オケラのくりごと  スーパー

  十年余前、一番近い金融機関であるA信用金庫に預金口座をもった。 そしてそれ以後、この信金がオケラの、ただ預かるだけで何も貸してくれないメインバンクになったわけだが、その隣にYマートがある。 このYマートとの付き合いもやはり十年を超えた。 個人商店なら、行く度にそこの主人や奥さんと顔を合わせ、度重なる内に顔見知りになり、簡単な挨拶からだんだんに言葉を交わすようになって、馴染みになり、やがて何かおまけしてもらったりして更に深い付き合いになって行くのだが、通常、スーパーの従業員と客との間には人的関係はない。 考えてみればそもそもスーパーという建物自体が、大きな自動販売機であって、自動販売機に人の顔があるはずがない。 客もそれを承知で、だから逆に気楽に選び、本音で安くて良いものを買いあさることができる。 一般商店の主人の前では余りえげつないこともできないが、スーパーでなら平気である。 ところが、オケラがメインスーパーとしてこのYマートに毎日の様に、時には日に2、3度通う内、お互いに識別できるようになり、自然に顔馴染になってしまった。 そうなるとオケラはえげつないことをやり難くなったが、店長を初め店員が変わると店が変わるとも判ってきた。 スーパーなんて何時でも何処でも同じ物を並べているものだと思っていたオケラにとっては、これは一寸した発見だった。 例えば卵。 このスーパーでは一つづつに産卵日を入れていて、二日以内に提供することを歌い文句にしている。 ある主任はその趣旨に則り、入荷したものを直ぐに売場に並べる。 だから大抵は前日のものが売場にあり、新鮮なので良く売れる。 その代わり売れ残りが二日の限度を超えることが多く、陰で処分していると言う。 別の主任は入荷しても売場には並べず、二日前のが無くなってからやっと売場に出す。 だから大抵古いのが並んでいて余り売れないが、売れ残りは少ない。 精肉も青果も鮮魚も、多分品揃えは本部から、本部の指導でやっているのだと思うのだが、結果が微妙に違う。 一番変わるのは見切りのタイミングであろう。 どんと仕入れてさっさと見切るタイプと、少し仕入れて何とか値引きしないで売り切ってしまおうとするタイプがある。 客にとってどちらが良いかは明白で、売場全体の鮮度も変わってくる。 オケラは店長を捕まえて、ゴミに値札を付けるな、等と率直に欠陥を言い立てるものだから嫌われているが、オケラにとって見れば、我がメンスーパーを転任者によって駄目にされたくないという気があるから論を曲げない。 彼等はオケラ達を客だと思っているが、建物とオケラ達固定客は逆に彼等を客だと思い、良い客が来たときは楽しく買物をしているが、悪い客が来たときは、建物とオケラ達が2、3年辛抱して潰れないように何とか支えている。 そんな買い手の気持ちを知らない客達は、良い接客態度を云々と朝礼をやっている。 オケラ達買い手は朝礼などしなくても、自律でズーッとお客をもてなしているのに。

−−−−−−−−−−1997.01記


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