2008.7月〜 NHK文化センターにて受講

“江戸しぐさ”再発見〜新潟しぐさへと・・・〜  講師: 新潟江戸しぐさ研究会代表  柴田 光榮 先生

内容
江戸の平和と繁栄を支えたのは、人々のお互いを思いやる心遣いと行動=「江戸しぐさ」だと言われています。
先人の知恵と工夫に学ぼうと、いま「江戸しぐさ」が注目されています。
新潟をより豊かで魅力ある町にするために、江戸しぐさを学び、新潟しぐさへ繋げてみませんか?
となりの人と仲良しになる暮らし方




教本として使っている
マンガ版
「江戸しぐさ」入門
第1回目
2008.7.25
受講生は18名(内男性1名)。

「江戸しぐさ」が生まれた江戸時代の背景。
徳川幕府は世界でも例がない、戦が260年以上なかったという時代です。
江戸の町の70%は武家屋敷、15%が神社仏閣、残った15%に100万人以上の人々がひしめきあって暮らしていたのです。
江戸しぐさとは「(自治の町である)江戸の商人達が、安泰で商売繁盛をするために行った人間関係の知恵と工夫で、行動を伴った精神性の高い生活哲学」なのです。
(1)異文化との共生
(2)人間尊重
(3)自然観
(4)人物観
(5)仕事観
という、思想と哲学なのです。

先生のお話の中で
「先日、山手線の電車の中で携帯でメールを打っていたのです。
私の目の前に立った、長い如意棒みたいなものを持った女性が『携帯は止めなさい!』と強く言ったのです。自分もうっかりしていたのですが、メールくらいなら音も出さないし他人の迷惑にはならないと思い込んでいました。
電車を降りてからも何だかとっても気持ちが悪くて、考えたら上からの目線で言われてたんですよね。
ひょっとしたら心臓が悪い方だったのかなとも思いましたが、それだったらそのようにひと言添えればこちらの気持ちも違ってたのではないかとも思えました。」

もう一つの例として話された、先生が京都へ行かれた時のこと。
「帰りにバスを待っていたら、カートを引いた高齢で足の不自由な女性が車道と歩道の縁石で苦労していました。そしたらバス停で並んでいた年配の男性がすぐに走って助けに行き、バス停に並ばせてあげました。
そこまでなら、何とか自分もやったかもしれない。
でもその方は混雑したバスが来て、ご自分が乗り込む時にカートを乗せ奥に向かって大きな声で『もう一人乗りますよ〜!待ってて下さいね〜』と2回も叫んだのです。あぁ、京都で江戸しぐさを見た!と思い、その男性の方にお聞きしたら北海道からいらっしゃった方でした。」

先生が話されたエピソードで、何となく主旨が見えた気がしました。
人とのつきあいって、言い方やことばひとつで良くなるんですね。
後半は助手の方の進行で、自己紹介と講座の感想でした。
会社を休んで来られている方も、数人いらっしゃいました。
また、会社経営者の方で社員教育のために学びたいという方も。
月に1回の楽しみな講座です。





第2回目
2008.8.22
まずはこの1ヶ月間で、「回りのしぐさで気づいたこと」を一人1分で発表しました。
この講座は受身ではなく、参加型の講座です。
今回は3つのグループに分かれて討議と発表をする内容でした。

「詫びる心」と「うかつあやまり」
ここで先生が最近経験されたお話をお聞きしました。
「砂丘館近くのバス停にいたら、向かい側を近所の養護学校の生徒数人の手をつないだ先生が歩いていたんです。そしたら、後から自転車に乗った50〜60代くらいの女性が、チリンチリンという程度ではなく激しくベルを鳴らして走ってきました。
先生はその人に向かって『ここは歩道だ!』と言いました。
その女性はどうされたと思いますか・・・?」
結果を聞いて、胸が痛みました。

グループ討議ではテーマで
江戸しぐさ 今しぐさ 新潟しぐさ
を書き出し、2回のグループ討議と発表を行いました。
きょう教わった重要な点は
「江戸しぐさは『口伝え・実践』です。」





第3回目
2008.9.26
今回は学校形式での講座です。
新メンバーも参加されてましたが、お天気が悪いせいか、期末に近いせいか、人数は少なかったです。
まずは先回同様、「身の回りで気づいたこと」を各自で発表です。
きょうのテーマは「いきなしぐさ」
   「粋」
京都では「雅からくる粋」
江戸ではいきいき・息々 誠実さがあっての粋
                                     
 「ヤボ」・・・井の中の蛙
「つかの間つきあい」
現在は道ですれ違う時に、肩をぶつけ合って行くことが多い。→「肩ひきしぐさ」でお互いにぶつからない。
[劇場や映画館で他人の座席の前を通って行く時は、どちらを向くか?]
 この話題では、いろいろな意見が出ました。
 結論としましては、「他の方にお尻は向けない」→人みな仏という考え方。
 「蟹歩き」になるのでしょうが、会釈やひとこと断わりをしてお尻を向けないで通る。
ご近所の方に「お出かけですか?」と声をかけるのは「つかの間つきあい」
「どちらへ?」と訊ねるのは「おせっかい!」


オリンピック・シンクロで優勝したカナダの方へのインタビューのお話をされました。
・・・水から出た瞬間のあの素晴らしい笑顔は、どうやって作るのですか?
・・・笑顔はひたいから作ります。・・・という回答でした。
と、柴田先生はおっしゃいましたが、難しい!
今回のセミナーは、2人1組になっての実践が多かったです。
すれ違う時のしぐさ
会話をしている時の目線。
笑顔を作って話すなど。

大事なポイントは 表情」→こころ(りっしんべん)が表に出ているという意味。
  ↓
自分では絶対に見られない。
他人のためにある。
}→責任がある。
「粋」というのは、かっこいい!
   (瞬間で対応できる。)
大人がするかっこよさを子供が真似るようになる。





第4回目
2008.10.24
本日のテーマ
1.江戸の養育法
柴田先生が最近、経験されたお話
富山県からの依頼で「江戸しぐさ」を、保母さんに教えることになられたとのことです。
富山県は学力の高い県だが、今後は学力だけではなく「人間力」をも高めたい。
その教育として「江戸しぐさ」を家庭に代わって、幼児教育に携わる保母さんに勉強してもらう。
   (・・・すごい県です。)
江戸時代
教育ではなく養育
鍛育(たんいく)・・・・江戸しぐさ

寺子屋→親のつもりで教育。1対1。
武家は午前中が人間教育、午後は武道
江戸の識字率は80%以上
その頃のロンドン 25%
      ロシア  20%
江戸の教育方針「物言わぬ子にもあいさつを教える」・・・3つ(数え)までに人間は決まる。
 俗に三つ心・六つ躾・九つ言葉・十二文・十五理(ことわり)で末決まる!
江戸の品格で上品(じょうぼん)・中品(ちゅうぼん)・下品(げぼん)があり、「江戸っ子」というのは長男で上品の人を指したもの。
下品・・・本能のまま
中品・・・教養が高まって来た時
上品・・・社会的貢献(他人のために尽くせる)
親子三代で「江戸っ子」と呼ばれるというのは、年上の者が若い者や子供にそのしぐさが手本となって示せるようになって、初めて「江戸っ子」になれる。
後半は
テーマ「現代教育について」グループ討議をし、発表しました。

2.江戸のマナー(往来しぐさ)
実技です。
「こぶし腰浮かせ」
 席を譲った場合、その場にいるのはお互いに気まずい→お互いに負担にならないように、「こぶし腰浮かせ」で席をつめる。
人に言われてやるのは”いなかっぺ”→「井の中の蛙」のこと。
江戸っ子→入る時はゆったり、出る時はすばやく。瞬時に判断して最善のことをする。(粋)
「傘かしげ」
 しずくが相手にかからないように傘をかしげるのだが、最近はどちらにかしげるかまで言わないとわからない。(自分にしずくがかからないように、かしげてしまう。)
「肩引き」・「蟹歩き」
狭い通路ですれちがう時のしぐさ。
傘かしげもそうですが、すれ違う時に「束の間つきあい」で笑顔を見せる。





第5回目
2008.11.28
前回、柴田先生が富山県の依頼で「江戸しぐさ」のセミナーをされる、と言われたお話の報告をして下さいました。
富山県の子供たちの人間力を高める為のセミナー対象者は、私公立は関係なく高校の教師と幼稚園の保母さんです。参加者の結果レポートを一部披露されました。
・意識して挨拶をすることによって、園児や親が見ていてまねをするようになった。
・目を見て話しをする大切さを実感した。
 柴田先生から「挨拶をしなさい、とは教えないで欲しい。」との指示です。
 →保育者や親にしか挨拶をしなかった園児達が、友達どおしであいさつをするようになった。
江戸時代の親は子供を教育しなかった→大人の姿を見て、継承していった。

本日のテーマ「江戸のタブー」
「初めまして」と言わない。→自分にとっては初めてかもしれないが、お互いの先祖が世話になっているかもしれない。そこで「お初にお目にかかります」と言う。人は皆、仏の化身という考え方。
(私は前日に初対面の方に「初めまして」と、言ってしまいました。今後は意識してみます。)

・「へりくだりしぐさ」と「威張るしぐさ」・・・お付き合いする相手によって態度を変えるのは、はしたない振る舞いとされていた。

変遷 江戸しぐさ 年代 将軍 政治 経済
武断

50年
導入期 1603
〜1650
家康
秀忠・家光
武家諸法度
参勤交代
御朱印船で貿易
特殊な人だけが利益
(住友など)
文治

60年
成長期 1651
〜1715
家綱〜
綱吉・家継
元禄 建築
豪商(三越・山本山・紀文)
石門心学(石田梅岩
商売人がぜいたくをやめて人付き合いのノウハウ(江戸しぐさ)
改革

80年
成熟期 1716
〜1790
吉宗
〜家斉
享保の改革 大商人が没落
三井・三越(越後屋)・大丸などがまっとうな商売「顧客満足」
混迷

80年
衰退期 1792
〜1868
家斉
慶喜
   高島屋(初めて正札販売)
*(石田梅岩)は日本で初めて、女性にも学問の道を開いたひと。

・「喧嘩しぐさ」・・・今は子供どおしで遊ぶことも少ないので、けんかのルールが身に付かない。会社内においても、OJT(On the Job Traning)ができない。
・「時泥棒をしない」・・・相手の都合を考えずいきなり押しかけてくる人のこと。不意打ちしぐさは死罪にも相当する重罪。
・「水かけ言葉」「戸閉め言葉」「手斧言葉」・・・ことばは言霊。相手が乱暴な話し方をしたら、それは自分の乱暴な言い方がこだまのように返ってきたのだと感じていた。
・「稚児しぐさは大人の資格なし」・・・現代は言葉使いから振る舞いまで「稚児しぐさ」だらけ。「稚児もどり」どころか大人の資格さへない。
・「腕組みしぐさ」「足組みしぐさ」は衰運のしるし・・・他人を受け入れない。ふんぞり返っている。
他に「うたかたしぐさ」・「かげろうしぐさ」・「ムクドリしぐさ」・「クラゲしぐさ」など。

女性・・・つつましく
男性・・・思慮深いしぐさ


「女しぐさ」
江戸時代の美人の条件
・声がアルト
・どんな人にも対応できる上手なあいづち

「現代ではどうでしょう?」と前置きされて、江戸時代のいい女はしないしぐさをいっぱい上げられましたが、皆さん苦笑です。





第6回目
2008.12.26
きょうは「おつとめしぐさ」
「己の道に徹する尊い『おつとめしぐさ』」
二宮尊徳の話・・村である老人に150両もの報酬を出し、ある若者には安い報酬しか出さなかったことがある。理由は「老人は一生懸命陰日向なく働いている。若者は能力も力もあるのに、他人が見ていない時には怠けている。」
「ロクを養い、ロクを利かす」
ロクとは第六感。シックスセンス。
二宮尊徳の話・・夏に茄子を食べたら味が秋茄子だった。→今年は冷夏だ。
ヒエを村人に植えさせた。全国が農作物の不作でも、その村は何とか生きながらえることができた。
「見越しのしぐさ」
江戸の人にとって「あわてる」ということは良くないこと。→見越してない。
商人にとって先を読むというのは、必須課題。
「真贋分別の目」
目先の利益に振り回されないように。
「先義徳利」・・利益というのは先には立たない。
「義の外に立つこと」・・何のために改革をするのか、飢えている人ばかりを見ていては改革はできない。
「『働く』とは人のために働くこと」
朝飯前・・近所を見回って、確認をする。
午前中・・お店の商売に集中。
昼食後・・朝回りで気になったことに携わる。
夕方・・・明日に備える「明日備(あすび)」→あそび。ただし、現在の遊びとは違い、「心学」。
働くとは回りの人をラクにすること。
柴田先生が新入社員の研修をされる時、必ず「何のために就職しましたか?」と訊かれるとのこと。
こんな考え方と表現ができたらいいですね。
「人に役立つ能力を身につけること。
その能力を発揮した時に、相手が喜んでくれるのを自分も喜べる心を養うこと。」
「念入れしぐさ」
用心に用心を重ねるのが、江戸のマナー。
「つい、うっかり」は許されないこと。気が入っていない。→心があって身体がある。
気が入っている時とそうでない時の実験で、皆さん納得です。

テキストを使っての勉強は、今回が最後です。
ここまでやって、目の前が明るくなってわかったような気がしました。
・・・心で感じて、心で望んだことが発信され、行動「しぐさ」となる。
          江戸しぐさとは、社会の中で生きていく上での「気」でしょうか?・・・・





第7回目
2009.1.23
きょうは作家の金森敦子氏を招いて、お話しを伺いました。1時間30分間休みなしでパソコンからの画像を映し出しながら、立ちっ放しでおもしろおかしくお話しをされました。
テーマ「江戸の女・越後の女」
江戸の教育・・・習い事がたくさんある。生花・鼓・髪揃・火のし・料理・三味線・うた・針仕事・・・・。
手習いや寺子屋のお師匠さんは女性が多かった。
一般庶民は寺子屋・・・普通の商人の妻が師匠をしていた。
裕福な家では家庭教育・・・姉が妹に、母が娘に教えていた。
日常生活の中で、本を読んでいる浮世絵を何枚も見せていただけました。→識字率の高さ。
農村では・・・勉強どころではない。 深田で胸まで漬かって田植え。
越後(蒲原地方)では娘は身売り(江戸の遊郭)。男の子は角兵衛獅子。
(江戸の遊郭は年季が長く、その間にも借金が嵩む。)
幕府で認可されている遊郭とは別に、各宿場の旅籠に「飯盛り女」2人/1軒が許可された。
  *飯盛り女・・・給仕をしながら夜伽の相手もする。
江戸以外の宿場でも、越後出身者がまとまって多かった。(情報の共有)
若い頃から奉公に出て、5年の年季が明けると親元に帰って嫁に行く。
越後では、前身を隠さない。
一つの職業と認識している。
北前船で逗留する人に尽くしきる娘や亭主持ちなど、新潟の街中で素人が個人営業もしていた。
湊町新潟の街中でも遊女は多かったが、吉原などのように隔離されずに一般庶民といっしょに暮らした。
新潟では周囲からの白眼視はほとんどなかった。(思いやりの気持ち)
「私が身を売って親を助けた!」という、自尊心で自分を決して卑下しなかった。
新潟の遊女は、非常に評判が高かった。
遊芸や教養を身に付ける場→識字
玉の輿に乗るチャンス
*現代の感覚で江戸時代の貞操を論じることはナンセンス!
新潟では色街出身者が、商家の嫁として望まれることが多かった。→高い教養・接待

他に江戸時代の離婚についてもお話下さいましたが、時間が足らず駆け足に。
でも、「女性は強かった!」
都市でも田舎でも、離婚は女性に有利でした。
 男やもめにウジがわく
 女やもめに華が咲く





第8回目

2009.2.27
きょうは会場を「みなとぴあ歴史博物館」に移して、学芸課長の伊東氏からお話を伺いました。
全員集まったところで、常設展示室で「江戸時代のにいがた」について展示品を紹介しながら解説されました。
@新潟の水・・・川と海を結ぶ流通拠点
 物・人の交流する接点
A低湿地でのくらし
 海や川が運んできた砂・土が作った日本一長い砂丘が新潟の地
にいがたの「港」に多く集まってもらうために、「もてなし」の心が培われました。
新潟に住んでいながら、まったく新潟のことを知らなかったことがはっきりとわかりました。
展示品を見るだけでは知り得なかったことを、たくさん知ることができました。
新潟をより良く知りたいのなら、解説付きでの見学は欠かせませんね。

セミナールームに戻って、伊東課長から「江戸時代の新潟女性と子どもの教育」をテーマにお聞きしました。
その頃の識字率の証明として、年季奉公(飯盛り女)に出された娘がお上に書いた上申書が使われてました。自分の頭で考えたことばを、自分で文章にできる(訛りはそのまま表示)教育があったのです。

にいがたの女を表現することば
 「従来越後は婦人の力役に名を得たる地なれども、目撃する所は遠くまた予想の外に出て、女子の労力驚くに堪えたり、州内婦人の方言に女子として一男子を養護するの働きなきは婚嫁することなかれと言う語あり」・・女でも力仕事や行商など当たり前のこと。女として男の一人も養えなければ結婚できないと言っている。
 「今目前に魚屋、八百屋、手間取、職工に至る迄女の稼ぐを見るのである」・・性別役割分担感が違う。明治32年尾崎紅葉
 「金銭の貯えさえあれば、女にても一家をなすとの心驕りより、尊敬すべき夫を軽蔑し、離別を受けても恥とも憂いともなさざる風儀あり」・・「新潟奉行の触れ」
他処から来た人たちから見ると、にいがたの女は働き者で自立しているように写っていたようです。
「杉の木と男の子は育たざれども、柳と女は善く育つ」





第9回目
2009.3.27
金曜昼の受講は最後です。(次回から木曜夜に変わります。)
「新潟の老舗の女将と呼ばれて」・・・お二人のお話をうかがいました。
心に残ったことなどを記します。
向かって左・・高橋すみ 氏
右・・赤羽麗子 氏
掲載のご許可をいただいてます。
鍋茶屋女将・・・高橋すみ 氏
京都の御茶屋から嫁がれて、六代目となられました。
女将は車輪の一つになってはいけない、全体を見通せる立場にいなければならない。
老舗とはゴールのない駅伝のようなもの。ひとつの鎖で繋がっている。
老舗の跡継ぎはモダンでなければならない、守りだけではだめ。
女将は孤独
・・・・・建物の古い蔵から漏電して火事になった時のお話をお聞きしていたら、伝統を守るということ・引き継ぐということの重みを他人事ながら非常に痛感しました。静かにその時の様子を語られる姿に、燐としたものを感じ胸が熱くなってしまいました。
 女将さんは新潟はしきたりにうるさくなく自由で、人情に厚い町だとおっしゃってました。

叶ヤ羽 社長・・・赤羽麗子 氏
中条の医者の娘として産まれ、新発田高校・東京の女子大を出てすぐに叶ヤ羽に嫁がれました。
嫁の仕事は家を守ること。片付け上手な姑→引き出しを開ける時は手の油がつかないようにハンカチを両手に。風呂に入るのは家族の最後・檜の風呂はお湯を抜いて洗って拭いてかわかしてから寝る。・・・当たり前のこととしてやって来た。
先代である義父から言われて39歳で店に出始めて、後に社長になるように言われ二代目となった。
先代曰く「1日に1億円くらい使える人になれ」「時間を惜しんで金を惜しむな」
座右の銘「笑顔に勝る化粧なし」・「良き仕事は無言の説得力がある(松下幸之助)」
・・・・・お風呂が一番嫌いでした、とおっしゃって檜の風呂の手入れを言われたのですが、言葉には出さずとも「嫁」として一日中働きっぱなしの様子がうかがえました。他を知らなかったからと明るく言われましたが、今の世の中では考えられないです。

回りの人たちが支えてくれたとは言われてますが、お二人とも強い方たちです。
働き者の新潟女性の代表ですね。
柴田光栄先生のまとめのお話で、おもてなしの心など江戸しぐさに通じるものがあると言われました。
来月からの「新潟しぐさ」の参考になると思います。





第10回
2009.4.23
今回から木曜夜に変わって、講座は受身ではないワークショップ形式になりました。
まずは今までをふり返って、勉強してきた復習をしてから
「にいがた女性」のイメージを、それぞれがいくつでもポストイットに1項目づつ書き出して貼りました。
それを分類すると
  ・働き者
  ・やさしい
  ・美人
  ・気がつく
  ・忍耐強い
  ・最初は無愛想、知ってくると親切
  ・人を信じやすい
に分けられました。
次にテーマを見つけて、しぐさカードを各自作成して「しぐさ名」をつけました。
 ・ハタを楽にするしぐさ
 ・なじらねしぐさ
 ・どうしなったしぐさ
 ・お買物しぐさ
 ・声かけしぐさ
 ・ゆずり合いしぐさ
 ・ゆったりしぐさ
 ・姉さましぐさ
 ・はつめしぐさ
下線のことばは新潟特有(方言?)のものです。
いい味を出して、ひとことで意味が伝わります。
しぐさカードはもう一回作成することになり、次回までの宿題になりました。
次回はシナリオ作りまで進みます。





第11回
2009.5.29
今回は二つのグループに分かれての、ワークショップです。
先回みんなで書き出した、にいがた女性の特徴やしぐさをテーマに織り込んでストーリ作りです。
来月の最終回で、グループ毎に発表します。
1グループ:演劇(職場の風景)
2グループ:放送劇(行商のおばさん)
私は1グループに属してますので、寸劇を演じます。
台本はほとんどできましたので、次回もう少し練って発表です。





第12回
2009.6.25
先回二つのグループで行ったワークショップで作ったストーリーの発表会です。
テーマは新潟女性の”にいがたしぐさ”
Aグループ:放送劇
1).行商のおばさん・・・気づかいしぐさ・なじらねしぐさ・声かけしぐさ・買物しぐさ・・・などが盛り込まれてました。
2).ある呉服店の女将さん・・・はたを楽にするしぐさ・気づかいしぐさ・声かけしぐさ・あねさましぐさ・・・など。

Bグループ:演劇(私が所属するグループです)
ある職場の朝・・・ゆったりしぐさ・お蔭様しぐさ・はたを楽にするしぐさ・職場しぐさ・あねさましぐさ・・・など。
  これは実話に基づいて作られたストーリーです。
  毎朝6時過ぎに職場に着いて、部屋に風を入れ・みんなの机を拭き・花の水を変えて・お湯を沸かす。
  皆さんが仕事をしやすい環境を作ってくださっていた女性の方が、来月定年を迎えるというものです。
  本当にこんな方がいらしたのですね。

発表会のあとは、用意していただいた熱い紅茶や、サンドウィッチ・果物などで茶話会です。
一人一人が受講されたきっかけと感想を述べました。
「自分を変える!」ということは、少しの勇気と好奇心でしょうか。
より、自分を高めるため・他人とのつきあいをより、良くするため。
江戸しぐさからにいがたしぐさ・・つまり、日常のことになればいいのですよね。



「江戸しぐさは江戸商人から生まれた、カッコイイ庶民の美学です。」





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「江戸しぐさ」考 
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私が受講している講座の内容についてのお話です。



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