オケラのくりごと  旨いもの

 旨いと言われるものの内、キャビアとか北京ダックとか、意識して食べてみても期待ほどはうまくなかったものが多い。 勿論、同じ北京ダックといっても、家鴨そのものの産地やその特定の一羽の出来、くるんで食べる味噌や具の質と調味料、料理人の腕、等々、料理としての北京ダックの味を決めるのには沢山の要素があり、これを全部最高水準で揃えた場合に初めて北京ダックとしての本来の味が出るのだろうから、オケラが食べたのは所詮似而非かも知れないが、何れにせよどれが最高水準かを判断するのは、夫々食べる人であって、有名な料理評論家が誉めちぎったからといって、オケラが旨いと感じるかどうかは判らないし、感じなければならない義理もない。 オケラが不味いと言った場合、オケラの味覚が未熟なのだと言われそうだが、でもこの手の感覚は各々唯我独尊であろう。 子供は純粋に自分の味覚だけで評価するから、高価・高級・高評判でも物によっては通用しない。 オケラの店でも幼児に一番うけるのはざるや卵とじであって、親が選んだお子様セットでもなければ、親のを分けてもらった特製うどんでもない。 こんな時、オケラは子供の方が親の味覚より優れているのではないかと考えてしまう。 味は文化とよく言うが、民族によっても味覚が異なる。 獣の血で煮込んだ料理は味よりも先に気持ちが悪いし、生の内蔵や新鮮な蛆虫、果ては生きた猿の脳味噌となると、我々にとっては下手物以外の何物でもないが、珍重されるところもあると聞く。 と言いながら我々もレバ刺しや白魚の踊りを食べる。 矛盾だがこれが文化の文化たる所以であろうか。 誰もが旨いものの記憶の中にお袋の味を持っている事と思う。オケラにも、例えば太めに切った炒め煮風のキンピラごぼうとか、油菜の入ったケンチン汁とか、他人から見ればこんな妙なものの何処が旨いの、と言われるものが舌の記憶にある。 これらは再現困難だし、仮に再現されても今のオケラが旨いと感じるかどうか判らない。 お袋の味は味覚が慣れによって形成されることの証左であろうか。 こう考えると、幼子を含めて日本人に大量にうどんを提供しているチェーン店も、社会的・文化的責任を感じなければならない。やがて今の幼子がお袋の味の代わりに、禿のオッチャンのうどんの味を挙げないとも限らないのだから。 オケラは桃やパイナップルのシロップ漬けは食べるくせに、学生寮で同室の萩の人間の味付けによる牛鍋は甘くて食べられなかったし、金沢のラーメンも東北の納豆も砂糖の甘さにげんなりした。 幼稚園児の頃、兄達と同じくソーセイジを一本貰って立てっ齧りした味は、兄達と同じものを食べるのが当たり前になってしまえばもう味わえない。 その頃京城で食べたと思うもやしの入った汁かけ飯、チャングパービは、兄弟に聞いてもそんな料理はないのだそうで、オケラの記憶だけに存在する架空の代物らしい。山中湖一周のサイクリングの途中で立ち寄った茶店で出された瓜の塩漬は、それはそれは旨かったが、数分後一段落してから改めて食べたら塩っぱくてとても食べられたものではなかった。 モスクワ赴任時に経由したロンドンで食べた中華料理は特に旨いものではなかったが、二年後、モスクワから出て同じ店で食べた料理は、この世にこんなに旨いものがあったか、と思わせる味で、一人で食べているのに頬が緩んで我慢しても堪えても顔が勝手に笑ってしまい、近くのテーブルの客に変に思われはしないかと俯きながら、それでも込み上げてくる笑いを殺し切れずに‥‥、あぁマイッタ参った。 ホッペタが落ちるというのは、きっとあんなことを言うのだろう。 曾てのCMに“食べたいときが旨いとき”と言うのがあったが、正にその通りで、味覚は個人差もあろうけれど同一人でもその時と場合、置かれた状況などに大きく左右されるものらしい。 こう書き連ねてくると何が旨いものか一般的には言い難くなるが、そこは良くしたもので、そう極端には異ならない程度の共通性はある。 学生時代オケラが旨いと思った、近くの頑固親父の作るさっぱりとした味噌味のもつ煮込みは、色んな階級の人種で常に混み合っていたし、オケラの味覚もその共通性の上にあると信じて、今のオケラが旨いと思っている手軽な幾つかを紹介しよう。 先ずは豆腐の納豆かけ。 冷や奴にすべき木綿豆腐四半丁に、飯にかけるべき納豆をかけて匙で食べると、酒のつまみになる。 洋風卵とじうどん。適量のお湯に洋風のスープの素を溶き、玉葱の薄切りを多目に入れて火を通す。これに前日残ったうどん半玉を入れて煮込み、卵でとじる。 減塩醤油で漬けた焼き物。 まぐろの生姜焼きでも、はたまた焼肉でも普通の醤油の代わりに減塩醤油で漬け込む。 塩気が足りなければ醤油の量を増やすが、旨味もそれだけ増える。 これらを試すときは、空腹の方が良い。 これらの料理に掛る費用は精々百円程度だが、腹が減って何でもいいから早く食いたい、とガツガツしているときには、ン千円の価値が出る。 調理場で汗をかきつゝくるくると働いて、売上げも期待以上に上がり、夜中程よく疲れて風呂上がりに飲むビール、これは旨い。 それがこの間からチットモ旨くなく、あんまり不味いので製造日を見たら半年位前の値上げ以前のものだった。 これホントの話。 酒屋に文句を言って取り替えたが、その後もどんどん不味くなるばかりで、その内飲めなくなっちゃうんじゃないかと心配している。 アレ、旨いものの話にしては最後が貧しくなっちゃった。 オケラの店のうどんが世界一、って言う心算だったのに‥‥。 この程度がオケラの器なのかねぇ。 ヤッパシ。
−−−−−−−−−−1994.10記

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