オケラのくりごと  税金

  時は春。 オケラも税金を始める。 曾ての専売公社のCMコピー、“たばこ、する?”の言葉づかいには大いに抵抗を感じたものだが、ここ数年春になると取りかかるこの作業は、決算でも経営分析でもなく、唯々青色申告書を作成するためだけ、を目的として行われるもので、オケラとしては税金するとしか言いようがない。 個人どんぶり放漫経営の見本のようなオケラの所帯では、普段はそれらしきこと、すなわち伝票を書いたり、帳面・帳簿の類を付けたりしておらず、ひたすら領収書を集めて抽出しにため込む、領収書会計をやっているから、いつもニコニコ現金売りをしているのにこんな付けが溜まり、何ともこの一年分の繁雑なこと面倒なこと。 その挙句に僅かながらも出金の憂き目に合うのだから、憲法の定めによる国民の義務を果たしているんだ、なんて崇高な気分には、残念ながら程遠い。 でもネ、売上の整理の方は日報のお陰で助かってますヨ、本部様。 サラリーマン時代にはどうせ取られるものだからとの諦めもあって普段は余り関心がなく、年末調整が楽しみだった。 手続きは担当者がやってくれるのだが、それでもメケラの国民年金や、オケラの保険の証憑書類を持って行くのが面倒で、何度か忘れた挙句に催促されてギリギリになって届け、嫌な顔をされる始末だった。 数日後ン万円が返ってくると、ボーナスの取り分とは別にこれは当然オケラの収入で、直ぐには飲まず、どうしてやろうかと暫くは思案。 まぁ結局は飲み代になるのだが、それまでの間、無利子で預けておいた自分の金が当たり前に返ってきたとは思えず、多少儲かったような気分にさせてくれた。 そんな風だから逆に他人にン万円返ってきてるのに自分の所に戻りがないと、これ又当然とは思えず、当てが外れてショックだった。 四月に昇給があると税金も増えるが、やはり手取りも増えるのでさほどには感じず、六月住民税が増える際は手取りが減るのでアーァと思った。 ボーナス時にはガバッと取られるが、ボーナス自体が儲けのような気でいたから余り苦にならなかった。 こんな事の繰返しで、或る時計算したら年間ン百万円に達していてびっくりしたが、だからといって特に納税意識はなく、お上の思うがままに納めさせていただいていた。 うどん屋になった次の年から青色申告になり、その年には税務署が税理士を付けて申告方法を教えてくれた。 オケラは申告書そのものの書き方が難しいとは思わないのだが、その前の帳簿の整理が問題で、これを税理士に頼もうとしたら、帳簿の整理が終わったら持ってらっしゃい、申告書を書いて上げる、と言われて、それじゃぁ意味がないと自分達でやる事にした。 “達”というのはメケラと二人という意味で、他に頼る人はいない。 以来毎年、成人の日が過ぎる頃になると気が重くなってくる。 休みの度に重い心を首から吊って、今日は税金やろうかやるまいか、と悩みながら結局ズルける。 二月初旬、狭いDKの床一杯に領収書やら、昨年のお手本やらをひろげていよいよ戦闘開始。 ワープロはここでも活躍し、帳簿作成に一役買う。 メケラはメケラで小口現金勘定の整理や人件費の集計などを、うどん屋の合間にこなす。 三月初旬、漸く勘定科目毎の締めが出来上がる。 そして締切り直前に申告書の作成作業。 というわけで、暫くオケラは忙しかったが、休日明けの三月十一日、漸く、そして芽出度く税金が終った。 結果の如何に拘らず、終った時の解放感はサラリーマン時代には無かったもので、これを感じられるだけでもうどん屋になって良かったと思う(ア、これはウソ)。 メケラもうどん屋から給料を貰い、税金を払っているが、昨年まではお余りを頂戴するオケラよりもメケラの方が高額納税者だった。 今年? ひょっとしたら、と思ったけれど残念ながら結局今年もメケラの方が高額所得者だった。 死んだ兄貴がよく“アーァ、俺も人並みに税金が高いと嘆いてみたい”と嘆いていたが、オケラも昔はともかく、最近この点だけは兄貴並になった。 長生きしてれば兄貴を超えるチャンスは出来るけど、特にこんな商売をしていると女房はなかなか超えられないものだねぇ。

−−−−−−−−−−1993.02,03記
−−−−−−−−−−1997.01編集


次へ

はじめに戻る