ここでは、毎月厳選してその月を代表する物語を紹介。
今月の物語は「七夕の客」。

七夕の客   
東吾が八丁堀の道場で代稽古を終えて、「かわせみ」を訪ねた時、ちょうど「かわせみ」ではるいにお吉、嘉助まで加わって何やら調べ物をしていた。「早いもので今年で五年になるんです」
るいが父親の死後、「かわせみ」を開業してからちょうど5年が経っていた。
るいの父、庄司源右衛門は八丁堀で鬼同心と呼ばれた硬骨漢だったが、ある事件をきっかけに失脚させられ、失意の中に亡くなった。るいはそのことで侍の世界がつくづくいやになり、同心の株をお上に返上し、町屋暮らしを始めた。
当時東吾は、公務で出張していた兄通之進について、長崎に行っており、庄司源右衛門失脚の経緯もるいの町暮らしも知らなかった。るいが「かわせみ」を開業して半年後、東吾は長崎から帰って来た。
その夜、るいは旅姿も解かず訪ねてきた東吾に何も言わずに抱きしめられ、東吾がどんなに自分を想っていてくれたかを知った。
以来東吾はるいを女房として扱い、るいもまた晴れて祝言をあげた仲ではなかったが、東吾の女房と思ってきた。
「かわせみが五年なら、俺達は四年半か……」

「かわせみ」開業から無事に五年を迎えたことで、今まで泊まってくれた客の名簿のようなものを作ってみたという。
「そうしたら、面白いことが分かりましたの」
毎年、七月七日に泊まりに来る男女があるという。毎年向かい合わせの部屋に泊まり、帰る時に来年の七月七日の宿を頼んでいく。
「大方、わけありの二人なんだろ」東吾はそんなところだろうと思っていた。
だが、るいも嘉助もそんな仲ではないという。女の名はお柳、若く見えるが、ちょうど四十。男の方はずっと若く今年二十歳、木更津在の新吉といった。
「別に年の離れた色恋は珍しくなかろう」と東吾はひたすらわけありの男女だと言ってみたが……
何にしろ、七月七日には「かわせみ」にきて、その二人を見てやろうと思っていた。

明日が七夕と言う日、東吾は兄に命じられて、霊厳島の岩竹まで七夕の竹を取りに言った。岩竹の親方は岩吉といって、お上の御用もつとめる町内の顔であった。足を痛めて、寝込んでこそいなかったが、竹を取りに来た東吾にすっかり恐縮し、茶など出して世間話を始めた。
岩竹のちょっと先にある下り酒屋の三善屋では、跡取りの新兵衛が若くして跡を継いだが、どうも古参の番頭にいやな噂がたっているという。ここ数年、金遣いも荒く、吉原のお職を身受けして囲っているらしい。
東吾がそんな話を聞いて竹を担いで帰る途中、その三善屋から番頭と思われる男が出て来た。
なんということはないが、東吾はその番頭の後を歩いていくような格好になった。しばらく行くと目つきの鋭い男が番頭を待っていた。東吾が気にしたのは、番頭がその男に金を渡して何かを頼んでいたようだったからである。いやなものを感じた東吾は、竹を持ったまま後を尾けるどうか迷っていたとき、ちょうど長助のところの若い衆で仁吉というのに出くわした。仁吉に相手の男の尾行を頼んで、東吾は竹をかついで八丁堀へ帰って行った。

夜になって、仁吉が畝源三郎に伴われて、八丁堀の屋敷にやってきた。
仁吉が後を尾けた男は、女郎蜘蛛の松吉という名うての悪だった。番頭と別れた後、品川の女郎屋に上がり込み夜になって、自分のねぐらの猫婆長屋に帰ってきた。
「何故、品川へ行ったんだ?」東吾にはそれが解せなかった。
七夕は朝から雨になった。女郎蜘蛛の松吉には、長助の下っ引が見張りについていたが、動き出す気配はない。
屋敷を抜け出して、るいの許へ行く前に長寿庵へ寄った東吾は、源三郎が長助を供に品川へ向かったことを聞いた。
これは源三郎が女郎蜘蛛の松吉が品川へ行った目的を探り出したに違いないと思った東吾は、三善屋の内情を訊くため再度霊厳島の岩吉を訪ねた。
岩吉の話では、三善屋の先代はお柳がまだ三十代の頃に亡くなっていた。息子の新兵衛はまだ十歳。
ある夏、三善屋では蔵の酒が腐ってしまうという出来事があり、商売が危うくなる事態となった。その時、遠い親戚にあたる小田原の材木問屋が金を都合し、結局三善屋は事を内聞に納め、商売を続けることが出来た。しかし、その金がお柳を縛り付け、結局お柳は三善屋から暇を取り、材木問屋の後妻に縁づくことになった。
三善屋の親戚筋は、亡くなった先代の一周忌もすまない内に再縁したお柳に腹を立て、二度と息子の新兵衛には会わせないと言い渡した。

東吾は三善屋の新兵衛を見てみたいと、岩吉に案内させて三善屋へ行ってみたが、その新兵衛は法事で木更津に出かけているという。「木更津」と聞いて、東吾に閃くものがあった。木更津在の新吉。
東吾は急いで「かわせみ」に向かった。出迎えたお吉に「例の七夕の客は来てるか」と聞くと、「男のお客様はお着きになったんですけど、女の方がまだなんです」
心配した男の客が様子を見に行くと出かけていったという。その時、外でわあぁっという叫び声が聞こえた。東吾と嘉助が飛び出すと、若い男がもう一人の刃物を持った男に追われて、逃げていた。
東吾は「三善屋の新兵衛だな」と叫びながら、もう一人の男へ小柄を投げ、嘉助がすばやく縛り上げた。
新兵衛を襲った男は、女郎蜘蛛の松吉だった。東吾から事情を訊いた新兵衛は「おっ母さんが……おっ母さんが……危ない」東吾と二人雨の中を品川へ向かって走り出した。

途中源三郎と長助に出くわした東吾と新兵衛だったが、お柳の行方は知れなかった。
源三郎の話によると、松吉が品川へ行ったのは仲間の猪之松にお柳殺しを頼むためであった。
新兵衛とお柳は、新兵衛が十五の時から、年に一度、毎年七夕に「かわせみ」で会っていた。だが、もう縁は切れたのだからと、お柳は新兵衛と一言も言葉を交わさず、只息子の成長をだまって見つめていた。
それを知っているのは、番頭の藤七だけで、吉原のお職を身受けして金に困っていた藤七は店の金を使い込み、この際新兵衛とお柳を始末して、店を自由にしようと企んだ。
必死の探索にもかかわらず、お柳も猪之松も見つからなかった。
がっくりと肩を落としている新兵衛を伴って「かわせみ」へ帰ってくると、「かわせみ」の土間に血まみれの女がるいや嘉助の手当を受けていた。
「おっ母さん……」新兵衛がお柳に駆け寄った。
「新兵衛……無事でいてくれたのね……」お柳がしっかりと我が子を抱きしめた。

やっと人心地のついたお柳によると、猪之松に騙されて連れ出されたお柳に、猪之松が色気を出した。お柳は隙をみて、脇差しで猪之松を刺し、必死で逃げだしてきた。猪之松の死体はお柳の言った通り鈴が森の林の中で発見された。
「心配することはありません。手前がよいようにします」源三郎が請け負って、その夜、初めてお柳と新兵衛は同じ部屋に親子二人で休んだ。
「昨日は息子とゆっくり話すことが出来ました。もう思い残すことはありません。」
お柳は卒中で倒れた主人について、中津川へ行くことになっていた。もう江戸へ出てくる機会もないだろうから、来年の七夕の部屋はとっておかなくてもいいという。
「どうぞ、子を思う母の気持ちを哀れと思うなら、この子の話し相手になってやって下さい」最後まで息子を心配し、母は頭を下げた。
「せめて品川まで送って参ります」
息子に手を取られて旅立って行く母の背に、朝の陽ざしが眩しかった。

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