2004年4月 今月の目標は日記を毎日更新すること(週末除く)
       出来なかったら一日100円を貯金箱に入れます


4/30(金)金曜日で平日、金曜日で...

今日は一体何曜日なんだと麻痺し始めたので念じるように曜日を唱える。
えー今日はー、、はい?
あはっ。季節的にどうも忘れっぽくなってるらしい。

そんな春は異動の季節でもあるらしいので私のところにもパラパラとはがきが来ててその中に2つ歳上の警察官が古巣へ戻りましたというものもあった。
彼は恐ろしい事に今まで白バイに乗っていて関越自動車道などのスピード違反者を捕まえていたらしいがどうやらこの春から署勤務になったらしい。
バイクが好きで機動隊に入った時はとても喜んでいたのに内勤じゃ退屈だろうな。

そのはがきには
今後ともより一層のご指導ご鞭撻を賜りますようお願いいたします。だって。
よしよし、よきにはからえ。

しかし転勤するのが当たり前の職業って大変だよね、特に家族。
辞令って直前に出るから本人以上に家族はドキドキものだろう。
彼なんか何度引っ越しをしただろうか。
彼が一番住所録のとこがもう何が何だか今はどこにいるんだっけかと判らなくなるほど汚くなっている。
ちょっと前に住所録は個々のカードにしたのでそれは解消されたんだけど
もう少しで行方不明者にするとこだったわ。

そう言えば2月に辞めて岡山に引っ越した同僚からの転居はがきには
「少し慣れてきましたがまだ仕事もないので時間をもてあましています。
冬ソナにはまっています(ミーハー!)」
冬ソナにはまっ...お気楽な生活してますな。
この短い文で十分幸せなのが伝わってくる。

桜の季節には「歩いてすぐのところに後楽園があるので毎日花見に出掛けたり自転車で街を探索したりで全然家の中が片づきませーん」
毎日遊んでいりゃーあたりめーだ。
全く彼女らしいわね。
そろそろ家の中が片づいたかな?それともこの連休は泣く泣くご主人の実家がある鹿児島かな。
ま、たまに苦労せーや。

この春に新しい生活が始まった人達がそろそろ慣れてきた頃にこの大型連休って、どうよ?
いいんだか悪いんだか。
休みでもばっちり取れればバリ島にでも行きたいところだけどね。


4/29(木)建坪50

休みであったのだけど子供達は友達がたくさん遊びに来てわらわらと外に遊びに行ったし残された大人2人は午後から特にする事もなかったので少しだけ街に行こうという事になった。

移動の途中で急にI子の家を旦那に見せたくなって彼女に電話してみた。
携帯の呼び出し音は続く。出ねえ。
まあダメでもいいからと家の前まで行ったら
「今、掛け直そうとしてたんだけど操作がよく判らなくて〜」
と携帯を片手に持ちながら私の車を見つけたI子が外に出てきた。
キミはホントに昔プログラマーだったのか。
まあ画家が字も上手かといえば必ずしもそうではないのと同じ、ってか。
なんか違うなこの例え。

ま、とにかく中へ入れてもらった。
旦那は玄関からすでに感心。すげえ〜って見上げてなかなか入ろうとしない。はよ入れ。

I子のご主人も珍しくご在宅で玄関まで出迎えてくれた。
愛称をJと言うきゃなーでぃあんである。
そしたら家の旦那、一気に緊張し始めた。
ハローと言うべきか、それともへローと言うべきかたぶんそんな事で悩んでいたのであろう。
なんたってぎゃいこくじんとは滅多に遭遇する機会などないもんだからビビるのも無理ないわな。
まあ、きゃなーでぃあん1に対してアボリジニ3だ。大きく行こうぜ。
ここは日本だ。

本当にほんの少しだけ軽く見せてもらうつもりだったのにこれまた夫婦揃ってばか丁寧に説明してくれてあっと言う間に2時間近く経ってしまった。
住んでみないと判らない事ってあるんだなという事を色々教えてもらって大変参考になった。特に家の旦那が感心して頷きっぱなし。

途中Jがペラペラと英語を話すので家の旦那が戸惑わないようにとI子にはすぐ訳すように命じ、たまに訳さないでボケっとしていると「はいはい、はよ訳して訳して」と促す。
するとひそひそと旦那
「I子さんすごいなー。英語しゃべってんだもんなー」
当たり前です。
言葉が通じなくても子供は作れるが育てていくのはちと厳しいだろうとは思わんのか。

そうしてえらくゆっくりと見せてもらってから駆け足で買い物に行き夕食までに帰る。
ご飯が終わってからも旦那はI子さんちはこれこれこうだったな、いいなとか
何かにつけてI子の家の話が出る出る。
モデルハウスを見てまわるのもいいけど実際住んでる人から住み心地の良いところ思惑が外れたところなどが聞けたというのが今日の大きな収穫であったであろう。
連れてってよかった。少しだけどまた一歩夢に近づいたような気がした。


4/28(水)12分

ようやく自分のペースを取り戻しつつあると思っていた矢先に今度は大型連休が始まるのかよ。んーざりー。
まあ私は適当に仕事が入ってるので休みがてら仕事場に行けばいいんだからよしなんだけど。あら私ったら何か今、言いました?

今日は遅番で帰って来てから台所でちらっと仕事の話を旦那にしているとお義母さんが思い出したようにこう言った。
「あら、そう言えば18日の日曜日だったか○○子さんに会社から電話があったって事を言うの忘れてたわ」

ええ、知ってます。19日に出社した時同僚から直に聞きましたもの。
確かに18日の事ですね。
お電話したんですけど出掛けてると言われましてえって同僚言ってました。
私に指示を仰ぎたくて携帯に電話したのだけども出られなくてお家に電話したらそう言われたって。
ごめんなさいね。病院に行ってる事は言ってなかったし電源切ってたから連絡付かなかったんですね。
そうは言わずに私はただその同僚に申し訳なかったですとだけ言って謝った。

そういう事情は知っていたので「はい、そうですってね。でもその件は解決しましたのでいいですよ」
と私がホントにそう思って言うとお義母さんは
「そうよね。もう済んでしまった事だものいいわよね」と調子に乗ってそう言った。

いや、ちょっと待ってくださいよ。そうじゃないでしょう。
もう済んでしまったので仕方がないと思うのは私の方であって
あなたの方が思う事ではないんじゃないでしょうか。

あ、またかとこの前のチキン捨てちゃったわー事件の事も頭をよぎったので一言言っておきたくなった。
「もう済んでしまった事だものねって言われてもー。ははは。
結果的に解決したからよかったですけど何にせよ私宛に電話があったのなら用件云々よりもなるべく早く一言言って欲しかったですわ。
済んでしまったからもういいとか、ホントはそういう事じゃないんで〜次回からはお願いしますぅ」

「んー、ああそうだったわね。でも何ともなかったんだったらいいじゃない、ねえ?」

やんわり言ったつもりだし本当は私自身も済んでしまった事だからいいやと思いつつも
お義母さんから謝りの言葉を促せられない自分に内心がっくりしてた。

それを黙って椅子に座って聞いていた旦那
「母ちゃんやれ、そうじゃねえだろ。済んでしまった事かもしれないけど言い忘れてて悪かったの一言くらい何で謝れないんだ」

それでもお義母さんは「だって○○子さんももう済んだ事だからいいって言ってるじゃない」

こりゃもう何言ってもダメだなと思ったし用事も他にあったので「いい、もういいですよ」と私は台所を出る。
謝ってもらいたいなんてもうちっとも思わなくなっていたし。

そしてしばらくしてから台所から動かないでお義母さんと話していたらしい旦那がやっと居間に戻ってきた。
「ダメだ。母ちゃんは全然悪いとは思ってないみたいだな。
いくら言っても平行線だしこれ以上言うとケンカになりそうだったんで出てきた」
と誰の問題だったっけかと思うほど怒っていた。静かに。半ば諦めもあったんだろうな。

私は旦那のその顔を赤らめた様子にびっくりしてしまったので
「ああ、ありがとう、ありがとう。そうなんだ、そうなんだ、うんじゃあ仕方ないよ。ありがと、ありがとね」
と、早口で出てしまった。
しかしなんで私がなだめる側なんだ?

旦那はいつも公平である。
それぞれの気持ちを推し量り意見もちゃんと聞いて判断してくれる。
だから例えば私が子供と対立していたとしても
どっちの気持ちもプライドも言い分も判ってくれて上手に丸める事が出来る人なのであるが
そんな人がいつも通り冷静に考えた上で「自分の母親の方がおかしい」と思い、
たとえそれが自分の母であってもそれは違うとちゃんと指摘するには理由あっての事だと思う。

私は旦那に気持ちを判ってもらえただけでもう十分。
十二分です。


4/27(火)術後2週間目、いどー

早番の仕事が終わってからそのまま姉のところへ行った。
喉の穴はまだ完全に塞いでなかったので話は出来るけどその穴を押さえてないとヒューヒューと息が漏れる。
その押さえる手の気を抜くと猫の鳴き声みたいな音がして笑えた。

もうだいぶ自分の事は自分で出来るようになっていた。
食事は相変わらず鼻のチューブからの流動食だけど食事時は自分でチューブを繋いで落ちる速度を調節してやって下さいねと言われたとかでそれを聞いた私は大笑い。
そこへ看護婦さんがやって来て左腕とお腹の絆創膏を取り替えるのを今度からこうしてこうこうこんな風にして自分でやってみる?と言うので2人してまた大笑い。
なんだこの姉妹はと看護婦さんは思っただろうな。

姉は「今までは呼べばすぐに来てくれて何でもやってくれてチヤホヤされてたのにちょっと動けるようになったらこれだよう」とえーんと泣き真似。

そこへ追い打ちをかけるように今度はこれから病室移動だそうだ。
ナースセンターの真ん前の個室からどこへ行かされるのかと思えばそこからかなり離れた遙か彼方の3人部屋。
少ない入院荷物をカートに乗せ、自分で押して歩く姉。私は笑いをこらえるので必死だった。

その新しい部屋を隔離病棟と呼ぼう。そこには先客、いや、明日退院するという60歳くらいのおばさんが先に1人入っていた。
その人がまたぶしつけな人でね。

移動が終わって荷物を片づけしばらくすると向こうの方から勝手に馴れ馴れしく話掛けてきて何を言うかと思えば訳わかんない自分の雑談をしてきたのでハハハと笑いながら軽く流そうとしたんだけど明日退院とは言え私たちの方が後から入ってきたんだから愛想よく挨拶したり
ここには色んな患者さんがいるんですねえ、そうですねえなどなど適当に当たり障りのない短めの返事をしながら話を止めるのを今か今かと待っていた。
だけど一向に止めないそのおばさん、ふと頭にバンダナを巻いている姉を見て「頭も手術したんですか」と言ってきた。

何この人。
いい加減にせえよと思いながら姉が何と答えるかと思ったら「ええ、薬のせいなんです」と。
ガンだったので抗ガン剤のせいで抜けちゃったんですと言わないところが賢いではないかと思った。
「へえ〜、薬でねえ。ふぅ〜〜ん」
おばさんは納得出来ないようだったけど私は憤慨するよりもただ呆れてしまって窓の外を見る事で無視を決めていた。
もう少し話をしてからようやくお引き取りあそばしたので2人で顔を見合わせ声を出さずに笑った。

だけどおばさんよ、もういい歳なんだから場の空気というものが読めるようになれよ。
長い事生きてても世の中あなたが知ってる以外の事ってのはたくさんあるんだよ。
あなたが言うように色んな人がいるんだよ。
退院おめでとう。



4/26(月)新潟ゆえ

つい先日、バスローブが届いた。
何かのお返しにカタログでお好きなものをお選びくださいっていうのがあるじゃん?
そこで注文した物なんだけどこういうのって普段自分じゃ買わないものでも貰ってみようかななんて思う訳で他にも電動で水がちょろちょろ流れる置物とか地球儀とか天体望遠鏡とかも候補に上げたんだけど前から何となく欲しかったバスローブにしてみた。
それが安易でね、男性用はブルー、女性用はピンクしかなくって似合う訳ねーなーと思いながら頼んでみた。
それが見た目意外といい感じで早速洗って着てみた。

だけどやっぱ似合わない。

が、これで外をうろつくと犯罪だけど家の中にだけいるんだからいいじゃないか。
そう思う事にした。
風呂上がりの手入れが楽になったし足なんかもなでなで出来るし汗も吸い取ってくれてこれからの季節に重宝するだろうという予感。
何よりも身体を拭いたらショーツ履いて羽織るだけってのがお気軽でいい。
そうして風呂上がりに気分よく着ているとだんだん寒くなって来るんだよ。なんでかな。
忘れてた。だいぶ暖かくなって来たとはいえココは新潟。まだまだ夜は涼しいのだね。
つー事で快適な時間は正味5分間だけという4月末のとある1日であった。



4/25(日)正当化するする

朝起きてご飯を食べようと台所に行ったら昨夜残しておいた私の食べかけのチキンが見あたらない。

昨夜は旦那が飲み会だったので私は夕食もそこそこにして送って行ったのだけど
買って貰ったチキンは1人1ピースずつ当たったのでケンカはなし。
それを全部食べ終わる前に送っていく時間になり息子にチキン以外の食器を洗っておいてくれるように頼んで家を出た。

その少し残したチキンが今朝いくら探してもないのである。
不思議がって冷蔵庫を見たりしたのだけどないんだよね。
そしたら何してんだろこの嫁はとでも思ったのかお義母さんがどうしたのと聞いてくれたので訳を話すと
「あら、あれならもうみんな食べてしまったんだと思って捨てちゃったわー」

捨てられた。ああ、捨てられちゃったのね。

あれ、残しておいたんです。と言うと義母はまたさっきと同じ言葉を繰り返した。

仕方がない諦めよう。あら、捨てちゃったわーなんだから。

だけど会話が終わってから自分でも納得したはずなのに部屋に戻ってから何だか無性に腹が立ってきた。
それはお義母さんが一言も謝らなかったからである事に気が付いたからだ。
捨てられても当然じゃない?という感じを前面に押し出しただけで自分が悪かったとは決して思っていないって事である。
困った姑だなあ。食べ物の恨みは恐ろしいんだぞう。


4/24(土)年に2度くらい食べたくなるもの

昨夜、何だか涼しいなと思っていたら窓にバツバツバツと激しい音がした。
みぞれだった。
おいおい、なんでー今頃みぞれなんか降ってんのよう。
もう気分は初夏ムードでこの前なんかタンクトップ買っちゃったじゃないのさ。
冬物は洗って夏物と入れ替え準備OKなのにもう戻って来なくていいってば。

そんな寒い日であったのだけど午後からは家族でリフォーム展を見に行った。
すんばらしいシステムキッチンに豪華ユニットバス。エクステリアに外壁材。
私なんかもう目にハートが散りっぱなしね。

システムキッチンはナショナルのアイランド型が気に入って長いこと居座った。

450万円のユニットバスはジャグジー、テレビは当たり前。温風乾燥機付きはグーね。んで照明なんかもちょっとエロっちくてなかなかイイかも。
でもモーテルみたいで誰が誰と入るんじゃーという感じが拭えなかったので結局流し見。
テレビが観られるのにDVDが観られないのも問題外です。
社外のを買って後付けした方がよっぽどいいんじゃん?

トイレからは音楽が流れてきてた。奥の方が掃除しやすいように電動で便座が上がるなんて素晴らしくアホらしいじゃないか。これも冷やかし程度に見る。
電動で動かなくてももっと掃除のしやすいメーカーのものがあるだろ。

旦那はリフォーム会社のブースで色々と質問して話を聞いていた。
まだ家は新築するか増改築するかを決めかねているので多方面のパターンで考えて行かねばならないからだった。

歩き疲れたけどもなかなか参考になってよかったと会場を出る。
帰りがけに遅くなったのでこれから帰って夕ご飯作るの面倒だなーと言ったら旦那がケンタッキーフライドチキンのドライブスルーでチキン6ピースパックを買ってくれた。
買ったんじゃなくて買ってもらったのだ。
私のお財布事情を細かに知っておいでで...ありがたい。
お金もちーとおだて上げていい気にさせ美味しくいただきましたとさ。


4/23(金)価値観がズレてんのは私だけ

早番の仕事を終え、小学校の学級懇談会に向かう。
授業参観は完全に間に合わなかったけど息子の修学旅行の話が聞ければ御の字だ。

そこで驚いたのが今時の小学生の修学旅行時におけるお小遣いってこんなにたくさん持ってくものなの?って事であった。
私ん時は旅行のお小遣いがいくらだったのかも何をお土産に買ったのかも全然覚えてないんだけど値段を気にせず買い物した覚えはなかったような気がする。

その当時の子供なんて子供子供していて今の生意気なガキとは生意気さが違っていた。
イキがってたりカッコつけたりしてたのはたくさんいたけど今の子に比べればかわいいもんで
自分の自由になるお金はあっても平気でどんどん使えるほどたくさんのお金なんてなかった時代でもあったし
何かを買う時には母に頼んでがま口からお金を出してもらい買いに行った。
毎月のお小遣いは貰っていても少なくとも私が小学生の頃はコンビニなどで買い食いなんかしなかったし(コンビニ自体なかったが)
買い物をする時はまず親に相談して買うという慎ましい生活をしていたものだ。

しかしいくら旅行とは言え、当時いくらくらい持たされたんだったろうな。
私と同年代(35〜45歳)で物覚えのよい方がいらしたら是非教えて欲しいです。
小学校の修学旅行のお小遣い、おいくらでしたでしょう。
うちの学校ではおやつ300円の中にバナナは入れなくてもよかったってのは教えてくれなくていいですから。

んで結局息子の旅行小遣いはいくらだと言うと5000円ですと。

しかしびっくりしているのは私だけのようだった。
みんな間違ってる。間違ってるってば。
先生が「5000円は多いでしょうか?少ないでしょうか?」と聞いた時にあるお母さんがそれでいいですと即答し、みんなでうんうんと賛同するなんて世の中間違ってるぜい。


4/22(木)その気になったのに

休み。やっと私が腑抜けから脱出出来るかもしれないという期待の日。
午後から私の実家の両親を連れて姉のところへ行く事になっていて
姉の様子次第ではまた私に元気が戻ってくるはず。
だけどあまり大きな期待はしないでおかないと逆に落ち込んでしまってたらどうする、だよね。

と、そんな事を思いながらどんな調子だろうかと病室に入ってみたら姉は何とベッドの上で体育座りをしていた。
私がいたときにも少しずつベッドは起こしていったけど起らきれるまでにはなってなかったのにすっごい進歩じゃん。
おしっこの管は私が帰った日の午後にはずれ、翌日からは介助してもらってトイレにも行ったという。
なんだか私がいなくなった途端に驚異的な回復力見せてんのね。
どういう事なの、それ。

ちょうど喉の穴を試験的に塞いだばかりの時に行ったので久しぶりに姉の声を聞けた。
それはまだ地獄の底から聞こえるようなボヤボヤっとあわあわっとした声だったが
うん、えらい。確実によくなって来てる。
笑顔も様になってきた。顔は相変わらずムーミンっぽいが。

帰りの車の中では母が特に喜んだ。
苦しそうな顔をしてなくてよかった。笑顔が見られてよかった。と。
離れていてなかなか様子を見に行けないとたまに行ったその時の顔しか印象に残らないから苦しそうな顔だと心配がまた募ったであろうと言うのだ。
確かにいいタイミングで行ったと思った。
術後1週間以内に来ていたらへたり込んでいたかもしれない。
年寄りには辛かろう。

そんな訳で他力本願だけど私も姉から元気をもらえて頑張れる気になってきた。
時間があったら日記も書けるだろう。そうそう貯金ばかりしてらんねえ。
だけど明日は早番だ。明後日土曜で明々後日仕事だ。まだまだダメどぁー。


4/21(水)そんな変更なら朝飯前

午後から仕事なので午前中は自由なはずなんだけどやっぱりどうもまだ調子が上がらなくて何をするって事なく時間だけが過ぎていく。

日記も全く書く気になれないのには困った。
溜まるのはお金だけでいい。字が違うじゃねえか。お金は貯まるだよ。貯まる。

そう言えば日記の今月のタイトルにでかい事書いちゃったなと今頃気が付く。
今月の目標は...じゃなくて今年度の目標は...だと。
いくら溜まったんだ?いや、だからいくら貯まったんだ?だな、さぼり貯金。
タイトルはそっと気付かれない内に書き直しておこう。
こんな腑抜けな状態でお金もなければやる気も出ないなら貯金なぞ出来るわけなかろー。


4/20(火)おすすめに騙されるな

早番で仕事。
しばらく買い物してなかったので冷蔵庫が空だろうなと思い出し帰りに買い物をして帰る。
ワインも1本チョイス。飲んだ事ないけどおすすめと書いてある。
素直だなあ私って。

夕方娘をスイミングに送る前にケーキ屋さんへ寄って一緒にケーキを選んでもらう。
今日は旦那の誕生日。43歳になった。
もうかわいいケーキは似合わない年齢だよなと思ったので丸いデコレーションは止めにして人数分のショートケーキを選ぶ。これでよし。あとは車をぶっ飛ばさないようにして帰ればいい。

誕生日の主役は用事で出掛けてしまったので夕食後それぞれケーキを食べて子供は寝るしであとは私1人ボーっとする。
何だか病院から戻ってから気が抜けてしまったようなそんな感じ。

旦那が帰ってきてからお先にみんなでいただきましたーと最後に残った一つのケーキを差し出すと「主役は誰なんだろうか」と笑いながらぼやくのでさてー?と答える。
まあまあと今日買ってきたワインを出してきて飲み始めるもそのチリワインは非常に甘かったので邪道と言われようが何しようがこれじゃああんまりなのでもう1本あった辛口のワインを足して割って飲んだ。
ひどい誕生日だなと思っただろうなあ。


4/19(月)付き添い6日目

付き添いの間中ずっと晴れていたのに今日は朝から曇り空。
離れたくない私の気持ちを反映してか、それとも姉の不安が空に届いたのかそれは判らなかったけどもそんな空を眺めながら朝食を食べ荷物の整理をして帰り支度をした。

午前10時、タイムリミット。
痛かったり辛かったりしたらすぐに看護婦さんを呼ぶんだよと姉に言うと
カーテンの向こうにいた看護婦さんがその通りですよと言った。
姉は少々遠慮したり我慢したりするところがあったから最後に釘刺しをしとかねば。
そう言った途端、急に何か熱いものがこみ上げてきて涙目になってしまった。
それを悟られないように身を翻しじゃあね、がんばるんだよまた来るからねと役立たずのiBookが入った重いバッグを肩に担ぎ看護婦さんに挨拶してから病室を出る。
入れ替わりにお義兄さんがすぐに来るはずだ。

家へ着くとすぐに荷物を片づけ洗濯機を回しシャワー浴びて昼食を取り仕事に行く。

仕事が終わり家に帰ってから義父義母にお礼を言い旦那に感謝し子供達にもありがとうと言った。
一通り姉の経過を説明し夕食とお風呂をいただいた後のビールでやっとホッと出来た。

でも約1週間ぶりのビールは旨かったようなそうでもないような。
ずっと飲まないでも全然平気でいられたんだからこれからは少し量を減らしてみようかなあなんつー出来もしない無謀な事が頭をよぎるとは俗世界からしばらく離れていた私ゆえにどうにかなっちまってもーたのかもしれにゃい。


4/18(日)付き添い5日目

ずっと忙しくて来られなかった姉の息子たちをお義兄さんの実家のご両親が連れてきてくれた。
来た時はちょうど回診中で待たされてしまったけどもこのモノたち、姉の様子を見たらどう思うだろうかと私の方が多少なりとも緊張した。
術後の母を見るのはショックかもしれないので少しかわいそうかなとも思ったけどちゃんと見ておいた方がいいようにも思った。
キミ達ももう大人だし。

病室に入ると上の息子はやはりショックだったようでしばらく椅子に座って固まってしまった。
これまでの様子を雑談まじりで伝えるとやっと安心し始めたのか次第に本領発揮。
バカ話の連続に加えボードに変な絵を描いて笑わせるので姉はたいそう腹筋が痛そうだった。

だけど息子達に逢えて嬉しそうだったな。
姉んとこの親子はいわゆるベタベタした親子関係ではなくて友達親子みたいな感じなんだけど今日は手術してから今までで一番いい顔をしてたような気がする。
これでもうちょっとしっかりしてくれると姉も治療に集中出来るんだが。なんてな。

午後にメールチェックすると旦那から娘の嬉しそうな顔が送られてきていた。
今日はある団体に所属し活動を始める為の式でのそのショットは制服を着て友達とニコニコ笑っているものだった。
私の遠い昔を思い出す。勝ち気なとこだけ私に似やがってーだがかわいい。

姉はだいぶ身体が楽になってきたようで私にボードを持って来させ何を言うかと思えば冗談を書く。
わざわざ...
私は忙しいんだよ。暇に見えるわけ?だから構ってくれてるの?
ああ忙しい忙しい。なにがだよ、なあ。

そんなこんなで姉に構われている内に夜になった。
今夜は付き添い最後の夜かと思うと何だかとても寂しい気がした。
明日からまたしばらく仕事があるので思うように来られないしと思うと急に心配になってもきた。
少しずつだけど着実によくなって行ってる、心配ない。心配ないよ。
そう自分に言い聞かせたらまた急に睡魔が。
先程の感傷なんてどこへやら。
そこには規則正しい生活に充分適応している私がいた。


4/17(土)付き添い4日目

お義兄さんがお昼前に来て私をラーメン屋さんへ連れてってくれた。
そして病院に戻る前に私の食料調達の為コンビニへ行きあれこれ買ってくれた。
なんだか野菜不足だなあとサラダも追加。
そういえばもうパンツがあと1日分しかないんだったーというと好きなのを選べと言ってパンツも買ってくれた。わーい。しっかし、色気ねーなーこのパンツ。

戻ってみると鼻のチューブから流動食を喰ってる(喰ってると言うのか)姉に
「おいしいそうだな」と言うとしかめっ面をした。
お義兄さんが「オレがいる間に一服して来いよ」と言うので
「ああ、2人っきりになりたかったのね。気が付かないですいませんでしたねえ」とニヤニヤしながら頭を下げると「バカかこいつ」とこづかれた。

その後にタオル類を洗濯出来ると知り洗濯機を回す。
付き添いの方のもお洗濯されていいですよと言われたので私のも洗った。
乾燥室があるので半日で乾くというのでさっき買ってもらった色気のないパンツは姉のところへそっと忍び込ませる事にした。サイズはMでいいよな?でかい?贅沢言うなよ。

夜は私ももう慣れたもんで談話室から昨日宮部みゆきの「R・P・G」という小説を借りてきて合間を縫いながら読破した。どんでん返しが面白かった。

全然退屈じゃあない。
こうしている時間はとても静かでとてもゆっくりそうなんだけど実際には時が経つのはすごく早く感じた。
それにこういう時姉の側にいられて私はすごく幸せだと思った。
遠くに嫁に行ってしまってたならしたくても出来なかっただろうし周りの理解も相まって私はホントに幸せだと思った。

18日の用事は旦那が快諾してくれた。これでよし。


4/16(金)付き添い3日目

朝起きておはようと声をかける。
おお、顔がムーミンだと言うと一瞬笑ったような気がした。
表情はまだ作れないはずなのに確かに私にはそう見えた。

日中はわりと落ち着いた一日を過ごし夜の7時頃私を呼ぶのでボードを持っていくと「何かテレビでも見たら?」と。
そんなくだらん事で呼んだのかー。見たきゃ勝手に見るわい。

まあいいか。人の事を気遣う余裕が出てきたって事なのかなと素直に喜ばしく思う事にした。
テレビガイドを見ると面白そうなのはドラえもんしかないようと言うと目で笑ったので明日からはたくさん冗談を言ってみようかなと思った。
笑えないので逆に苦しいかもしれんがそんな分野ならまあ任せとけ。

昨日お義兄さんが姉に「こいつ(こいつとは言わないが名前)は17日で帰ってもらう事にするか?いいか?」と聞いた。
何と答えるか見ていたら少し間を置いてまばたきを一回した。
私は18日の午前中までいられるよと横から口を挟むとお義兄さんは私に遠慮しているのかちょっと考えてから「じゃあそうしてもらうか?」とまた聞いてみた。
すると姉はまたまばたきを一回した。

その後でお義兄さんが私に17日の夕方、私の代わりにお義兄さんの実家の母さんを連れてくるから交代して帰ってくれていいんだよと言ってたって事を姉に伝えたらボードに
「こいつ(だからこいつとは言わねーっつーの)のお家の方、忙しいでしょ?」と書くので
イヤ、私んちの方は全然平気だよと答える。
ちょっと躊躇ってから続けて「いつまでいられるの?」と書く。
いつまでいようか?邪魔じゃないのなら18日までいられるよ。どうしよう?
なんなら最長19日の午前中までいられるんだけど?と付け加えると

「こいつ(だからぁ〜)がいてくれないとさびしい」

決定だ。
明日の朝18日の用事を旦那に頼んでみる事にした。
私の中ではもう19日までいる事に決めてしまってたけど。


4/15(木)付き添い2日目

昨日はお義兄さんが帰りがけに「ここ、パソコン使えねえぞ」
げっ、なんで?お姉ちゃんには管しか付いてないんじゃない?
「それがだなあ、心電図が一個付いてんだよ」
がーん。暇な時間あったら日記を書こうと思ってiBookを持ってきただに。
「オレもな、仕事しようとノート持ってきたんだけどダメだって言われたんだ」
それ聞いてiBookをごそごそとバッグの奥の奥へ追いやった。しくしく。
ネットに繋げる訳じゃないんだからいいようなもんだがなあ。
ま、ダメで元々と思って持ってきたので潔く日記の事は忘れる事にした。
丸い円盤型のアダプターもキラリんとこっちを見ていた。見んなよっばか。
それにしてもお義兄さん、なんで私がパソコン持ってきた事が判ったんだろうなあ。

昨夜は9時消灯なので姉の右側1mくらい離れたところに用意してもらった簡易ベッドに横になる。
初めは何だか姉の事が心配だったけど私が起きていたって何の役にも立ちゃーしないし調子悪かったらナースコールをぽちっと押すだろうと思ったら急に睡魔が襲ってきてグーグー寝てしまった。お気楽な付き添いヤローだな全く。

今朝は早くから先生方の回診があり化粧の途中で廊下に出された。
うーん、明日からはもっと早く支度しておかねばならんな。眉までは済んでてよかったわ。
顔が昨日より若干浮腫んできたけども順調に来てますよと言われたらしい。
ホントだ。ムーミンみたいな顔だ。

姉とのコミュニケーションはと言えば
私に用事があれば右手でパタパタとおいでおいでをして呼ぶか
ベッドサイドにくくりつけられている鈴を鳴らして呼ぶか
3歳児くらいが殴り書きするペンの先に磁石が付いている「あいうえおせんせい」だったか「おえかきせんせい」だったか名前は忘れたが
そんなボードを使って文字を書いて伝える筆談とあとは大きな目でまばたき。

用事があるならそれらの方法で私を呼べるのでこっちからは何かあるかと呼びかけたりする事は極力しないようにして休みたい時には休ませてあげようと思った。
だから呼ばれればすぐに反応出来るようにと側でクロスワードをしたり雑誌を見たりしながら朝と昼と夕方には外部との連絡のために外へ出て携帯の電源を入れメールチェックとついでに一服。

そんな二日目は大した進歩なしだけど医師の言われた「順調」という言葉だけを安心材料として刻み込み、今日もまたよく寝た。


4/14(水)何やってんだか

朝、お義兄さんからメール
「今朝4時手術終わりました。今日来てくれるんだよね?ゆっくりでいいから気を付けておいで。よろしくお願いします」
はあ?夜通しでそれも19時間もかかったってか。びっくり。
何でも神経や血管を繋ぐ作業の時間がかかりそれが長引いた理由らしかった。

手術の日が決まった時から手術の後は私がしばらく付き添いをする事になっていた。
今週は今日の早番と16日の遅番に仕事が入っていたのだけど
同僚には訳を話さずただ16日の勤務を変わって欲しいとだけ言って18日まで休みを確保していた。
付き添いの予定は17日夜までだけど姉の様子を見て前後するだろうと予想してスキーバッグに着替え4日分とパジャマそれにiBookを詰めて仕事に行く。

早番の最後の仕事で外に行く用事があったので車を走らせていると狭い橋の上でガツンと車が揺れた。
あ、やっちまったかなと思ってすぐに脇によせ左前タイヤを見ると見事にパンクしていた。タイヤ自体がイカレてる。
アルミも傷ついたけど車本体は幸い無傷だった。
あーあ。こんな時に何やってんだかなあと落ち込んだけどやっちまってしまったものは仕方がない。
車の幅は絶対的な自信があったのにあの対向車めー急に寄ってきやがってー。
旦那に電話するも仕事中なので出てくれる訳はなく行きつけのガソリンスタンドが近くにあったのでゆっくりと車を走らせる。

「ああ、もうこれダメですね。取り寄せになりますが」とスタンドの兄ちゃんが早速パラパラとカタログをめくり始めたけど
「これから新潟まで行かなければならなくて時間がないんです。だからスペアタイヤでいいですから」と言うとウーンと考えていたが他のお客さんがいらないと言って置いてったスタッドレスがあるからその方がスペアタイヤよりもいいでしょうと付け替えてくれた。
待ってる間に旦那に事故っちゃったのメールを送った。
ホントに何やってんだかな。よりによってこんな日に車を...
1人でため息を付きながら待っていると割と早く出来上がったようでお礼を言い組み替え工賃1050円払って会社へ戻る。

一服して気持ちを落ち着かせてから出発しバイパスを走っていると旦那から電話。
「大丈夫か?タイヤのサイズが合ってないんだからゆっくり走れよ。追い越し車線なんか走ってんじゃねえぞ」
私がどこをどう走っているのかよくご存じで。はいはいと返事をしてそのまま一番右側の車線をひた走る。

午後4時半頃病院に着いたらお義兄さんが待合室にいたので様子はどうだと聞いたところお昼頃に麻酔から覚めて今は起きていると。
恐る恐る病室に入ってみると動かせるのは目と右手だけの姉がベッドに固定されていた。
来たよと言って顔を覗き込むと姉はまばたきを一回だけした。
それがウンの合図なんだろう。

私はミイラのように包帯でぐるぐる巻きの顔を想像していたのだけど右顎はキレイになっていた。ホッとした。
よーく見てみたけど傷跡などは全然判らない。よかったなホントによかった。
とてもキレイになってるよと言うとまたまばたきを1回した。

ただ、姉の身体には色んなものが付いていた。
鼻に細いチューブ、両肩に太いチューブ、喉の真ん中に穴、左手に添え木付きの包帯、両足の甲に点滴の針、おしっこの管、他は見えないけどお腹にガーゼと胸に心電図。
ま、こんなもんだろうか。
左腕から皮膚を取りそれを顔に、そしてその腕にはお腹の皮膚を移植したのだそうだ。なんだかすごいな。人造人間ってだけじゃなくて整形改造人間にもなっていたのか。

姉の世話はみんな看護婦さんがやってくれる。
ナースセンターの真ん前の部屋なのでナースコールを押すとすぐに飛んできてくれる。
それでは私は何のためにここにいるのかと言うと
患者を癒すため、心のケアのために必要なんだとか。
そう聞かされた時に私は自分が犬や猫、はたまたイグアナみたいなペットになってしまったような気になった。
いるだけでいいんだそうだ。
初めはその意味がよく判らなかったのだけど動けない姉をしばらく見ていると何となく判ってきたような気がした。
いくら看護婦さんが側に何人いたとしても自分は1人という気になって寂しいんだね。心細いんだね。不安になりそうなんだね。
私でよかったらずっと側にいるよ貴女の気持ちが落ち着くまでずっと。

そんな事を思いながら姉の視界の範囲でうろちょろしている事にした。
近くにいるだけでイイのなら。それで何となくだけどイイのなら。


4/13(火)しばらく静かだったその訳は

さてと。どこからどう書こうかな。
あれは2/9、姉から珍しく電話があった時からの事なんだけど。

2/9の日記にも書いたけど実はその会話にはまだ続きがあった。
「腫瘍が出来たの」と言われた時「でもそれは良性なんでしょ?」とたのむから期待を裏切ってくれるなよと願いながら聞いたのに「いや、悪性らしいの」と少し間を置いてから姉は答えた。

なんでだよ。

頭の中が真っ白になり次の瞬間にはこめかみあたりがカーっと熱くなるのを覚えた。
目を開けているのに視点が定まらない。脳の回転があまりにゆっくりで止まってしまうんではないだろうか、そんな感じがした。
何か言わなきゃ何かをと久しぶりに動揺した私の気持ちを察知してか姉は
「今のところ他に転移はしてないみたいだから入院して治療してそれから様子見て手術になるらしいのよ」
姉は冷静だった。
だけど急に聞かされた私はどうすればいいの。何から整理していけばいいの。
とりあえず家に帰ってから旦那には言った。
その夜はかなり遅くなるまで何も考えずちびちびとウイスキーを飲んでいた。
テレビは付いているけどそれはただの電気の無駄使いだった。

翌10日の午前中に姉とお義兄さんが実家の両親のところへ事情を報告しに行くというので私も行った。
私にしては珍しく約束の時間より早く実家へ着いて姉の顔を直視出来るかどうかそれだけを不安に思っていたけど夫婦揃って医師から言われた事を正確に伝えてくれた。
転移しないって可能性は100%じゃないけど手術して取り除ければ大丈夫だからと。
少し安心した。
姉もそれなりに悩んだりしただろうにそんな様子は全然見せず前向きな考えのようだった。
病気の正式名称は右側下顎歯肉腫瘍。
右顎の腫瘍を骨ごと取り去り金属プレートを入れる、そんな手術らしい。
人造人間になるのだなチミは。かっちょいいではないか。

入院の日には一緒に付いていった。
休みには退屈がってないか不安がってないかと顔を見に行った。
何もする事ないと退屈するんだよね。少しでも話相手になれればいいなと思った。

入院して少し経ってからどの薬をどのタイミングでどの程度使うかなどを決める検査をし
初めの頃は退屈だーと笑って私と雑談を2時間3時間してたのに
その内抗ガン剤が投与され始めると食欲がなくなり吐き気がすると言って横になってた。
そんな時は早めに帰ってきた。
姉が疲れるからというのもあったけど私が姉のそういう姿を見ているのが辛かったってのが大きかったかな。

抗ガン剤の投与が終わると吐き気は全くなくなったけど次は放射線治療に入った。
毎日1回照射して15回受けるという。
それは痛くはないんだけどねという姉の顎は顔を見に行く度に少しずつ赤くなって行った。
その照射のせいで食べる物全てが美味しくなくみんな塩味に感じるという。
だから有名なケーキ屋さんのケーキもしょっぱかったーと苦笑いしてたっけ。

それと同時進行で髪の毛がだんだん抜けてきた。先に投与した抗ガン剤のせいだわね。
下の毛もね、お風呂に入ると抜けるんだよーと笑って言うなアホ。
3月の末に仮退院する頃には頭にバンダナを巻いてた。
そしてその春休みのような仮退院が終わり病院に戻って1週間後の今日がいよいよ手術の日であった。

今日の9時ころ、お義兄さんから「たったいま手術室に入りました。終わるのは夜中になるそうなので明日の朝にまた連絡入れます」とのメールが入った。
私は両手の平を合わせて眉間に持ってって成功を願った。


4/12(月)引いてる場合じゃねえ

今週は具合悪くなんかなっていられないのに少し風邪気味で鼻がぐずぐずする。
昨日の夜桜のせいではなくてその前の日から何となく風邪っぽいかなという感じがしていたのだけど明日までには絶対治さなきゃいけないぞと日中はゆるりと過ごし夜は栄養ドリンクで風邪薬を流し込んで9時にはベッドに入った。



4/11(日)それでも鼻水が

早番で仕事をしていると旦那の友達から電話があった。
何故に私へ?
よく聞いてみると旦那の方に電話しても出なかったらしい。
なるほどね。近場で修羅場はいやだわねと思ったのでホッとした。それも旦那の友達とだなんて(あのな)

そんな事を少しでも思った事については微塵も出さず
田んぼにでも行ってるのかもしれないねーそれでどうしたん?と聞くと
今夜急遽観桜会をする事になったから6時半にどこどこな、と。
やはり私の身体が目当てではなかったようだ。ホント?でもホントなの?
隣の芝生はよく見えるってことわざなかったかしら?
おいもうやめんかい。

久しぶりのメンツで飲み会ですのねそれも私の大好きな桜の下でだってさ、わーい。
えへえへ行くよぅと旦那に聞く前に即答してしもうた。

前に観桜会をした夜はとても冷え込んでて風邪引きそうってよりも顔が寒さで痛かった。毛布にくるまりながら冷てーじゃねーかこのビールと文句を言った覚えもある。
この時暖かいビールが欲しかった。なんでもいいから暖かいもの。
身体が暖まる日本酒をあおったのは言うまでもない。
震える子供にも飲ませたかったくらいに寒かった。
だから今回はまだ完全に片づけていなかったスキーウエアを出し、フリースを出し、スキースパッツを出し、ババシャツを着込んで用意周到。
おしゃれなんてのはもうどうでもいい。ただひたすら暖かければそれでええんだい。

指定された場所に着くとライトアップされた桜は昼間のそれとはまた違った美しさを放っていた。
来週にはもう散ってしまうんだろうなと思わせる淡いピンクの花びらは今がちょうど満開。

旦那の仲間5家族が揃いお互いに相変わらず元気でいることを喜んだ。
ただ今日はもう1組来る予定だったのだけどこちらに向かう途中の道路で玉突き事故にあったとかで来られなくなった人の事も笑い話に出来るくらいおめでたい連中であった。

私がこの人たちと出会ったのは私が結婚する前だからもう16〜7年も前の話。
いつもなんだかんだと理由をつけてはよく集まっていたけど
子供も大きくなってきたり仕事もそれなりの役になったりでそれぞれ忙しい日々を送るようになってきてここ最近はなかなか逢えない日が続いていた。
でも不思議とこうして久しぶりに逢ったというのにその関係は以前とどこも変わっていなかった。
相変わらす真面目な話などはどこからも出てこないのだ。

いいね、こういうのも。
と、桜を見上げながら鹿児島の焼酎を飲みながらそう思った。


4/10(土)美の代償

今月はお金がない。非常にない。
いつもは余裕を持って口座に残しておくのだけど4/1に12000円ちょっと残して全額下ろしてしまわなければならなかったくらいにない。
しかし待てよ。何か忘れてる。ま、いっか。
だけど、ま、いっかでは済まされない事態だと気が付いたのはつい先日の一枚のはがきが来てから。
督促状である。
自慢じゃないが督促状だけは未だかつて貰った事がなかったのだが
ついにその栄光は過去のものになってしまった。
モノ買ったのにお金を払わない悪い人になってしまったのだ。
悪い人だ悪い人。
あーあ。ジャスコカードは滅多に使わないから引き落とし日が月初めだっての忘れてたんだよなっていう言い訳は私の頭の中で虚しく響き渡るだけ。

それ、今日出掛けたついでにコンビニで払いました。手数料はお客様持ちですとの事で105円も払って。
その額13387円。
そのモノ、私の化粧品でありますた。


4/9(金)やればやれるのにぃ

今日は午後から来客があるのが判っていたので朝からはりきってお片付けをすますた。
天井を見上げるといつの間にやらほよほよと埃が付いていたのでクイックルワイパーにご登場願いうんしょうんしょとほよほよ退治。
上から順にキレイにしていき一通り終わった後に部屋を見渡すと今度は急に模様替えをしたくなっちゃったので思いつくまま並べ替えてみたりして。
新しい家を建てたら絶対壁面収納にするぞと思いながら今はこの状態はどうする事も出来ないので少しでもすっきり見えるように布をかけたり籐のかごを持ってきて置いてみたり。ああ楽しい。

午後からいらしたお客様は玄関で帰られるかなと思ったけどそういう雰囲気が流れていなかったので部屋の方へ上がってもらった。
やっぱりキレイにしておいてよかったわ。
しかしいつもキレイにしておくとキレイのありがたみが感じられないので
片づけというものはこれくらいの節目でやるのがちょうどいいのである。


4/8(木)188円×1.05=197.4円

買い物に行くと価格表示があらまあ税込になってんのねと気づき始めて早1週間が過ぎたにも関わらずまだまだちゃんと値札を確認しないとダメな私。
スーパーへ行っても「あれーこれ高くなってない?」とか「高いから今日は買うの止めとこ」とか勘違いしてグッと買う物が減った私。

先日薬局でティッシュペーパー5個組が198円となっていたのでうきうきとビニールの取手を掴む。あ、びよーんと伸びて切れそう。
でもこれって税込み?だったら前より安くね?と、なんだかやけに嬉しくなる。
他のモノも買ってからレジへ行き言われた通りのお金を払い
車に戻ってからレシートをそっと見てみた。
小計6点 外税品2521円 外税126円 合計2647円
なんだこの店。もしかして税金の二重取りか?
よく見るとかのティッシュペーパーは188円となっていた。
なんだこの店。


4/7(水)二重瞼ぱっちり

別れと言えば今日はもうひとつ残念な別れがあった。
本日歯医者さん通いが終わってしまったのだ。
これでもうあの色男と逢えなくなってしまうと思うとちっとも嬉しくないわああ。
私の顔に顔をお近づけになられた時私はあなたのまつげばかり見ておりましたのよ。

「はい、これで一応終わりです。他に悪いところはないみたいですが何か気になるところはありますか?」と聞かれた時
「ええ、そこもここもいまいちしっくり来ません」と言いたかったものだが
それでは一生懸命治してくれた彼に大変失礼であるし残念ながら完璧に治してもらったので渋々「いいえ、ありません」と答える。
さようなら先生。わたくしお別れはとてもつろーございます。
でも来年の今頃ラブレターをくれるそうなので楽しみにして待っていますね。
定期検診の案内を恋文と思う私はかなりおかしくなってないだろうか。


4/6(火)別れの春

私、タバコを吸うくせにタバコの匂いが嫌いなのね。
髪の毛や服に付くのがとってもイヤなのでファブリーズは当然常備なのだけど
先日コンビニでバージニアスリムの隣にあったLUCIA(ルーシア)というメンソールを買ってみた。
これが意外と旨くて煙も匂いも少ないときた。
という事でこの春から長年愛用のバージニアスリムともお別れの運びとなりました。



4/5(月)忘れないものね

始業式だった。月曜日だった。私も仕事だった。
そう言えば昨日は中学の時にチョコレートをあげた先輩の誕生日だった。
おかまの日だなんて失礼ね。誰が言ったの?
でもうーん、そう言われればそれっぽいとこもあったかもしれない。
としおさん、お元気ですか?



4/4(日)合わせ技?

どこから覚えて来たのか知らないが娘が突然
「ママは車を運転する時、普通の道路でも80km/h以上出してぶっ飛ばすから気を付けろっ まーちがいない」
「ママは生理前になるとイライラするから気を付けろっ まーちがいない」
「ママが「味が薄かったら適当に何でもかけて」と言う時は味見をしてない時だ気を付けろっ まーちがいない」

いや、まちがいはないけどね。
そのギャグは「気を付けろ」と「まーちがいない」は一緒に使うんだか?おんどりゃー


4/3(土)もうぜってー行かない

子供がドラえもんの映画を観たいというので住宅展示場を少し見てから連れてった。
その間に親は買い物をし疲れたと言ってはスタバでコーヒー。
しかし万代シティのスタバは狭くていかんな。座るところをまず探さねばならないのにはまいったわ外の席だと寒いし。

夕食は初めお寿司の予定だったけどあまりにお腹が空いたので食べ放題のお店に入り寿司だ焼き肉だカラアゲだケーキだと食べに食べたけどどれもあんまり美味しくなくて4人で6600円だったら普通に食べた方がよかったじゃんと反省しきり。
それでも動けないほどお腹一杯になっちゃって「ああ私って卑しいわ」と落ち込み更にイヤーな気分になる。



4/2(金)今月は

昨日考えたウソの数々はその内に気が乗ったら別枠としてアップしましょう。
って、毎日の日記も滞りがちだとゆーのに何言ってるんでしょうか私は。

そんな訳で今月も何かと忙しいので今月から一日分の日記は短めに行く事にしました。
たぶん1行か2行。多くて5行。
あ、もう5行目だ。いっぱいいっぱいだ。ではまた明日。


4/1(木)これこそ...

今日はエイプリルフールだったね。
リアルっぽい冗談をいくつか書いてはみたんだけれどどれもこれも納得がいかない。
どうして書けないのかなあと悩んでみた。
けど理由は単純。考えるまでもなかったのだった。

私はうそがつけない。つけないからなの。


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