オケラのくりごと  図書館

  オケラがサラリーマンの頃、通勤や出張の友は文庫本だった。 通勤時間が長いのと混雑するのが読書の進行に+と−の影響を与えたが、大体一週間に一冊位の割で読んでいた。 殆どはSFや推理小説で、間に時代物や現代もの、剣豪小説や恋愛小説、翻訳本を含めて雑多なジャンルの印刷物が入る。 特に翻訳ものでは、一人の人間が幾つもの名前で登場して惑わされたが、兎に角乱読の上、常時3〜4冊が同時進行していたから頭の中はゴチャゴチャで、読み終っても何にも覚えちゃいない。 この題の本よりは題名は思い出せないがこんな内容の本の方が断然面白い、などと思っていると実は同じ本だったりするから、他人に話も出来やしない。 読書は暇つぶし以外の何物でもなかったが、だからと言ってオケラが内容なんか如何でもいいと思っていた訳ではない。 選ぶのに長時間本屋でウロウロしている。 それ自体暇潰しなのだが本人は気付かず、結局は如何でもいいのに足を棒にして迷っている。 厳選の結果漸く決めて対価を払い、読み始めたら事件が起きたばかりなのに何となく犯人が判ってしまう、そして既に読んだ本だと判ったときの残念さ、無念さ、‥‥。 判ってくれますか? アナタ。
  読んだ本は大体面白かったが、オケラの好みで思い出す儘に何冊かを挙げると、星新一「マイ国家」「宇宙のあいさつ」、小松左京「日本沈没」、A.クリスティー「アクロイド殺人事件」、A.マクリーン「女王陛下のユリシーズ号」「ナバロンの要塞」、F.フォーサイス「ジャッカルの日」、J.アーチャー「百万ドルをとり返せ」、‥‥、あァ駄目だ、きりがない。 然しこうして並べると推理・冒険ものが多く、他は嫌いなようだがそんなことはない。 吉川英治、井上靖、山本周五郎、新田次郎、司馬遼太郎、池波正太郎、吉村昭、海音寺潮五郎、松本清張、M.シューヴァル夫妻、等々、(あァこれもきりがない)の諸作品は、夫々重い軽いはあるが何冊読んでも飽きない。 この反面、流行の劇画はあまり見ない。 漫画は4コマに限ると思っている活字指向の強い、古いオケラにとっては、食わず嫌いもあるが、頭の禿げたオッチャンが何時お客様が見えるか判らないカウンターの隅で読むには適当ではないように思われる。 もう一つオケラの肌に合わないのが翻訳ものの文学巨篇と言う奴。 あの、話が何時始まるのか判らないダラダラとした書き出しに閉口して、ジイドもスタンダールもトルストイもドストエフスキーも皆駄目、怱々に撃退されてきた。 海外文学巨篇に比べれば、半年以上掛かって、最後は義務感で読んでいた臼井吉見の「安曇野」の方がまだまし。 なにしろ読み終わったのだから。 その点翻訳ものの推理小説はいい。 直ぐ事件は起きるし、しかも最初の10ページ迄に犯人が登場しているときている。 国産の非道いのになると最後の10ページに初めて出て来たのが犯人だったり、原因が偶然だったり超自然現象だったりする。 そこに至るまでが面白いならまだしも、ただ持って回った挙句にこれでは本当にやんなっちゃう。 こうしてオケラはこれまで本に、酒代程じゃないけど、煙草銭と同じ位の相当な額と、ダンボールや書棚の為の相当なスペースと、選択の為の多大な労力を費やしてきた。
  オケラの店の近くに図書館があるのを知ったのは、店を引き継いで間もなくのことだったが、当初は時間的にも精神的にもゆとりがなく、利用するようになったのは二年位経ってからだった。 オケラは曾て図書部員だったので、図書館の便利さは知っている心算だったが、利用してからその価値を再認識した。 市立図書館の分館だがその蔵書は、一言で言えば無限である。 ある本が読みたい場合、先ず書棚を見る。 見付からなければ館員に尋ねる。 司書がその場で捜して見付からなければコンピューターで検索し、本館や他の分館にあれば次の日に取り寄せてくれる。 ここで見付からなければ県立図書館から3〜4日で持ってきてくれる。 それでも駄目なら、新規に購入してくれる。 諦めるのは本屋にも無い場合と図書館に相応しくない本、例えば週刊中年ジャンプ位のもので、その間こちらはじっと電話を待っていれば良い。 借りられる数は五冊、期間は二週間で延長自由。 借り賃は無料。 その上、新聞、雑誌のバックナンバーや他所の電話帳、列車時刻表は言うに及ばず、小説、落語や古典、語学のテープ、最近ではクラシック、ジャズ、歌謡曲や都々逸のCD、映画や教育用のビデオまである。 ビデオはレンタルビデオ屋程数は無いが、一週間只で借りられるのだから文句は言えまい。 何と至れり尽くせりなことか。 エ、税金? そりゃマァそうだけど、年度末にやたらに道路掘り返しているのよりはいいと思わない? 斯くてオケラは自分の不要な本を寄付してしまい、身軽になって図書館から借りるようになった。 今度は既に読んだ本に当たっても、交換してくるだけだから書棚の前で長時間悩む筈がない、と思いきや、やはり足を棒にして迷っている。 先日もアイドルタイムにチョット行ったら二時間引っ掛かって、帰ったら店は満卓、メケラが一人で天手古舞していて叱られた。 斯くてオケラは自分が優柔不断であり、決断力に欠けている事を改めて思い知らされた。 若い時からだからこれは決して老人性ではない。 中の男がいい年をして老眼鏡を片手に何時までも迷っているのが傍目に良い筈はない。 よし、今度行ったら「性格改善法」を借りてこよう。 いや待てよ「睡眠暗示法」にしようかナ。 それとも「決断力のつけ方」か「私はこうして性格を直した」の方がいいかナ。 ウーン。

−−−−−−−−−−1992.02記


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