オケラのくりごと  佐藤さんの死

 佐藤吉成さんが突然亡くなった。 実は以前に膵臓を患って入院した、とは聞いていたのだが、それが死につながるなんて想像もせず、入院の間、店を如何やって維持するんだろうと、メケラと二人しかいない我が身に引き比べてその困難さを思いやっただけだった。 生者必滅とか、一寸先は闇とか、別に何の感情も込めずに日常的に使う。 病気の延長上に死があることだって知らない訳ではない。 だがそれがこうして事実となって目の前に形を取るとやはり驚く。 それは寝耳に水をさされたら驚くことを知っており、さぞやビックリするだろうと想像していた者が、本当に寝耳に水をさされて跳び上がるのと似ている。 妙な話だが、交通事故が原因だったらこれ程驚かなかったかもしれない。 事故の向こうに死が直結していることは常々感じていることで、電信柱に自分でぶっつけて死んじゃったなんて聞いても、有り得る話として、馬鹿だなァ等と言ったり言われたりが落ちである。 然し八十過ぎの老人なら兎も角、病気が源で五十代前半のものが死ぬなんて、今のオケラには何ともピンと来ない。 と言うのも医療の進歩は当然だが、オケラに老人意識がなくなって来たからであろう。 オケラが十五才の頃、五十の人は老人でその人が亡くなっても当然に思えたが、五十を超えてしまった今、五十代はまだ若いとしか思えない。 お通夜に集まったFCは大半が佐藤さんと同じ年代で、その中の誰が明日死んでも、割に素直に世間に受け入れられるレベルの者ばかり。 番狂わせが多いように見えても、結局死ぬ順番が必ずある筈なのだが、前以て判らないから助かる。 最初に死ぬことが判ったら、それが何十年先であろうと良い気持ちはするまいし、長生きして先に死ぬ人と、少し短命で後に死ぬ人は、どちらも落ち込むことだろう。 死神の下請けの如き確実な易者が現れたら、法的規制を受けるに違いない。 この連中、死んでしまえばお終いよ、死んだらアカン、と互いに戒め合っていたが、死んでお終いになるから良いのであって、これが何時までも続いていたり、その後に化けて出るシーンがあったりしたら、お互いたまったものではない。 秦の始皇帝など、あの年になってから不老不死になってしまったらどうする心算だったのだろう。 佐藤さんを悼みながら呑み始めた酒であったが、段々元気になり、やがては佐藤さんも喜んでくれているよ、なんていつもの言い訳をしつつ、数人で殆どお通夜をしてしまった。‘死’などと、直ぐにお世話になる癖に不断忘れているテーマを突然突き付けられると、何を書いても支離滅裂で、何ともオチ着かないものである。
−−−−−−−−−−1994.04記

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