごめんね。

そうして息子の無事を確認した私はウロウロを止め、遊びに行ってる娘を迎えて実家を目指す。左右見ながら車をぶっ飛ばし気味。もちろんシートベルトはちゃんとしてな。

だけどだいぶ先に進んだのかなかなか姿が見えてこない。
そして残り1kmくらいのところでやっと息子を発見。安堵。
もうちょっとだから頑張れと励ましついでにそろそろ1人で歩くのも飽きただろうからと彼の了解を得て娘も置いて一緒に歩かせた。
兄の事が大好きな妹はそれはそれは喜んで飛び跳ねるように付いてった。
初めの予定では娘も一緒に歩きたいと言ったのだけど息子がどうしてもウンと言わなかった。1人で歩いてみたいからと言って絶対に譲らなかった。いつの間にそんな風に頑固になったんだと思ったけど私は息子の意見を尊重して賛成する側にまわった。
はじめてのおつかいじゃあるまいし実際娘にはキツかろう。

しかしここまで何を思いながら1人で歩いて来たのだろうかなと笑顔の彼の横顔をちらっと見つめ
そして仲良く話しながら歩く2人を見届けてから私は一足先に実家へ行って待つ事にした。

午後4時45分、実家到着。
所要時間3時間15分。歩いた歩数約12500歩。歩行距離約10km。
ソファに座って麦茶を飲む息子が一回り大きく見えて眩しかった。


8/26(木)それって楽天っていうんじゃぁ

誕生日ってね、その日はまだ歳が増えないんだ。
だってその日のギリギリに産まれたかもしれないじゃない。
(すんなり白状すると私は朝方に産まれたらしいんだけど)

だから昨日は別にどうって事なかったんだけど今日になって
「あ、もう紛れもなく歳くっちゃったんだな」
と思ったらナニか逃げられないようにヒモで縛られているような感覚が私を襲った。

いや、事実は認める事にしよう。
もう悪あがきするような歳じゃない。

私はマルチな人になるんだ。
マルチと言っても「万能」って方の意味じゃなくて
いろんな方向から物を見れるっていう風な感じかな。
何事も悪く取っちゃいけない。
いろいろな事を良い方に考えてみるんだ。
んだ。
小さい頃から私がそうして来たように今一度その頃のピュアな自分を取り戻すんだ。


8/25(水)BVLGARI

夜は毎年我が家の恒例になりつつある新潟松浜の花火を見に行った。
長袖シャツの胸元には珍しくネックレスなんかしてみたりして。

花火の帰り道、夜風はもう秋のそれだった。

今年の夏は暑くて暑くてどうしましょう状態がしばらく続いたかと思えば急に涼しくなったりして気候的には何だかとても疲れる夏だったような気がする。
でも気分的には激しい強弱もなく落ち着いていた。
落ち込んで酒に溺れる事もなく無気力になったりもせず心穏やかに過ごせたと思う。
楽しい事を素直に楽しみ、嬉しい事を素直に喜んだ。
私はこの夏、ついに悟りを開いたって事なんだろうか。

うん。そんな事を思う今日は私の30代最後の誕生日だったんだ。


8/24(火)着せ替え人形

家の旦那、服のセンスは悪くない方だと思うんだけど
重ね着とかが苦手ならしくいつも単体で着ている。
今は夏だからね、コッパンやジーパンにポロシャツとかTシャツとかTシャツとかポロシャツとか。

無難なのだけど最近はちっともおしゃれじゃないなって気がしてきて少し悲しい。
その他はジャージでゴロンだし。

一緒に買い物に行っても私がコレどう?って聞くものはほとんど却下。
たまに冒険してみたらと言って勧めてみるんだけどこんなものどこへ着ていくんだと言われるばかり。
こういうのをお出掛け用じゃなくて普段から着ていればいいのにともう一押しするんだけどダメみたい。
普段着にお金をかけるのは下半身、つまりボトムスと靴だけ。
それも私が半ば無理矢理にいい加減それなりの歳なんだからと言ってその気にさせてやっと。

毎回私もそれでは疲れるので何か他によい方法はないものかと思案していたのだけど取りあえず新しい物を開拓してみようと思って通販で年間予約コレクションを頼んでみた。
そのタイトルは「休日ダーリン改造計画」
家の旦那はダーリンなんてもんではないが
毎月カジュアルな服が手を変え品を変えして送られてきて
1年後にはトータルでちょっとおっされーな旦那の出来あっがり〜になる、はず。

このままではオヤジになってしまうという危惧からではあるが嫁の勝手をどうか勘弁して欲しい。
と言う事でこれから1年間、少し私のオモチャになっていただきます。
ヨン様モデルのサングラスなんか買ってなくていいからさ、
もちっと面積のある部分も気遣いましょうよ。



8/23(月)よいこの多勢旅

朝早く息子は「よいこの1人旅」というタイトルがついた旅行社の企画物に出掛けた。
どこがよいこじゃ。
それにクラスの大半が参加するのでどこが1人旅なんじゃ。
そんなこんなで2度目の修学旅行みたいな感じになったこの旅行を息子は夏休み前から楽しみにしていた。
行き先は一日目にディズニーランド
浅草のホテルに泊まり二日目はディズニーシー
一日目の夕食と二日目の昼食は各自なのでその分とおみやげ代を入れて2万円渡す。
あいにく天気は雨模様。
何度も友達と集まって立てた計画通りに遊べるといいけどなと思いながら送り出す。

私は仕事が終わってからテニス、3回目。
先週はお盆休みだったので2週間ぶりのレッスンとなる今日は初め緩やかに始まったのだけど後半のゲームでは負けるまで続けるというものだったので不幸にも私は上手な人とペアになっちゃって4ゲームも勝ち続けてからやっと休む事が出来た。
903を飲み、汗を拭く。だけど手に力が入らずちゃんと飲めてないし拭けてないような変な感じ。
だけど交代のペアがすぐに負けてしまってまた出番。うそ。
でも今日も楽しかった。

夜は隣に息子が寝ていないベッドで大の字になった。



8/22(日)ハッパ2

娘のいない日曜日
やっぱり親の目は息子へ集中。人ごとながらかわいそうだ。
やけにくつろいでいるけど何かやる事忘れてないの?と聞くと姪が来ている間に出来なかったという自主学習をまとめてやる事にしたようだった。

夏休み中に何を自主学習にすればいいかと悩んでいた息子に買い与えたのが
「小河式プリント 中学数学基礎篇」

ひらがなも漢字もひじょーに汚い字で書く息子は去年あたりまで夏休みになる度にひらがなの練習をさせていた。
小学5年生でひらがなの練習とは誠に情けないが
「れ」とか「わ」とか今でも難読なほどに汚いので仕方ない。自業自得だ。
さすがに6年生になった今年はちゃんと書くからと言うのでしぶしぶ勘弁してやったがそれではと予習がてら中学の数学でもやってみるかって事で1冊買ってみた訳。
懐かしい方程式などもあるがほとんどは小学校で習うものに毛の生えた感じ。
いかに小学校で基礎をしっかり覚える事の大切さが見えてくるようだ。

この息子もあと3年で受験かと思うとため息が出るが
風呂あがりにおチンチンを出したまま私の目の前で腰を振り踊る後ろから父親にケツを叩かれ怒られているのを見るとこれまた別の意味のため息が出た。


8/21(土)一気に

娘は粟島へ一泊のキャンプに行き、息子はテニス。
そして爆撃機らはまた新幹線に乗って基地へと帰って行った。
するってえと急に我が家が静かになった。
静か過ぎる。恐いくらいだ。

それで次なる標的となったのがテニスから帰ってきた息子。
23日からディズニーリゾートへ出掛けるってのに自由研究と工作がまだ手つかずで呑気なヤローだ。

本人の言い訳
「あーちゃんが来てる間、こんなに何にも出来ないとは思わなかった」
それは認めよう。ご苦労だった。
しかし少しでも進めて楽しくディズニーランドへ行ければと思う親心からかなりキツくハッパをかける。

まあまあ頑張ったので夕方からはスモークタンを肴にビールを飲みながら3人でテレビ。
静かで不気味だ。
お客様3人と娘がいないだけでこんなに違うなんてね。
ホッとするが50%、ちょうどいいが40%、ちょっと寂しいが10%


8/20(金)恐い物見たさ

義妹は当初20日に帰るとおっしゃっておりましたがいつの間にやら明日に延期となったようでございます。
もうこうなりゃ9日間でも10日間でも同じだはいはい。

夕方に地区の子供会で軽く肝試しと花火を催しそこに姪も連れてったら仲間のお母さんたちに「大変だったわねえ」と言われ「そうなのよう、ちょっと聞いてよう〜」と言いそうになったが近くに旦那がいたので「そうな...げっ、あははウフフ」と笑って言葉を濁した。

今回は5日間連続で仕事だったので助かった。
また冬にも来るらしい。仕事入れよう。飲み会入れよう。実家に年始に行こう。

あ、そう言えば
15日の飲み会で正月に中学の時の同級会をする事にしたんだっけ。

自慢じゃないが中学の同級会は未だかつて一度も行われた事がない。
それというのも卒業時に同級会幹事は学級委員がするって事になったみたいなのだけどその委員2人は今じゃ居場所も分からない。
高橋く〜ん、松本さ〜ん。どーこいっちゃったの〜?

ならば私たちでと立ち上がったのはこの前一緒に飲んだY子とAちゃんと私。
前からしたいねとは話はしてたんだけどAちゃんが双子産んじゃったりしてここ3年ほどはそれどころではなかったからなあ。

9月になったら居場所調べをして案内出して連絡取り合って
正月には25年ぶりに何人かと逢える、はず。

あんまり変わってて誰だか判らない人もいるかな。
今から既にちょっと恐怖感がひしひし。



8/19(木)寝不足

オリンピックの柔道の決勝をLIVEで見たいが為にここんとこ毎日就寝が12時になってしまう。
車に乗っていると睡魔が襲ってくる。ばあちゃん飛び出してくるなよ。
少しの空き時間を見つけるとすぐに横になりたくなる。いかんな。

オリンピックが始まる前まではそんなに楽しみにしていた訳じゃなくて逆に全然眼中になかった訳だけどいざ始まってしまうとしょっぱなから柔道の快進撃に胸が躍った。
ヤワラちゃんには感動したね。でもあの野村の態度、あれはなんだ。
そのピノキオみたく伸びた鼻をペシって折ってやりたくなった。
と、まあ、一般庶民はテレビの前でビール飲みながら勝手な事言うわけで。

それにしてもスポーツ選手ってのは頭の中身も筋肉なんだろうか。
インタビューに答える選手が最初に付ける言葉は概ねこの3種類
「そうですねえ〜、」
「あの〜、」
「え〜、」

その言葉を頭に付ける事で次に言う文句を考え整理してるんだろうけど
あまりにも一言しゃべる前には必ず付けるので聞いてる方はだんだんムカついてくる。
特にサッカーのトゥーリオは「あんのぉ〜」と言う。こんのぉ〜だ。

そんな中で久しぶりに淡々としかも理路整然と話をするいい男を見つけた。
アーチェリーで銀を取ったあのおじさん。おじさんもとい、山本さん。ステキだわ。
顔も日焼けしていい感じだし目もキレイ。アスリートと言うより職人って感じね。

またもや年上の渋め系に走っている私だった。
オリンピックは競技を見るものです。



8/18(水)金→青

午前中に息子とその友達に頼まれてゲームセンターへ連れてった。
午後から仕事だったので11時半には迎えに来るからと言ってその間私は姉の家へ遊びに行く事にした。

姉は元気そうだった。
7月の末に退院し、それからは週に2度ほど通院する以外はいたって普通の生活をしている。
最初は2月に入院して退院するまでは2〜3ヶ月と言われていたのだけど結局仮退院の間も治療期間に含まれるとすれば完治に約5ヶ月かかった事になる。
でも今姉はこうして笑顔で家にいて私の目の前で話しをしている。結果オーライとしよう。

そうしてしばし雑談をし姉の様子もしかと確認出来たしそろそろ時間だからと席を立つ。
車に乗り込む時に「気を付けて帰るんだよ」といういつもの決まり文句を背中で聞き
はいはいと車を出しながらバックミラー越しに手を振る。

その帰る途中で対向車の青いトラックがパッシング。
え、なに?私のライト付きっぱなし?とレバーを確認。
なによ何も付いてないじゃないねえ、じゃあなんだったんだろうと思いながら再び前方に注意を戻しながら運転をしていると急に道路の左側に白い合羽を着た人が目に入り何やらこちらに向かって手招きしているようにも見えた。
道路工事で止まれって言ってんのかと思ったので減速してったら何故だか目が合った。
なに?私に何か用?え、やっぱ私?なんで?

こっちだよこっち、こっちに入りなさいと誘導するその先には見たくもない白と黒の車が。
こんな雨の中に取り締まりなんかしてんじゃねーよ。ったく。

そこで10分ほど説教され、私のゴールド免許は剥奪されてしまった。
ドーピングもしてないのにー
オリンピック恩赦とかもないのかよ。

ちなみに捕まったのはスピード違反じゃないよ。シートベルトだよ。くそ
ったれえい


8/17(火)H美の証言

一昨日のトイレで寝た事件、続報です。

あの時、30分は戻って来なかったらしいです。
しかしそんな長い時間、変に思ったり心配になったりはなかったんですか。
放置プレイですか。



8/16(月)風物詩

仕事、ちと忙しい。
バテて帰るとこれから花火をすると言う子供らがわらわらと出てきた。
お腹が空いているのに付き合わされ、早く終わりたいがために私も2本一緒に持ってやろうとすると怒られた上に奪い取られた。
お母さんは早くオリンピック見ながらビールが飲みたいよ。

最後に線香花火が残り、火を付けてそっと持ってみると終わり際にパチパチとランダムに火花が散りワーきれいと思う間もなくすぐに落ちてしもた。
安物のセット花火はこんなもんか。
昔の花火はもうちょっと根性があったぜな。

風物詩と言えばこの夏はスイカが美味しかった。
新潟が誇る八色(やいろ)スイカがどういう訳だか知らんが今年は絶品だった。

でも私、スイカって昔から嫌いでね。
何故かっていうと種を出すのが面倒臭いってのと手が汚れるからって言うただそれだけの理由だったんだけど食べやすく小さく切ればいいって事が近年になってやっと判ってそれからは好んで食べるようになった。
小さい頃は絵に描いたようなスイカの切り方だったもんな。
志村けんがぐがががが〜って食べるようなあんな形。
子供の食わず嫌いは親が作るもんなんだなとそんな事であらためて我が母を想うのであった。


8/15(日)生ビールと赤ワインに飲まれる

うふふん。今日から5日連続の仕事だもんねー。
仕事中は少なくとも私は姪から解放される。
おまけに今夜は飲み会だ。昼に出たきり明日の朝まで逢わないんだな
と思うと午前中にいくらまとわりつかれてもずっとニコニコしていられたあ〜んってわけ。

仕事が終わっていつものメンバーと、それからお盆休みをずらして帰ってきたY子と一緒に6人+双子ちゃんと飲む。

一軒目は先回行けなかった焼肉屋さん。うまかった。
あれだけ喰って飲んで1人4千円は安かったと思う。
双子ちゃんたちはレバーを好んでよく食べた。すげ。

二軒目は久しぶりにカラオケ屋。4人が歌うのは何故か洋楽ばかり。
みな、最近のj-popを歌えないらしい。

三軒目はカラオケ屋と同じビルの居酒屋。
その居酒屋で私は体調が急変し無言でふらふらとトイレへ行き、そのままその中でしばらく寝てしまう。ってか、寝てしまったようだ。ってか、何分寝てたのかも判らない。

どのような格好でそしてどこまで済んでから寝たのかが本人も疑問なところだが
店員さんに押さえ込まれるような事はなかったみたいだからジーンズ半脱ぎとか這って移動したとかじゃなくて
普通みたく出て来たんだろうなとは思って今さらながら胸を撫で下ろす。

席へ戻ったら「遅かったじゃない」と(たぶん軽く)言われたので、まあどんな程度なのかはたかだか知れている。
推定爆睡時間5分〜10分ってとこだろう。
しかしY子とH美が本当はとても寛容で呑気な友人であり
私がいなくなった事などどうでもいいヤツラだったとしたらどうしよう。なんて。
だけどちょっと青ざめてみたりして。

あはは。早くも疲れが出た模様でござる。



8/14(土)悲願のメダル

昨日とうってかわって今日は雨降りである。
すると当然のごとく子供らは家の中で騒ぐわけで、私は雨空を睨み付ける事となる。

しかし義妹の息子のてっちゃんは予想に反してとてもいい子であるのにはびっくりした。
駄々もこねないし無理矢理何かをしようともしないしまとわりついてくる様子もない。
何をするにも優しくそっとだ。そして1人でニコニコしながらあちらこちらと一カ所に留まる事なく常に歩き回っている。
ジジババにとっては甘えてくれないから物足りない位かとも思われるが
私にしてみればこんなに手間のかからない赤ちゃんは近年見たことがなく喜ばしい。
きっと姉(あーちゃん)に日頃から相当手厚くもてなされているのかもしれないな。てっちゃんご苦労。

忙しい一日が無事終った。
そして静かになった夜中にヤワラちゃんが金メダルを取った。
嬉しくてちょっと涙がチビった。


8/13(金)徐々にパワーアップ

そんな訳で昨日から主人の兄妹である義妹(私と同い年)が
あーちゃん(娘5歳3ヶ月)とてっちゃん(息子1歳4ヶ月)を連れて実家である我が家に帰って来た。
いや、帰って来たではなくて遊びに来ただ。
お帰り〜じゃなくていらっしゃ〜いなのだ。
ま、そんな事はどっちでもいいのだが悪意がないのならどっちかって言うとただ単純に「お帰り〜」と言ってあげた方が自然だろうかと思い、一瞬躊躇ったけど昨夜はそう挨拶した。
いつも迷うんだよね。って、変なとこで迷ってんなあ私も。

よくぞ1人で新幹線に乗って2人も連れて来たよ。そこは心底エライと感心した。
20日に帰るって言ってるから20ー12は8。8日間。
ん?何か間違ってるかもと思い指を折り折り数えてみる。
12,13,14,15,16,17,18,19,20
やっぱ間違ってる。9日間だー。

今日は朝から元気全開の姪が1人で騒いでいる。旅行疲れとかないのか?
明らかに昨日の朝とは違う風景だ。こぉれぇがあぁ〜現実なんだ。へえええ〜。
現実をすぐには受け入れられない自分がそこにはいたわけで朝起きて姪を見るなり目をこすってしまった。

だけど今日から私の旦那もお盆休みで家にいるので15日までは私の気持ちも軽くなると思うと嬉しくて。
おまけに今日は午後から子供らを海に連れて行くという。やた。

それに今までは私が休みの時は私が夕食を作り、6月になってからは朝食の準備も私がしていたのだけど義妹がいる間はみんなお義母さんがやってくれるとの事。やたやた。

悪い事ばかりじゃないんだ、と前向きに考えようと思った。
そう思わずには20日までなんてとてもとてもやってらんねー。

(参考文書:oopsな日々2003年2月1日〜5月5日diary)

8/12(木)願うばかり

忙しいとは思ったけどメールを打つ。
お義母さんが何時に着くのかが知りたいらしいんだ。

とうとう来るのかステルスが。
敵に発見されずに攻撃してくるのよね。
レーダーにも映らないはずだからコンタクトが取れるかどうかは不安だったけど意外にも素早くメールが返って来た。
「MAXに乗ってまーす」

敵は日本の新幹線に乗ってやってくるようだったステルスなのに。

私は午後から仕事だから着いたらゆっくりしててねと笑顔引きつりながら返信する。

勤務が終わりいつもより格段に重く感じる腰を上げて家へ着くと特攻パイロットが「おばちゃんお帰り〜」と外まで出迎えてくれた。
あら、この子こんなにかわいかったかしらと不覚にも勘違いしてしまったほどいい子な姪が目の前に来て抱きついて来てくれた。
いや、油断するでない。初日はいつもこんな感じだ。まだ着いたばかりで本調子じゃないだけなんだ。勘違いなんだ。

でも戦闘機だなんて言い過ぎよね。爆撃機だのテポドンだのってこんないたいけな少女をつかまえておばちゃんったら酷かったわ、ごめんね。

20日までいるんだって?お願いだから大人しくしといてね。


8/11(水)ざわめき

来る前にしておかなければならない事と言ったら何だ。
掃除か?
いや、それは構わん。座敷はいつもキレイにしてある。

だったら何か出掛ける予定を無理矢理組み込む事か?
いや、幸いにして来週は毎日仕事だ。18日は休みだったけど同僚が都合悪いというので喜んで交代した。ナイスタイミング。ばっちりだ。

じゃああとは何だ?
日記の更新か?
いや、もうそれも手に付かない。既に私には落ち着きがどっかぶっ飛んでしまっているので出来ないのだ。
胸がざわざわと音を立てて熱くなってきている。

取りあえずは子供達に宿題を出来る限り前倒しでさせるようにするだけで精一杯だった。

いよいよ明日、神奈川方面から爆撃機が3機来襲する。


8/10(火)夏の小さな思い出

子供達は毎朝6時20分になると自転車に乗ってラジオ体操に出掛ける。
ラジオ体操第一しかして来ないので6時40分には帰ってくる。
それを待ちかまえ半ば連れ去るようにして車に乗せ一路津南町へ。
前から約束していた小旅行に多少の気合いを入れて出発した訳だ。

高速を降りてからもしばらく走り続けやっと辿り着いたのは一番の目的地であるひまわり畑。

圧巻だった。

写真は息子と旦那が撮ってたけど貰うの忘れたのでどんなんだか知りたい場合は検索するがよろし。「津南 ひまわり」で簡単にヒットします。

そのひまわり畑は第一から第三まであり時期をずらして咲くようにしてあって
私たちが今日見たのは第三畑。ひまわりの咲く時期って結構短いものなんだなあと思いつつも塗装屋さんが作業する時に使うような丸い鉄の棒で作られた展望台に上がって眺めるひまわりはそれはそれは素晴らしい物だった。

苦節5年。やっと来れたよ。
なあんて言うが実はいつも忘れていて見逃し自爆してただけなのだけど久しぶりに感動を味わう事が出来て大満足。
そこを出る前にラムネなんかを飲んでみたり残暑見舞い用に絵はがきを買ってみたりしてから
次は名水100選の竜ケ窪へ行き木々がうっそうとする中にある池で涼を堪能し
紅葉の時期には絶景ポイントらしい秋山郷を通って滝を見たり吊り橋を渡ったり
途中でカモシカに逢ったけど写真録る前に逃げられてしっぽしか写せなかったり
お昼に入ったお土産屋兼食事処で手打ちひやむぎなるものを頼んでこれのどこが手打ちなんだよふざけんなと思ったりーと
うんまあ、それなりに楽しい一日でした。

旦那に有給取らせた甲斐は充分にあったわね。



8/9(月)帰宅して30分で寝る

テニスを始めて今日は2回目。
実は黙っていたが私たちのコーチは結構いい男である。
めざましテレビのスポーツキャスターの背をもっと高くしたような感じで年齢は30代だろうか。
入会してよかった。

と、そんな事を思うのは最初だけでクラスが始まってしまえばそんな事はもうどうでもよくなる。
自分の事で精一杯でそこまで考える余裕があるはずもなしな訳で。
だったらコーチがチビデブハゲでも同じやんか。
いや、やっぱそういうわけにも行かない。
体験入学の時のコーチも背こそ低かったがなかなかの色男で
もしやクラブの会費が高いのはそれも込み?とちらっと思ったが
隣のコートのコーチを見るとやはりそういう事ではないらしいって事が判った。

あっという間に1時間半が過ぎヘロヘロっと車に乗り込み帰宅すると部屋は真っ暗。
そう言えば昼間旦那からメール来てたな「明日は早いので先に寝ます」って。

私も早く寝なきゃと10分でシャワーをし基礎化粧をしながらビールを飲み
ニュースを見ながら髪を乾かし歯磨きをし11時には寝た。

明日はひまわり畑を見に行く予定。晴れるといいな。


8/8(日)盆正月とはよく言ったもんだ

日曜日だったけど特に予定もなく午後からは仕事だったので午前中は家族の尻を叩きお盆前の大掃除などをしてみる。

遊ぶ事にしか使ってない子供部屋。娘の机の上はヒトのモノとは思えない。
押入を開けるとナニやらお人形たちのお家らしくなっている。
あー、私のハンカチー。お人形に巻き付いてるー。
どうやらドレスのつもりらしい。

二階のウォークスルークローゼット(寝室手前の物置と化している部屋)には何故か私のG4の箱まで床に置いてあり、タンスの上へジャンプしながら上げる。
一体そこに置いたまま何ヶ月経っていると言うんだ。誰のだ?ええい、私のだ。
その他にもいつの間にやら溜まったモノ達がたくさん。モノの上にそれとは全然異種のモノまで乗っかってる。
あれ?ここはこの前片づけしてスッキリしたんじゃなかったっけ?あははは。全くいつの間に。

DVD&HDレコーダーの箱の上にはそれまで使っていたVHSビデオデッキが。
その脇には旦那の古い筐体が。
それらを前に仁王立ちした私にこれどうすんのよと言われる前に素早く片づける旦那。
そんなとこはツーカーじゃなくてよろしいですわ。

お昼になったので「後は午後からでいいからこの段ボールをヒモで結わえておいてね」と言い逃げして仕事に出掛けた。

帰ってみるとまずまずの片づきようにウンウンと納得し
やろうと思えば短時間で出来るもんだなと思った。
ただ1人で黙々と片づけやるのがイヤなだけだったみたいね>私
あら、だけどいつも同じ事言って片づけないでいるみたいね>私


8/7(土)ワンピースなどを着て

前から子供に約束させれていたガッシュベルの映画を見せに連れていく。
旦那は新潟駅のヨドバシカメラまでデジカメを物色しに行ったので
その間に私は買い物がてら新潟の万代をふらふら。

何だか街が賑わってるなあと思ったら今日から9日まで新潟祭りなのだね。
浴衣姿のお嬢さんがちらほら見えるし店員さんも浴衣だったりする。

私、浴衣なんて何年着てないんだろ。たぶん20年は着てないと思う。
最後はいつだったのか、そしてどんなシチュエーションだったのかなんてさっぱり覚えていないという事は忘れたい過去と共に記憶から強制的に消し去ってしまったのだったろうか。
下駄の鼻緒が指の間に食い込んで痛かったのしか覚えてねーしなー。
隣で歩いていたのは誰だったかな。ま、昔。昔の話。

それから全員でヨドバシカメラへ行って息子が欲しがっていたデジカメを買う。
お年玉や臨時収入などを貯金しておいた中から自分で買うというので旦那があれこれサーチして息子と相談しながら絞ってったのだけど今日やっと決まって購入までこぎつける事が出来た。
旦那のポイントで64MBのメモリとケースも手に入れて息子は大喜び。
これで一体ナニを撮るんだい?

その後なんだかんだで遅くなって家へ帰ったのが9時過ぎ。
大急ぎでテレビを付け、アジアカップの決勝を見た。
やってくれたね、大活躍だったよちょっと私好みの玉田くん。


8/6(金)さんふらわー

この夏には絶対見たいものがあった。それはひまわり畑と滝。
私が行きたいひまわり畑は新潟県の津南町というところにあり、広大な休耕田を利用して30万本ものひまわりが植えられているというもので
滝はと言えば上の方から流れ落ちるものであればどこのでもどんなんでもよかった。

実はひまわり畑は毎年「見に行きたい」と思うのが遅すぎていつも見逃していたので今年こそはと少し前からwebでチェックしていたのである。
幸いそのひまわり畑の近くに滝もあるので一石二鳥。
10日の日、旦那に休んでもらって行く計画を立てた。

ひまわりは何となく大好き。
あの黄色と茶色と緑の配色も好きだけど明るくてたくましい感じも見てるだけで元気をもらえそうで大好きだ。
でも自分で育てた事あんまりないのはどうしてだろな。
枯らすからかな。



8/5(木)ホントに短いんだよ

昨日切った髪、朝起きたら何だか絶望的な感じすらしてきた。
アレンジのしようがない程短いので鏡も見たくなくなってため息つきっぱなし。
そんでも仕事には行かねばならないのでワックス総動員でコノコノッと跳ねさせて出勤。
週末は絶対に旦那を捕まえてヘアカラーするぞ。
そうでもしないと後ろから見たら中学のバレー部員に間違われそうだもの。


8/4(水)おしゃれな人でした

私の母は6人姉妹で本人はそんな女ばかりの姉妹の下から2番目。
母のすぐ上のおばさんが30年くらい前に病気で亡くなってからも残り5人で事あるごとに集まるような仲のよい姉妹である。

そしてその一番上のおばさんの訃報を聞いたのが昨日、姉のメールからだった。

「昨日、あーちゃんが亡くなったので私んとこに遊びくる予定だったけど行けなくなっちゃったってお母さんから電話があったよ」

行けなくなっちゃったどころじゃないだろー

早速母に電話して出棺と告別式の時間を聞き、私も参列したいと申し出た。

そして今日、ちょうどいいからと今までずるずると行けなかった美容院へ午前中に行き、こんな風にしてくださいと雑誌をめくり、これよさげでないかい?と思う写真を見せたのに全然希望通りじゃないすっきり過ぎる程すっきりとしたベリーショートになった。
まだ泣くには早いのに何故か半泣き状態のまま実家へ行くともはや父と母は出掛けるところだったので先に送り出し私も着替えや化粧直しなどをした。

おばさんちは私の実家から歩いて5分ほどのところにあるので出棺は1時半だから1時20分頃に実家を出たのだけど着いてみるとやけにひっそりしている。
おまけに玄関を開けようとしたらカギがかかっている。
もしやお経の最中なのかもしれないと思い、呼び鈴を鳴らさずしばし待ってみたものの中からは物音ひとつしてこない。
意を決してピンポーンと鳴らすとかなり大きい音にびっくりして恐縮し
いや、鳴らしてしまったものは仕方ないので取りあえず中に入れてもらわないとおばさんの顔を見られないと気を取り直し姿勢を正して玄関で待つ。

だけど全く応答なし。

すると2軒先のおじさんがステテコ姿で外にふらふらと出てきたので
こちらの方々はどうされたのでしょうかご存じですかと聞いたところ
「さっき、バスにたくさん人が乗ってあちらの方に行きましたようですよ」

がー。

せっかちなお坊さんで予定より早くお経上げに来たと言うが
出棺の時間まで繰り上げる事はなかろうよ。

この時私の黒いバッグには数珠とハンカチと香典しか入ってなく
お金も携帯もなかったので一旦実家へ戻るしか方法はなかった。
せめて財布でも持っていればタクシーで追いかける事も出来ただろうにバカだ。
諦めて歩き出した。

今日はやたら暑い日でね、ストッキングなんか久しく履いたことなかったし
礼服のワンピースは膝下約15cmと長いものでしかもタイトなので
道に誰も歩いていない事を確認してから素早くスカートの裾を片方だけ膝上まで持ち上げて歩いた。
そうしないと早く歩けないのだ。暑くてかなわん。
じりじりと照りつける太陽は黒装束の私だけにその暑さを集中させてるんじゃなかろうかと思うほどだった。

実家へ帰ってきてからは麦茶を飲み、礼服を脱ぎ、面倒だったけどストッキングも脱いでスリップ一枚で窓全開。
さてこれからどうしようかと思う前にまずは母に一言文句を言わねばなるまいなと火葬場へ電話し、母が着いたら家へ電話してくれるように頼んで扇風機の前にペタっと座って待つ。
化粧もやたらめったらハゲハゲである。

10分後、母から電話。
バタバタしてて連絡出来なかったというのでじゃあ自力で行くよと言ってから
支度をし直し車で向かう。
が、私が着いた時にはすでに遅し。
あーちゃんはもうすでに火の中であった。
最後に顔見たかったなと残念でならなかったけどもう仕方ないね。
写真に手を合わせてお焼香した。



8/3(火)流れを引き寄せる力

サッカーのアジアカップ準々決勝を延長戦から見た。
延長しても決着着かずPKに。
シュンスケとアレックスが続けて外した時にはもうダメだと思ったね。
大ブーイングの中の奇跡の勝利。えらい川口。


8/2(月)テニス楽し

早番の仕事が終わり次第急いで帰る。
今日は娘の担任が家庭訪問にいらっしゃるからだ。

毎年家庭訪問はゴールデンウイーク前に行われていたのだけど今年から何故か夏休みにするって事であらまあいい迷惑ねえ。
仕方ないのでこの暑いのにご苦労様ですねと40過ぎても嫁を貰えない担任を迎えて大変さを労った。

しかし学校の先生というのは一癖も二癖もある人が多いけど
彼はどうも気が弱そうなタイプであまり自信もなさそうな感じなので嫁もなかなか来ないのじゃないだろうかなどと口からは娘の学校の様子を話しながら頭の中ではそんな事を思っていた。
大きなお世話だわな。

それからいつものように夕食作ってお風呂も入ってそれから8時前にテニスに出掛けた。
今日は正規の1回目。
今度はちゃんと教えてくれるわよねえ?頼むわよ。
コートに入ったら私と同じく今日が初めてという感じの若い女性2人組がいて少しホッとする。
生徒は8人でコーチが1人。
よかったー。
今日はスタンスも教えてくれる。握り方も教えてくれる。打ち方も教えてくれる。
じゃあこの前の体験入学、ありゃ何だったんだよおい。

予想通り、今日はおっとりとしたスタート。
だって球が返って来ないんだもの。
でも相手もそう思っていただろうからお互い様かしら。
ホントよかったなあ、休む暇があるんだもの。ぜーぜー言わないもの。

それでもしたたかに汗をかき、心地よい疲れを感じて帰宅する。
シャワーが極楽だ。ビールもいつもより格段に旨い。

これなら続けてやってけそうだなと思った。
あとは筋肉痛とどう闘うかが問題だなと思った。
でも靴は次回までに揃えないといけないと思った。
両足のくるぶし内側に靴擦れ起こして流血。
やっぱランニングシューズではダメか。


8/1(日)おどり食い

昨日はプールで今日は川。
水が恋しい季節ではあるがこんなに連続しなくてもよかろうと思い、今日の私は河原で見物する事にした。

本日はこの地区の子供会で関川村のかじかとり祭りに便乗参加して夏の行事を終わらせようとする幹事のたくらみから行われた催しであった。
その今年の幹事というのは私と旦那なのだが。

かじかというのは川魚で体長は手の平に乗る程度の小さいもの。
それを水鏡を使って川の中を覗き、網で捕まえるというのが今日のお祭りの内容で
姿形はちょっと黒っぽくてナニなんだけど焼いて食べるとなかなかに淡泊で旨い。

子供達が捕ってきたかじかは一旦炎天下のバケツの中に入れられるのでその内当然弱ってしまって死んでしまう。
捕獲者は一度に5匹くらい捕ってきてはバケツに入れ、また川に戻って行くのを繰り返していた。
そうしている間に昼近くになり捕ってきたかじかもそこそこいっぱいになって来たので焼いて食べようかという事になりバケツ毎コンロまで持ってって網の上に置く。
みな死んでしまったとばかり思いながら次々と網に乗せてったのに1匹生きてて慌ててバケツに戻した。

あああ、もうダメっしょお母さん、と非難ごうごう。
もうダメなんだったら乗せちゃおっか、と腹がグーっとなる母であった。
ひどい。


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