オケラのくりごと  死に残り

 ‘淡紅の秋桜が秋の日の’はさだまさしだが、‘秋の日のヴィオロンの溜息の身にしみてひたぶるにうら悲し’と来れば五五調の元祖?上田敏。 上田敏が生前どんな業績を残したのか殆ど知らないオケラにとっては、これが上田敏の全てであるが、この訳文だけで上田敏はオケラの記憶に残った。 実際の彼の生涯ではこの一節はほんの微細な一部であったに違いないのだが、大部分である残りは消え去ってしまった。 ベートーベンやモーツァルトの如く質の高い業績を数多く残すことは大天才だけに出来ることで、普通の天才には無理である。まして大多数の凡才に於いておや。 然し凡才だって何かを後世に残したいし伝えたい、と言う欲望はある。 子孫と墓石はその典型であろうけれど、夫々の価値観によって他人が認める何かを残し、他人の記憶に残ろうとする。こんな場合、80点のものを数多く残すよりも 120点のものを一つ残す方がその業績、引いてはその名が残り易いように思われる。 あれはいつ頃のことだったか、一点豪華主義がもてはやされた事がある。 当時は貧困とは言わないまでも、現在より遥かに物的に貧しく、全てを豪華にできるだけのゆとりがなかった。そこで一つだけでも豪華にしよう、と言うことになった。 例えば、安背広にカルダンのネクタイとか、‘いこい’に点けるライターがダンヒルであったり、目立たない服装で抱えるバッグがオーストリッチという具合。 当時の所得と為替レートでは輸入品はそう簡単に手に入るものではなく、品質面から言ってもやはり舶来上等であった。 その後国産ものも質は向上したが人気はいま一で、通産省が‘良いから買います国産品’なんて垂れ幕を下げたりした。話がそれたが、人生にとっても名を後世に残すのにはこの一点豪華主義が有効なように思われる。 生きている時大活躍し、権力を振い、泣く子も黙る有名人が、その死と共に消えて行く。 例えば、といっても消えてしまった例はオケラには挙げられないが、消えてしまいそうな例なら幾つか思い浮かぶ。 改めて例えば菊池寛。 生前文学界の重鎮であった彼も話題から遠のいて、今や若者の頭にその名を止めているかどうか怪しい。 代表作もオケラの子供の頃までは‘恩讐の彼方へ’も残っていたが、現在では‘父帰る’が漸く、と言った処ではなかろうか。 吉川英治は‘宮本武蔵’と‘三国志’で名が残ることだろうが、‘あるぷす大将’を初めとする少年向けの小説は皆消えてしまった。一方宮本武蔵は吉川英治という良き伝記作者を得て、後世に名を残すことになった。世の中がこれだけ目まぐるしく変わり、体制、反体制が入れ替わり、不変のものを捜すのに苦労するようになると、一生掛りでどんな業績を残す事にするかが問題になる。 体制べったりの業績は、その瞬間はもてはやされるが、結局長くは残り難い。 では反体制側が良いかとなると、この場合は最初から残らないから問題外になる。 文学を含む芸術の世界ですらこの影響を受けるのだから、ましてもっと政治絡みの業績は、戦争の発起人にでもならないと一層残りにくくなる。 科学の分野でも初期の頃はガリレオやエジソンのように個人で発明発見が出来、それなりに有名になる機会があったが、現在のように多人数で研究開発するようになると、個人はほんの一部に関わるだけで際立った業績を上げることができなくなる。 原爆もそうだが、スプートニクの発明者なんて聞いたことがない。 スポーツの分野では割に名を残し易いが、それでも残るのはそのジャンルのトップだけである。 二位、三位となると瞬間的には記録されるが、余程印象的なことと結びつかないと人々の記憶には残らない。現在の二位ばかりではなく過去の一位が新記録誕生により歴代二位になったときも、何とかの殿堂入りでもしていないと忘れ去られる。 古橋JOC会長の陰で橋爪は忘れられたし、現在の新記録が出る前の記録保持者の名前を、種目を問わず、何人の人が夫々何人づつ思い出す事が出来るであろうか。 而も忘れられ易いと言う二位、三位になるにしても並の人にできることではない。種々考えても縁もゆかりもない他の人々の記憶に残るということは、凡人にとっては到底出来そうもない。 そこでズーッとレベルを下げて本名で何処かの記録に残るだけ、を次の目標とする事にしよう。 墓石は、大抵の日本人は戒名で記載されるから、暫く経つと誰のことやら判らなくなるし、墓石そのものが無くなってしまう例も沢山ある。 永遠に続く子孫が先祖として記録を保存する、と言うのも最近の少子傾向や災害、事件と考え合わせると余り当てになりそうもない。 こうして一般凡人の名はやはり消え去るようになっているが、此処に記念品をくれた上、只で凡人の名でも永久に保存してくれるところがある。それは新聞社。 各紙は夫々の紙面をマイクロフィルムで永久保存しており、複数のコピーが本社を初め大図書館などにある。 だから大新聞なら間違いなし、場合によっては地方紙でも、兎に角掲載されておけば良い。 広告でも良いが金が掛かるし、事件絡みの記事では後味が良くないから、投書することにする。 投書欄に限らず俳句でも小噺でも、何回か試みれば一回位何かで掲載されるだろうから、根気よく続けること。 オケラの場合は本誌が永久保存されるのを待っても良いが、実は高校時代にラジオ番組欄に掲載されたことがあって、テレビの無い当時のラジオ欄はどの新聞も大きかったから、地方紙にもオケラの名が機械的、全国的に掲載された筈である。 これでオケラはよし。次はメケラだが、オケラが残ればメケラは‘山内一豊の妻’の例もある事だし‘オケラの妻’でいいじゃない。 そう言えばあのカップルも、いつの間にか一豊本人が‘山内一豊の妻、の夫’みたいになってるようだけど‥‥。本題に帰って、サァ、みんなで死に残りをかけて手当り次第に投書しよう。
−−−−−−−−−−1995.09記

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