ここでは、毎月厳選してその月を代表する物語を紹介。
今月の物語は「祝言」。

祝言   
鶴亀東吾とるいの祝言が行われたのは、六月末のおだやかな夜であった。
神林家から贈られた白無垢に、通之進が自ら選んだ翠紗の打掛を柔らかく着こなしたるいを見て、東吾は正直にうれしそうな顔をした。
祝言は東吾が正式に神林家の家督を継いでからと思っていた兄も、この春から東吾が講武所教授方を命ぜられ、当分与力職を継ぐことが出来ないので、とりあえず内輪だけの祝言をあげることにしたものであった。
畝源三郎夫婦がるいの親代わり、立会人が松浦方斎と斎藤弥九郎という型破りなものであったが、やっと今日の日を迎えられたるいにしてみればまだ夢のような気がしていた。東吾はそんなるいを随分待たせたと思いながら、天下晴れて抱きしめた。
当分は、「かわせみ」の改装した離れを二人の新居とし、今までのるいの居間は東吾の友人たちのための客間とし、どことなく武家風に模様替えしていた。

祝言の夜、「かわせみ」に泊まった本田籐七郎は二十年ぶりに江戸へ出てきて、その昔霊厳島にあった畳表問屋の播磨屋をさがしていた。その播磨屋は天保五年の大火で焼け落ちていた。播磨屋の娘、おはつは姫路藩主酒井家の中屋敷に奉公に上がっていて、当時江戸詰めであった本田籐七郎とは末を誓った仲であった。しかし親に言い出す前に籐七郎は播州一揆のために急遽国許へ帰国、翌年江戸に戻ってみれば、既に大火の後であった。播磨屋の消息は知れず、おはつの行方も手がかりさえなかった。その後籐七郎は在藩組に配置がえとなり、以来江戸へ出てくる機会もなかった。
今回、所用で出府し、昔がなつかしく、播磨屋の消息が分かればと探していたもので、何か手がかりがわかれば知らせてほしいと頼まれて、るいは思わず承知したが、嘉助もお吉も無理ではないかと言う。
その夜、講武所から帰宅した東吾は、るいからその話を聞かされた。
るいは東吾につきっきりで世話を焼き、新居の離れから出ていく気配がない。東吾は宿屋家業のことを心配したが、るいは「何かあれば言いにきますもの」とまるでとりあわない。
東吾も、二十年も前のことであり播磨屋を探し出すのは難しいと思ったが、翌日、講武所の帰りに越前堀まで行ってみた。亀島橋の上から霊厳島町を眺めていると、ばったり畝源三郎と長助に出会った。昨夜、本所緑町で火事があり女郎屋が三軒焼け、蕎麦屋の倅が大怪我をした。固い親父は女郎屋の火事で怪我をした息子に腹を立て、勘当だなんだと大騒ぎになり、同業の長助がとりなしに行った帰りであった。東吾はちょうどいいところで会ったと、源三郎と長助を「かわせみ」へ引張ってきて、例の二十年前の播磨屋の一件を話し出した。

七月に入って、本所の麻生家に行った東吾は、宗太郎の所へ火傷の手当に来ていた年嵩の娼妓を見かけた。大人しそうな顔立で、娼妓にしては行儀がいい。宗太郎に訊ねるとぼつぼつ四十で、近いうちに木更津の岡場所へ移るという。店での名は初菊、本名はおはつ。まさかと思う。「かわせみ」へ帰る途中、長寿庵へ寄って長助に初菊について調べてくれるように頼んだ。その長助の調べでは、初菊は木更津の生まれで、漁師の娘だという。
更に二日後、東吾は講武所の帰りに越前堀に一人立っている初菊を見かけた。初菊は霊厳島町の方角を眺めていた。つい傍によって声をかけた。
「お前、播磨屋のおはつじゃないのか、姫路藩の中屋敷に奉公していた」
女はぴくりとして東吾を見たが、急に下品に笑い出し、何も言わずに去っていった。

そのまま大川端に帰ってくると、「かわせみ」はてんやわんやの騒ぎだった。なんと今日の七夕に兄夫婦がやってくるという。通之進夫婦は六ツ半に、徒歩でやってきた。奉公人一人一人に引出物がある。東吾には兄夫婦が弟のために「かわせみ」へ挨拶に来てくれたとわかっていた。大川からの風に短冊が揺れ、東吾にもるいにも忘れられない七夕の夜となった。
越前堀であった初菊のことはとうとう話そびれてしまった。結局初菊は木更津に発っていった。あっちこっちの岡場所を流れてきた女にしてはどこか品がよかった。もしあの女が播磨屋のおはつだとしたら、なぜ長助に嘘をついたのかと思う。東吾が訊ねた時、まるで播磨屋のおはつであることを拒絶するかのように、故意に下品な笑いで誤魔化した。
東吾はこのことを本田籐七郎に知らせたものかどうか、川の流れを見つめ続けていた。

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