水車小屋の風景 

2 稲取大川の水車小屋

 

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稲取大川(成就寺前)

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円内の小屋辺りに水車小屋があった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見高車

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ギンジロバンジョ

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稲取大川は遠く細野高原を水源として、入谷の通称山田川となり、菖蒲沢、洞川などの支流を集めて稲取港に流入しています。また、大川に架かる橋は河口から順に稲取臨港橋、大川橋、新大川橋、そして材木田の橋があって、国道に架かる入谷橋との間にもう一つ、JAの橋もあります。

 

ここで大川橋というのは昔からのいわゆる東浦路の通りで、新大川橋は信号に通じる県道上の橋のことです。大川橋の方は夏祭りが近づくと、スサノオ神社の神様がお仮屋へ遷御する通り道として、ヒノキ(?)などでフレッシュアップされる橋です。

 

さて、今朝は“見高車”さんにたまたまお会いして、水車のお話しを聞くことが出来ました。見高車さんは現在三代目。お祖父さんが見高から分家して当地に水車小屋を建て、精米の仕事を始めました。二代目の父は戦死。母が後を継ぎ、三代目もお手伝いをしたそうです。

 

水車小屋の場所は川の右岸(川が流れてゆく方向に向って)で、成就寺前に架かる材木田の橋の上流、間もなくの所です。子どもの頃はこの水車小屋でよく遊んだそうです。川は現在程大きくはなく、橋は危なっかしい木造だったそうで、事故もあったと聞きました。

 

この川ではアユを始め、ウナギやテナガエビなども獲れたそうで、テナガエビをお父上が笊一杯獲ったこともあったと言います。それから夏には川を石ころで堰き止めて水浴びしたことも懐かしい思い出です。

 

ギンジロバンジョ(何代か続いた大工の棟梁)さんのご子孫が描いた冒頭の絵は昔のそういった情景を写して郷愁を誘いますが、この水車は橋の名前はともかく、その下流の右岸にあります。川からセギを通じて水を引き込んで水車を回している様子がよくわかります。

 

この水車はギンジロバンジョさんの水車だったそうです。この方は大工さんの棟梁でありながら、水車も廻していたと、三代目のご婦人は言います。しかし、彼女もの心付いた頃にはなかったとのお話しでした。見高車も昭和37,8年頃には時代の流れに飲み込まれました。伊豆急も一昨年に50年の歴史を刻んだのですものね、と川床に目を落としながら彼女が言いました。