オケラのくりごと  老眼

  今回は枕なしで老眼の話。 最初は細かいものを見るとチラチラした。 然し当時は適齢期なのに自分が老眼だとは露ほども思わなかった。 ア、これは老眼ではないか、と思ったのは度々言いかかったようにチャンポンを食べていた時。 ご承知の通り長崎チャンポンには様々な具が乗っている。 オケラは、これも前に言ったように、丼の上に覆い被さるようにして食べる。 行儀の話は別にして、その方がサッサと、言い換えればガツガツと食べられるからだが、そんな時でも今何を口に入れたのか位には関心があって、この次はアレを、等と考えながら口を動かす。 それが、そのままの姿勢では次が選べず、一寸離すとよく見えることに気付いた。 一般に視力検査とは近眼が対象で、如何に遠くが良く見えるかにポイントがある。 若い頃は両眼とも裸視力 1.5で、遠くが見えない人の状態は、多少の優越感と共に想像するだけだった。 その後、三十代後半だったと思うが、最近距離の方を自分で試したことがあって、その時は確か13cmまで見えた。 11cm位まで見える人がいるとのことで、13cmでも不満だったが、当時はまだ遠くが良く見えるか否かの方により大きな関心があったから、不満と言っても軽いものだった。 どちらかの眼が 1.2とか 1.0とかになって、最近目が悪くなったなァと思ったが、これも近眼になる心配をしたのだった。 今にして思えば、老眼とは水晶体の調節機能の低下なのだろうから、近くが見えなくなるばかりではなく、遠くも見えなくなっても不思議はない。 時に、最近若返って近眼になった、と喜んでいる人がいるが、これも老化現象の一つで立派な老眼に違いない。 世にそうなってみないと判らないことは多いが、老眼もそれで、何とも不便なものである。 辞書が引けない、新聞が読めない、なんてのも困ることは困るが眼鏡を掛ければ良く、大体は眼鏡を掛けられる状況にある。 スーパーで買い物をする時、品質を吟味し、製造日を確認する為には眼鏡が必要だが、老眼鏡では離れた所がぼやけるから、止むなく掛けずに勘で頑張る。 メケラが取るオーダーの伝票が見えぬのも困る。眼鏡は湯気と汗で掛けていられない。 結局見える部分だけでメニューを作るから、トッピングのミスはしょっちゅう、時には呆けも加わってとんでもない物が出来上がる。 ピリ辛のスープには気をつけようし、○△うどんと○△セット、○△サラダも何とかしよう。 然し、からあげ、かきあげ、かまあげは誰の陰謀か。 こんな事で間違えると腹が立つ。 自分に? とんでもない、悪いのはオケラの老眼を百も承知で、大きな字でチャンと書かないメケラに決まってるでしょ。 でもネ、一番困るのは目にゴミが入った時なんだよネ。
−−−−−−−−−−1995.05記

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