水車小屋の風景

8 籾摺り器

 

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籾摺り器

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籾摺 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

脱穀・籾摺り・糠取り

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農家は自前の籾摺り器を使った

 

稲刈りした穂は脱穀して籾となり、次いで籾摺で玄米になり、精米して白米となります。つまり、水車小屋に持ち込むのは玄米だったわけです。米を搗いて白米に精米していたのです。

これまで漠然と、籾殻の付いた籾を持ち込めば白米にしてくれるのが水車小屋の機能だと勘違いしていました。籾殻を取り除いた玄米を精米していたのでした。

それでは、籾を玄米にするにはどうするのか?籾殻をどう取り除くのかが大変な問題です。この点については、Oさんは、こねた粘土に竹ベラを等間隔に埋め込んだ臼を上下用意して、摺り合わせることで殻を取ったと言います。

Uさんは、蒸篭(せいろ)のような丸い型に粘土を入れ、その中に等間隔で板を埋め込んだ臼を上下用意して臼を回したとのこと。要するに、粘土の中に埋め込む材料が竹と板の違いだけで同じようなものです。Uさんは更に、下の臼は上部をわずかに円錐形にするのがコツだと言いました。

臼を回すことで吐き出しやすくするためです。いずれにしても、上臼と下臼とで籾から殻を取り除くということでした。これを土臼と呼んでいたそうで、たいていは農家が自前で作成したとのことです。水車小屋の風景はいろいろなことを教えてくれました。

 

 

 

昔ながらの水車は玄米を搗いて白米にするための装置です。自然の力を、杵をつく動力に変えているわけです。この水車の構造は各パーツが緻密な計算と技術の産物で、この巧みの技を持っている大工さんは少なかったようです。

 

水車に米を搗かせるときも、搗きあがるまで放っておくわけにはゆきません。途中で糠取りをする必要があります。短時間で終わることはないので、しばしば夜中に様子を見にゆくことになります。 

 

それより前の段階で、稲刈りをしたあとに脱穀もしなければなりません。そしてその後、玄米にするのに、竹や板をはめこんだ“土臼”を使って臼を回し、籾殻(モミガラ)を取り除きます。農家は自前の土臼を用意していたと言います。

 

きのう中川の畑で大下さんから聞いた話は稲を作る前の代掻きの苦労でした。土をこねる仕事です。今は小型の耕運機があって、だいぶ便利になったが、昔は牛に“マンガ”(歯が数本付いたひっかき棒みたいなもの)を曳かせました。

 

しかし、牛も生きものです。時には虫の居所が悪いこともあったでしょう。牛をして田圃を縦横に代掻きさせるには、コツも必要だったと思われます。昔は農家の嫁さんも重要な働き手の一人でしたが、女性が代掻きに立つと牛が言うことをきかなくなることが度々あったと、大下さんは言います。

 

牛に“なめられる”のです。首を左右に振ってイヤイヤをしたり、猛烈な鼻息を吹きかけたりしていたそうです。脚を踏ん張って梃子でも動かないといったサボタージュもありました。つまり、牛にしても、泥田に入って泥と格闘するのに大変な労力を必要としたということです。

 

しかも、代掻きは晴天の日だけを選びません。雨模様の日は適度の降雨であれば、かえって土をこねやすかったのです。そんな時は、雨が体を濡らします。それに備えたのが、蓑でした。

 

藁(わら)で作った蓑は時間が経てば、やはり雨水が中に浸透してきます。そこで考えられたのが棕櫚(シュロ)の樹の皮だったと大下さんは言います。棕櫚の樹の幹を覆う細い繊維状の皮(シュロ皮)をはぎ取り、天日で乾燥させてから3枚くらい重ねた物を蓑の形に仕立てて使ったそうです。

 

米を搗く水車の話から始まった稲作は代掻きの仕事をもってしても、こんな様々な苦労があったわけで、とにかく、昔の農家の苦労話は尽きることがありません。