水車小屋の風景

5 水下・入谷の水車小屋のこと

 

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水下の水車小屋

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入谷の水車小屋

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石臼 金魚鉢に転用

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4個の石臼

 

アラッコの通りで出会った散歩中の老夫婦Nさんは公民館の近くにお住いの方でした。早速、水車小屋の場所を問うと、やはり、こころ介護の下あたりだと言います。以前はこころ介護の敷地と水路の間に細い道があって、その道を下ったところにあったとのことです。この話しは「二つ掘」のオカミサンの証言と一致します。

しかも、Nさんご夫婦はこの水下水系に合計6個の水車があったと教えてくれたのです。先ず上から、「こころ介護」の直下に“大門さん(奥様は「水落ち」さんだと主張)の水車小屋”、堂の前の上に“こうやの水車”、外岡さんの“堂の前の水車”、二つ掘の前が“となりの水車”、そして馬道の水道施設の手前に“前の家の水車”、最後に、小学校の北側に流れ落ちたところに“外岡さんの水車”。

ちなみに80歳を越したと思えるNさんは、寿湯の前身はモーターを回す精米屋で、水車は無かったと言います。そしてまた、山神社の前を下りたところにも、モーターが動力の精米屋が一軒あったそうです。この件については、また調べてみましょう。

 

 

 

臼 (750x563)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水下に水車が幾つもあって、水を受けて回っていたことは多くの人から聞きました。かつての現場へも行ってみました。当時周りは殆どが田圃だったそうで、米を搗く場所がそれなりに必要だったことがよくわかりました。

 

水下の公民館を中にして、上流と下流に合計6軒の水車小屋が立ち並び、水車を回していた図は、回りに未だ家が立ち並ぶ前の時代には実に絵になる風景だったと思います。

 

ところで、水下にあったのなら、入谷にも水車があってもおかしくない、と考えるのは当然で、事実、水車ではありませんが、きのうまでに山神社の前の道を下った所に精米所があった話しを聞いております。

 

今朝は入谷の農家の方に会うべく、それぞれの畑を訪ねてみました。中川の畑のOさんは不在。それではと吉久保まで上がると、ミカン畑に85歳のMさんがいました。相変わらずお元気で、お孫さんと一緒に作業しておられました。

 

早速、訊いてみると、彼のお宅のすぐ近くに松本精米所というのがあったということ、しかも、先日ある方から聞いていたとおり、モーターを動力とした精米所でした。ある時期に水下(だったかな?)から来て、営業を始めたということです。

 

そして水車ならば規模は小さいが、中峰(なかみよ)さんのところにあったと言うのです。ただし、こちらの水車は個人で使用していたらしく、しかも水車が回っていたのではなく水を受けて杵が上がり、同時に水受けが空になって杵が打ち下ろされる仕組みの「バッタリ(添水唐臼)」。往時、中峰橋から向畑にかけて一帯は田圃だったそうで、志津摩川の川べりにではなく、その少し上流から田圃の中にまで小さな水路を導いて動力にしていたらしい。

 

それと、東の隠居さん方にも水車があったということです。こちらのほうは比較的大きな水車で、山田川(大川)の水を引いていたわけです。ただ、いつ頃まで回っていたかは記憶がない、ということでした。やはり想像していた通り、入谷にも水車が回っていたのです。

 

帰りに、入谷出身の比較的お若いご婦人から聞いた話しはMさんの説を裏付けてくれました。しかも、両方とも場所を特定できたのは何よりでした。彼女の近所では殆どがこの精米所を利用していたようです。彼女の記憶が鮮明であるということは、東の水車小屋が姿を消したのは、そんなに古いことではないようです。

 

その後、入谷の古老から聞いた話では、「よかさか」の下を流れる大川の傍らに一つと、「うどんげ」の上と下に二つの“バッタリ式”の小屋があったということです。

 

それから、土尻にあった東の隠居さんの水車は石臼が4個もあったということです。水車の軸の延長線上に付けた4か所の桁が軸の回転によって4個の杵を上下させていたということですから、まさにその光景は壮観だったことでしょう。

 

なお、1個の臼の精米能力は24時間で約2斗だそうで、4個の臼だと8斗即ち1俵(120キロ)ということになります。1個の臼の小屋では多くて4〜5軒くらいの農家の“持合い”ということでしょうか。ですから、水下に6個もの水車小屋があった、いや必要だったというのもうなずける話です。

 

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なお、西の隠居の水車があったことは、現当主からもまたそこから出た方からも聞いていた。