ここでは、毎月厳選してその月を代表する物語を紹介。
今月の物語は「源三郎子守歌」。

源三郎子守歌   
東吾は兄嫁の香苗の供をして、浅草の瑞泉寺に出かけた。
昨年非業のうちに亡くなった、今は畝源三郎の妻となっているお千絵の父、江原屋佐兵衛の初盆に出席するためであった。江原屋は御蔵前片町でも有数の札差で、温厚な人柄の実直な商人であったが、店に金を借りに来た蔵宿師と対談方の争いを止めに入って斬られてしまった。
江原屋の跡は、残された一人娘の千絵が然るべき婿を迎えて継ぐものと思われたが、心の中で想い合っていた畝源三郎と結ばれて、結局八丁堀へ嫁入りした。その時、いろいろと骨を折ったのが神林通之進で、事実上の仲人であった。
その縁で、香苗が法要に出席したのだが、その席にはるいと嘉助も招かれていたので、東吾には少々面はゆかったのである。

千絵が八丁堀へ嫁入りした後の江原屋は忠義者の番頭が店を預かり、畝夫婦の二番目の男の子にぜひ江原屋を継いで貰いたいというのが親戚一同の望みでもあった。

墓参も終わり、寺の方丈で精進料理の膳を囲んでいたとき、これもやはり招かれて出席していた長助のもとへ「小塚原で侍が殺されている」と知らせが入った。知らせてきたのは橋場の吉五郎という岡っ引で、長助と昵懇にしていた橋場の久三が大捕物で命を落としたあと、その持ち場を継いだのだが、まだ若いということもあって、なにかと長助が手を貸してやっていた。
長助は一人で行くつもりだったが、源三郎は法事の席を抜けて一緒に小塚原へ急いだ。牛頭天王社のむこうの池に男が一人素っ裸で殺されていた。
「こいつは、ひでえことをしやがったな」殺人現場には不釣り合いな明るい声がして、東吾が顔を見せた。
男は半分池につかるように死んでいた。年の頃は二十七、八。やったのは三、四人で、滅多斬りに殺されたあと、何かを探すのに衣服を剥がれたようで、着物の襟や袂が引きちぎられていた。手にしていた差し料は無銘ながらなかなかの業物で地方の郷士や中間小者の持てるようなものではなかった。

検屍が終わり一同が戻ってくると、牛頭天王社の神職がやってきて、境内に捨て児があるという。境内に野宿していた乞食の夫婦が見慣れぬ赤ん坊をつれているので問いただしたところ、旅の侍が置いていったと言う。その侍の姿、形を訊ねると、どうも殺されていた侍のようである。その赤ん坊は生後三、四ヶ月。木綿の腹掛けをつけて、麻の着物を着ている。のぞき込んだ東吾と源三郎を見て、うれしそうに笑い声をあげた。

結局赤ん坊は「かわせみ」で預かることになった。人殺しの現場に出かけていった男たちが連れ帰った赤ん坊だから、何かいわくがあるのだろうとるいも嘉助も承知している。
どうも子連れの侍が追っ手に追われて牛頭天王社までやってきて、子供を境内において小塚原まで逃げたところで追いつかれ斬られたのではないかと東吾が言った。かなりの差し料をそのままにしているところをみても物取りの仕業とは思えない。
「どうしてお侍が赤ちゃんを連れて逃げてお出でだったのでしょう。赤ちゃんのお母さんは・・・・・・」るいがそっちを心配した。
母親がいないのか、途中ではぐれてしまったか。確かに先を急いでいたとすると、赤ん坊は男が背負った方が便利には違いない。それでは、その母親はどこかに逃げのびたか。
男達がいろいろと推理している間に、お吉が赤ん坊のお襁褓を取りかえ、重湯を飲ませて連れてきた。
東吾がふと、赤ん坊がしている腹掛けに目を留めた。金太郎がしているような菱形の腹掛けで、裏は祭りの手拭のようである。
はずして見てみると、松戸天神の祭りの手拭である。
東吾はその腹掛けをお吉に戻しながら、「明日、俺が松戸まで行って来よう」と源三郎に告げた。
翌日東吾は、長助と、長助のところの松戸生まれの若い衆と三人で松戸に向かった。
松戸の茶店で聞いたところ、その手拭は、今年の四月、松戸天神の祭礼に町内の大店の旦那衆が配ったものと分かった。
詳しいことは名主の高野庄兵衛に聞いた方がいいと教えられた一行は、さっそく名主の高野庄兵衛を訪ねた。
東吾達から話を聞いた庄兵衛は、百姓の籐兵衛を呼んだ。籐兵衛の女房は昔、侍の屋敷に下働きとして奉公していたが、その籐兵衛の家に江戸からきた若い夫婦が身を寄せていた。若い夫婦は、籐兵衛の女房が昔奉公していた屋敷の娘で、親に結婚を反対され駆け落ちしてきた様子。娘はすでに妊っていることもあり、籐兵衛夫婦が世話をしていたという。
四月の末に男の子が産まれ、庄兵衛の女房が甚平でも作るのに縁起がいいからと祭りの手拭を渡していた。
その若夫婦のもとに、五日程前に一人の旅人が厄介になった。食あたりで苦しんでいた侍を助けて、世話していたもので、一日も休めば江戸へ発てるだろうとのことであった。
ところがその若夫婦が一昨日の夕方、突然旅支度で籐兵衛を訪ねてきて、これから急用で江戸へ行くという。籐兵衛はわけもわからずに、慌ただしく旅立っていく三人を見送った。
ところがそれから一刻ばかり後に、今度は三人連れの侍が訪ねてきた。病で倒れた侍はいないかというので、裏の若夫婦の家に連れて行くと、なんと介抱されていた侍が押入の中に押し込められていた。あとからやってきた三人の侍は、その侍と一緒に飛び出していった。籐兵衛の話では、水戸家の侍ではないかという。
「昔奉公していた屋敷とは、なんというのだ」東吾が訊ねると、
「本所のお屋敷で、笠原長左衛門様とおっしゃいます。お嬢様はおいね様。」
東吾ははっとした。笠原長左衛門殿の娘のおいねとは、畝源三郎と祝言をあげるはずだった娘である。
おいねは、なんと源三郎との祝言の日、以前から相思相愛だった市三郎という御家人の息子とかけおちをし、その結果瓢箪から駒で源三郎が千絵と結ばれたのであるが、その不思議な巡り合わせに東吾は驚くばかりだった。

たぶん、市三郎夫婦は病に倒れた水戸家の侍を介抱していて、何かを見つけてしまった。それは、代々幕府の禄をはむ者にとっては重大な何かだったのであろう。それを持って急ぎ江戸へ夜旅をかけた。その何かとは、水戸藩士にとっては命に代えても取り返さなくてはならない重大なものであった。しかし途中で追いつかれ市三郎は斬り殺された。水戸家の藩士達は市三郎の遺体からその何かを探し出したのであろうか。もしその何かをおいねが持っているとしたら、彼らは血眼になっておいねの行方を探すであろう。東吾の足は、駆け出すように江戸へ向かっていた。

ちょうどその時お千絵は縁側に出て縫い物をしていた。やがて生まれてくるであろう我が子のためにと産着を縫っていた。十日ほど前に医師に診てもらって来春早々に生まれると聞かされたが、まだ源三郎には告げていなかった。
表に豆腐売りの声が聞こえて、裏口から出ようとして女が慌てて立ち退いた。
「こちらは畝源三郎様のお屋敷でございますね」女が訊ねた。他出している旨を告げると、
「あなたさまは・・・・・・」
「家内でございます」
女は何も言わずに背を向けて立ち去った。
変な女だと思いながら豆腐を買って戻ってくると、玄関のところに侍が三人立っている。見たところ、江戸の侍のようではない。
「当家に女が逃げ込んだ。出せ」と居丈高に言い出した。
お千絵は少しもひるまずに、「そんなことを言われても困ります。私はたった今戻ったばかりです。一応、家の中をあらためて参りますので、しばらくお待ち下さい」
お千絵が家の中に入ってみると、さきほど声をかけてきた女が居間の奥にいた。
「おかくまい申します。ご心配なさらずに」
玄関に戻ると、なにかの間違いではないかと侍達に告げた。
「なにっ」侍達が土足のまま、敷台にふみこもうとした。一人が抜刀した途端、後ろのほうから豆腐やらがんもどきが飛んできた。
「畝の旦那のお屋敷に泥棒だ!」二、三人の怒鳴る声が聞こえて、侍達は慌てて逃げ出した。
お千絵が急いで居間に戻ってみると、すでに先ほどの女は消えていた。裏口から逃げたと知って、お千絵は足袋はだしのまま屋敷を飛び出した。外に出てはかえって危険である。がしかし、女は与作屋敷の空地で朱に染まって倒れていた。

おいねは畝家の居間の机の上に、紙入れを残していっていた。その中には、水戸家の一大事になりかねない密書が入っていた。
水戸家の侍を介抱していた市三郎夫婦は偶然その密書をみてしまった。坂倉市三郎も江戸の侍だ。命がけでこれを知らせようとした。ところが逃げ切れず斬り殺されたが、密書はおいねが持っていた。
おいねは松戸から江戸に入れば本所の実家の方が近いのに、本所には寄らずにまっすぐに源三郎のところへやってきた。
その心は、祝言を前にして裏切った男への詫びの気持ちだったのだろうか。
密書は畝源三郎に東吾がついて、御奉行へ届けられた。
その夜、笠原家ではしめやかに市三郎夫婦の通夜が行われた。

翌日、「かわせみ」では朝から赤ん坊を風呂に入れるやら、てんやわんやの大騒ぎであった。
祖父の笠原長左衛門が孫息子を引き取りにやってくるのである。
男の声で子守唄が聞こえたきた。源三郎が唄っていた。
もう半年もすると自分の子が産まれることを、源三郎はまだ知らない。
源三郎の大きな手に抱かれて、赤ん坊はすやすやと眠っていた。

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