オケラのくりごと  歌

 オケラの子供の頃の歌といえば、小学校では‘牧場の朝’‘村祭り’や‘海’等、牧歌的なものが多かった。 ラジオから流れてくるのは毎夕の‘鐘の鳴る丘’、童謡では‘みかんの花咲く丘’、流行歌では‘異国の丘’や‘港の見える丘’‘丘を越えて’と、思えば丘が多かったが、‘リンゴの歌’や‘東京ブギ’‘山の人気者’等と共に良く聴いたものだった。 当時、小学校にはピアノがなくてオルガンだったし、中学校では全校生徒がいなごを取って売り、ピアノ購入資金を稼ぐことにした為、授業の遅れを心配する英語の先生と、授業の為にピアノを欲しがる音楽の先生の間で揉め事があったと聞いた。 高校には、オケラが入学する頃には流石にピアノは勿論、立派なオーケストラもあったが音楽室はなく、冬でも凍てつくような講堂が使われていた。 初老の先生は小さな電気ストーブで指先を暖めながらピアノを弾いていたが、毎時間芯まで冷え切ってたまらなかった事だろう。 高校での教材はコーリューブンゲン。妙な音程と拍子のドレミだけの本で、楽譜を声で音楽にする練習。 町内にはのど自慢のおじさん達がいて、盆踊りの夜などは櫓の上で、近くの農村の青年団の囃子に合わせて唄っていた。 多分マイク、スピーカー無しだったと思う。巷では素人が伴奏付きで歌うことは希で、大抵は鼻唄か子守歌を口ずさむ程度。小唄、都々逸等、三味線は古過ぎて一般的ではなく、盆踊りの笛太鼓は絶好の伴奏であり、晴舞台であった。 子供達の晴舞台は学芸会で、学年ごとの劇や遊戯と共に、組ごとの斉唱で全員が舞台に立った。 当時の大部分の人々にとって、歌とは大声で歌うより聴くものであり、ラジオでは今週の明星を頂点に、ショウの範疇に入るのど自慢や三つの歌など、歌謡絡みの人気番組が多かった。この歌謡番組全盛は、民放開始に伴いCMソングと言う新分野も加わって拍車がかかり、テレビが始まって更に勢い付いて、皆が歌うようになってしまった最近まで続いた。 では当時の人々が歌わなかったのかと言うとそうではない。歌好きの大人達には民謡や流行歌が、子供達には唱歌は勿論童歌があり、女学生には歌曲を初めとする清純な歌が、母には子守歌が、学生には寮歌や応援歌など元気な歌があった。 この様に歌う素地はあったのだが、それ迄は何れも無伴奏だったしその場も無かったから、伴奏、と言っても大抵はアコーデオン一つだったが、付きで皆で歌える歌声喫茶が始まった時には、若者の間で爆発的なブームになった。 ‘灯’と‘カチューシャ’が二大チェーンで、都内、近県に夫々いくつもの店を展開し、学生達はポケットに小さな歌集を忍ばせて昼夜を問わず歌声喫茶に行き、ロシヤ民謡を歌うのがファッションになった。喫茶と言ってもハイボールやビールもどきは出したから、結構酔って蛮声を張り上げ、気持ちが良かった。 危機感も然る事ながら、ここで欲求不満を解消出来ず、反戦歌しか歌えない音痴の連中が、これ又ファッションとして安保反対闘争を展開した、と言うのは思い付きだが、案外当りかも知れない。 娯楽はパチンコと映画が主流で、パチンコ屋では朝から晩まで歌謡曲を流しており、パチンコをやっていると自然に流行歌を覚える仕掛けになっていた。 映画はハリウッドのミュージカル。 華やかな画面と共に華やかな歌が入ってきたが、古賀メロディと余りにかけ離れていて、あの真似はちょいと素人には無理だった。 然し耳に馴染んで行ったのは間違いなく、当時の幼児が少年になる頃には、ロックからグループサウンズなんて、大人達にはついて行けない世界が出来上がった。 オケラはこの頃には既に大人の仲間入りをしており、モスクワに行ったりしていたから、ミーハーの名残りが残っていたメケラとは文化的体験を異にする。 モスクワで一時帰国した仲間が‘帰ってきたヨッパライ’や‘ケメコの歌’を持ち帰った時は、その不真面目な面白さに驚いた。 今でこそその手の音楽に馴染んで歌えるようになったが、曾てのコーリューブンゲンを以てしても、‘神田川’の音程は暫くは取れなかった。 ‘すみれの花咲く頃’や‘小さな喫茶店’のような例外はあるものの、昔の歌は一部構成だった。オケラの旧上司があれは軍人の歌ではなく戦時歌謡だと言っていた軍歌は勿論、古賀メロディも、素晴らしい歌を大量生産したラジオ歌謡にしても、頭から尻尾まで一連のメロディであった。 それが何時からか前歌とサビを分ける二部構成が一般的になった。 今のオケラのように毎日毎晩有線放送で、曾てのパチンコ屋に於ける以上に和製ポップスを聴かされていても、少し奥まった所にいると前歌は口の中でモゴモゴ言っているようで、節も歌詞も何が何だか判らない。 浪曲などは大抵冒頭に洒落た文句と節があり、出だしは歌えても後が続かなかったが、今のは逆で、後半のサビは歌えるのだがそこに至るまでの過程が掴めない。 初期のカラオケは歌詞集が付いていたから、自分の知っている所をよすがにして何とかすることができたが、最新のは題名だけで選ばねばならないから、オケラなどは自分が歌いたいのがどの歌なのかも判らなくなる。美空ひばりと中森明菜の単位時間当りの言葉の数を比べると、明菜の方が何倍か多いそうだが、歌も段々口早になってきた。 あんたあの娘の何なのさ、と言う‘港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ’を聴いた時はこんなの有りィ?と思ったが、最近は歌とは名ばかりで文句主体のものがかなり多くなり、そして到頭レコードをギコギコさせるだけでメロディのない、早口言葉のラップだと。 十年もすれば学校の音楽の時間に寅さんの‘チャラチャラ流れる御茶の水’や‘持ってけドロボー’なんてバナナの叩き売りをリズムに乗せて教えるようになるぜ。 宴席じゃァ以前の都々逸よろしく、芸者と小皿叩いて即興のラップ合戦なんて事になるかもしれないよ、この調子では。 お酒飲んだら酔ってられないネ。
−−−−−−−−−−1995.08記。 2002.08 一部訂正。

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