オケラのくりごと  兄弟

 オケラは最近子になったらしいが、それまでは六男だった。 オケラの兄弟は当時としては並級の八人で、上下の女が六人の男を挟んでいる。 オセロだったらこれで全員女になるところだが、男達は何とか意地で頑張った。 次男は、母親の言によれば一番利口だったそうだが、幼児の頃に亡くなった。 残りは割に順調に五十過ぎまで来たが、四男が51才であの世に行った。 多分二番目に利口だった所為だろう。 オケラが育った地方には‘バッチの馬鹿造’と言う言葉があり、オケラがこれに当たる。 末子と言うだけなら次女になるが、馬鹿造と言うのはどう見ても女名前ではない。 と言うわけでオケラが一番長生きする筈である。 両親は何処でもそうでありがちなように、初めの頃は子供に対する関心も高かったようだが、オケラ辺りになるとダレてきて、良く言えば放任主義になる。 余り干渉されないと逆に自律神経が働いて、極端にはグレられなくなる。 斯くてそこそこのものが出来上がった。 初めの方ほど出来は良いようだが、自分で言うのも憚られるが、馬鹿造でこの程度なら許して貰わなくてはなるまい。 一家全員で同じ職業に就いているところがあるが、オケラの処はバラバラである。 特に男の兄弟は別々の仕事に就いた。 高校までは同じで問題はなかったが、その後夫々勝手に進路を選び、結局、建設・機械営業・時計技術・教師・うどん屋と、社会的にも別の暮らしをしてきた。人相も、丸いの、長いの、四角いのが居て、禿げの程度も違い、似ていない。年令は勿論、性格も違うし、女房も違う。 法事などで顔を合わせても原則として仕事の話は合わない。 オケラの結婚時の披露宴で、こんなに違う兄弟を一列に並べて順次立たせて紹介したところ、参会者が‘おォ’とどよめいた。似ている、と言うのである。 別の機会にも初対面の人から殆どノーヒントで、某の弟だろうと言い当てられたことが何度かある。 そう言われれば少しは似ていないこともないが、他人が言う程そっくりとは思えない。 考えるに、兄弟同志は根本的に似ているが故に、互いの相違点を見つけ、それを意識するが、他人は違いは最初から当たり前として共通点、相似点を見つけるためであろう。振り返るとこれはフランチャイズの各店同志の関係にも当てはまりそうである。内輪では違いが目立つように思って気にしているが、他人であるお客様は小異に拘らず共通点を見付け、皆同じFCと見做してくれているのではなかろうか。夫々がその立場、立場で生き抜いて行く為には、夫々の条件に合わせた生き方が要求されるから、親が望むような一卵性二百生児って訳にはいかないけれど、どうにか家風には合っているよねぇ、違うって親に叱られそうな兄弟方。
−−−−−−−−−−1995.10記

次へ

はじめに戻る