オケラのくりごと  酒

  オケラは酒が好きである。 親兄弟が皆好きだったから、これは遺伝に違いない。 その上酒飲みが多い学校だったし、会社でも飲む機会が多かったから、人並みにちょっと輪をかけた位には飲めるようになった。 最盛期には週のうち五日は午前様、後の二日は家で飲むという暮しをしていた。 睡眠は前半は自宅まで一時間半位かかるタクシーの中で、後半は自分の寝床でと二回に分けるのが常習になり、寝不足の結果たまに早く帰って午後七時半頃寝ると、夜中に目が覚めて、泥棒が来る当てもないのに不寝番をし、明け方に漸くウトウトして、結局いつもと同じ睡眠不足で出社した。 土曜日は毎週勝手に休むことにし、一人だけ世間に先駆けて週休二日制を取り入れていた。 メケラは最近の朝から夜中まで働かされているオケラを見て、あの時の罰が当たっているのよ、と言うが、ひょっとしたらそんなこともあるかもしれない。 肝臓は過労で GOTも GPTも45位。 特にアルコールに関係のあるγ-GTPは 100を超えて要再検査の連続、禁酒の上再検査しても80になれば良い方だった。 それが或る日何かのきっかけで、避けられぬ場合以外は外で飲まなくなった。 酒は映画と同じく習慣で、外で飲んでいるときは毎日でも飲みたいが、飲まなくなると外で飲むのが億劫になる。 毎日五時に退社して、小田急のロマンスカーで定時に帰宅する。 禁酒したわけではないから今度は家でメケラを相手にビール大瓶半ダースぐらいを連日飲む。 だが飲み始めるときに半ダース飲もうと思っているわけではない。 一本半位飲んだときに決まってもう止めようかなと思う。 然し見ると瓶にあと半分残っている。 残すのは勿体ないからこれを飲んで止めようと思う。 ところがこれが問題で、これを飲むと突然勢いがつき、矢でも鉄砲でも持ってこい、ましてビールがなぜ来ない、と言うことになる。 そこでオケラは考えた。 オケラの習性に応じて節酒させるには小瓶にすれば良いのではなかろうか。 これが我ながら大当り。 オケラのジョッキには小瓶一本が丁度入るが、ジョッキ一杯毎に止めることができるから、勿体ないと無理して飲む機会が減った。 それに大瓶でも小瓶でも6本は6本で、視覚的には空瓶が6本並ぶと何となく満足する。 結局一本当りは割高だが、全体としては割安で、二日酔いの程度が軽くなっただけ儲けものになった。 その当時としては大型の冷蔵庫を買うとき、扉の内側はビール以外入れさせないことにしていたのだが、いつの間にか牛乳、麦茶、烏龍茶、天然水、紅茶、等々に占領され、やがて一番下に小瓶7本だけが間借りしている感じになり、今ではこれが定着してしまった。 その後も大酒を飲む期間と、比較的控える期間が何度か交互に訪れたが、肝臓が元気になるには程遠い水準を維持していた。 それがうどん屋になって暫くして、健康保険の切り替えに先立って一日ドックに行ったら、それなりにズーッと飲み続けていたのに、何と何と肝臓関係の数字が全部正常値になっていた。 うどんが健康食とは聞いたことがあったが、うどん屋が健康職だなんてチィトモ知らなかった。
  飲むと気が大きくなる。 だからストレスの解消になる。 一般的には正しい。 しかしオケラの場合には気が大きくなった結果、不断言うまいとしていることを言ってしまったり、やるまいとしていることをやってしまうから、次の朝から決まって始まる二日酔いに、この反省や後悔、さらには無駄遣いに対する罪 悪感まで加わって、ストレスは倍加する。 飲んでる最中は百薬の長の心算でいるが、次の日になると気違い水であったことがよく判る。 この障壁を何度となく乗り越えて、倦まず弛まず飲み続けてきたのだから、この方面での忍耐強さは、到底うどん屋を5〜6年やるの比ではない。 高知には断酒会というのがあるそうだが、そこまで行かなくても、節酒会に入るくらいの資格は十分にあったと思う。 今? うどん屋から強制的に、節酒会以上に管理されてます。 飲めるうちが華よ、なんてこんな意味だったとはネ。
  最近、残念なことに飲み屋がカラオケ屋になってしまった感がある。 オケラが一所懸命飲んでいた頃は、銀座、赤坂、六本木、新宿などの一寸したクラブの類は、ピアノや小編成のバンドをもっていて、平土間や客席で客に歌わせた。 オケラも結構歌ったものだが、その当時はまだカラオケは一般的ではなかった。 その上のクラスでは客は見聞きするだけで、到底ステージになど立たせて貰えず、オケラが最も得意としたその下のクラスはただ無闇に飲むだけ。 こんな中で数人の仲間が、ワイワイと、上役の陰口やら、同僚の悪口やら、議論の為の議論やら、猥談やら、喧嘩やら、仲直りやら、決して儲かることの無い金儲けの話やら、笑ったり、怒ったり、絡んだり、絡み返したり、明日のことも考えずに賑やかに飲んだものだった。 だからオケラにとっては近頃の、ただ自分の持ち歌のリクエストをして、お互い下手な歌に手を叩きながら順番が来るのを待っている、会話の無い、或いは会話の中断の多い飲み会は、確かに何の軋轢もなく、だれも嫌な思いをしないで済むのは良いのだが、何とも物足りない。 なんて言っているうちに、もうスペースがなくなってしまった。 この続きは今度飲む時、朝方までかけてゆっくり話しましょ。 そう、オケラ流に、つま先まで胸襟を開き、言わずに膨れた腹を空にして、良薬の苦い思いに耐え、明日の二日酔いと記憶喪失に脅えながら。 アレ? 何で急にいなくなるの? 本当に用事ができたの? もう一寸いいじゃないの。 ねぇ‥‥。

−−−−−−−−−−1992.05記


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