オケラのくりごと  麺の食べ方

  五〜六年前から、麺の一本一本を蓮華に乗せて、モジョモジョと食べる食べ方が急激に流行りだした。 最初は髪の長い女性が、丼の上に俯くことが出来ないために蓮華に乗せ、顔を斜めに傾けて、髪をよけつつ食べたのに端を発したような気がする。 それがいつの間にか男性連中にも波及した。 女性がやっている内は多少の違和感はあってもまぁ何とか様にもなったが、いい加減無骨な男が、うどんや、ラーメンすらも蓮華に乗せてグチュグチュ食べているのは、麺類なんてツルツルツッとすすり込むものだと頑なに信じているオケラにとっては、見るに耐えない代物である。 偉そうに言わせて貰えば、固さの微妙に異なる何種類かの麺を同時に口にすることで、より一層の腰を感じる。 手打ちの麺は自然に幅や厚みに不均一な部分が出来て、一本の中でも所どころで太さが異なり、これによって手打ちの旨さが出る。 だからオケラの店では同時に茹でるいくつかの生地を、生生地、冷凍生地、熟成度の違い、等、手持ちの中から選び、混ぜて均質の中に不均質が出来るように心がけている。 こうして喉越しの良い、つまり外側は一様にツルツルしているが、噛めば腰の強い麺ができる、と信じている。 アァそれなのに、一本一本ばらばらにグチョグチョ食べられたのでは、唯単に不均一さだけが表面に出てきてしまうではないか。それにあんなモソモソしたスピードでは、如何にオケラの店のうどんと雖も、食べ終わるまでに冷めて伸びてしまうよ。 願わくば出来立てを丼から直接、シュルシュルシュッと食べて欲しいものである。 然もないとその内に落語家がその所作に困り、伝統文化が一つ消えることになってしまう。 だって扇子一本と手拭いでは麺を箸で蓮華に乗せて食べる真似は出来ないでしょ。 オケラには幸い邪魔な髪がないから、覆い被さるようにして、麺は丼から直接箸でズルズルズー、汁は丼に口をつけて最後まで飲む。 チャンポンだって同じ。と、ここまでは枕。 本当はオケラが長崎でチャンポンの器に顔を近づけて食べている時、それ迄見えていた具が見えなくなって老眼に気が付いた、と、老眼の話をする心算だったのだが、ついつい枕に力が入って残りがなくなってしまった。 その話は又の機会にしよう。 勿論、急遽、もう1頁増やすこともできるが、これを書いている今の時期、オケラの店の年一回の催しがあり、祝日があり、年賀状も書かねばならず、鈴虫の面倒見と結構忙しくて、これ以上は寝言だって無理。 斯くて今回は中身の無い空気枕のような話だが、これでお終い、チャンチャン。
−−−−−−−−−−1994.11記

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