オケラのくりごと  鈴虫

 昨年六月にホームセンターから最初の鈴虫がやって来て、オケラの店を賑やかにしたことは先に書いた。 その後伊東の花火大会で貰うことは出来なかったが、静岡からふるさと小包便で送ってもらい、更にはお客様から戴いて、最後の1匹が十月九日に鳴き止むまで、三つのグループがそれぞれにお客様を楽しませてくれた。 十月十日、とうとう全部死んでしまい、一日置いて十二日、店の隅においてあった虫籠を片付けようとして、何気なく中を覗いたら小さな小さなチビが動いていた。 この偶然がなかったらあとの話も無かったのだが、自分の体よりも長い触角を動かしている様はどう見ても鈴虫で、思い合わせるとどうやらホームセンター組の子供らしい。 こりゃ大変と早速小さな虫籠に移し適当な餌をやる傍ら、毎日朝晩のぞくと、時には1匹、時には2匹と出てきて、約二週間に亘って16匹が孵化した。 季節は秋から段々冬に向かい、チビ達の前途は多難に思われたが、折角生まれてきた連中を寒い戸外に捨てるわけにも行かず、必然的にオケラが面倒見ることになった。 昔、‘狐の呉れた赤ん坊’という映画があったが、内容は全く異なるものの雰囲気はそんな感じで、大人向きの餌で赤ん坊が育つものか、どうすれば冬が真夏になるか、人間の場合にはデパートに行けば大抵の道具や餌は売っているし、ラジオでは‘子育て相談’なんてのを毎日やっているが、この場合は育児経験のないオケラがすべて自分で考えなければならず、途方に暮れた。 そうしている内にもチビ達は僅かながら育っているようで、これなら餌は現状で大丈夫と見当がついた。使い捨て懐炉の小さいので温めることを思いつき、使い捨て懐炉は酸素を消費するので、どうやって鈴虫を窒息させないで温めるか、にポイントを置いた仕掛けを冷凍生地の箱と鶏卵固定用の凸凹の板で作った。 昼は窓際に、夜はストーブのあるDKに、そして夜中はエアコンで暖房した寝室のオケラの枕許に懐炉の入った箱ごと移動する。 米粒大からご飯粒大へと育って行くにつれ最初の虫籠は手狭になって、曾ての静岡組の輸送用のプラスチック容器をその土と共に使うようになった。 それまでの間、オケラが籠を持って移動中に肘をぶっつけた反動で、2匹が生き埋めになるという大惨事が起きた他は順調で、14匹が木炭の陰や小口切の楢の幹の回りに逆さに止まって生き長らえた。 主として湿度を保つ目的で、サニーレタスの芯を入れていたが、広くなったのを機にキャベツの四つ割りの芯を反対側の隅に置いてみたら、何と驚いたことに根が出て天辺に葉が出、横にも太って全体に大きく育ってしまった。 懐炉はやがて大判になり、カボチャとキュウリ、夏の残りの煮干しの粉が主食、リンゴとレタスをデザートにすくすくと育ち、またまた器が手狭になり、十二月中旬いよいよオケラの手持ちの中で最大、と言っても冷凍生地の箱に丁度入る程度の器に引っ越した。 器の中は梅雨以上の湿度で、止まり木にした経木を初めあちこちにカビが生えているが、鈴虫に水虫はないらしく別に痒がりもせずに歩き回っている。 後ろ足のかけらを見つけたときにはさては共食いか、と慌てて全員点呼を掛け、数が揃っているのに一安心した。 かけらは抜け殻で脱皮をしているらしい。 孵化から約七十日、それまで天使みたいな小さな羽根をつけて裸でいたコオロギの群れに、突然雄の鈴虫が誕生した。その後羽化直後と思われる鈴虫とその抜け殻を見る機会があったが、抜け殻には全ての足や胴体は勿論、尻尾やあの細い触覚まで揃っている。 抜け出した本体はシルキィホワイトで、時間が経つにつれて灰色にというより黒が浮き上がってくる。頭を逆さにしてぶら下がった形に残った抜け殻を、まだ白い本体が食べてしまう。 従って大抵は脱皮の後は残らず、突然成虫が現れる感じになる。 メケラは下着を自分で処理して他人に見せない鈴虫は上品だと、あちこちに着物を脱ぎ捨てるオケラに当てこする。 羽化にかかる時間は約二時間程度ではないかと思うが最初から最後まで確認したわけではないからはっきりとは判らない。最初に羽化してから二日目ごろにチリとかチリリとか、初めて音がして、オケラもメケラもア、今ないた鳴いたと喜んだ。 その次の夜くらいにチリリーン、チリリーンと二声位づつ二三回、頼りなげに鳴き、今度何時鳴くかと待っていて眠れず、鳴けばびっくりして目が覚めるオケラ達は、不定時限装置付の目覚し時計を抱え込んだようなもので、すっかり寝不足になった。 その間にも羽化は続き、年明け迄には雄ばかり10匹が羽化した。 残った4匹は全て雌で、これもやがて羽化し初めたのだが、最後の1匹は羽化中に何か事故があったらしく、残念ながら成仏した。 箱を大きくして間もなく、またまた孵化したばかりのチビを見つけた。 土を混ぜた為にこれがどの組の子供なのか判らないが、いまや育った程度によって大きさに違いがあるものの、約20匹になっている。 大小取り混ぜて三十数匹が狭い箱の中でひしめき合い、どうやら上手く鳴けるようになった雄達は、駆けずり回っては他が鳴くのを後ろ足で蹴って邪魔しつつ、夫々に個性的な声で自己主張をする。 一晩中同時に数匹づつで合唱するその不協和音たるや割れ鐘で、リーギ ー ンギ ー ンギ ー ン‥‥‥。 向こうは交代で鳴くのだから良いけれど、通しで枕許で聞かされるオケラ達はたまったものではない。 今鳴いているのがいなくなる頃には今のチビが鳴き始めることだろうから、この儘じゃ次から次へと繋がってライフワークになってしまう。 結構カワイイけど、前途は鈴虫達よりもオケラ達の方が多難になった。 狐はとんだ赤ん坊をくれたものである。
−−−−−−−−−−1994.01記

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