オケラのくりごと  プール

  こうしてお客様次第のうどん屋に仕えていると、自分の時間を思い通り、予定通りに使うことは難しいが、それでも一応一週間単位でやることが回ってくる。 水曜は定休日で、オケラは朝からか、ラーメンを食べてから風呂に行く。金曜日は隔週で腰の医者か、床屋と風呂に行く。 火曜日は風呂の日で、3時半の開場と共に銭湯に行く。 土・日はやむなくうどん屋に専業するが、残りの月・木は、プールの日。 曾ては千駄ヶ谷の旧東京都体育館や国立競技場のプールに行っていたが、当時はそれ程定期的ではなく、二日酔の罪滅ぼしに行く程度だった。 その後腰痛になり、同時にうどん屋になって当地に住むようになり、腰痛対策として泳ぐことを考えた。 最初の内はアイドルタイムに拘って、何とかその時間に行ける所を、と車で探したが、当時はまだ人が居たので、思い切って月・木の6時半から一時間、一番近くのプールに行くことにした。 この施設には、プールとサウナしか無い代わりに、スイミングスクールがある。 昼間はご婦人方専用のクラス、夕方には子供達のクラスがあって、6時半を過ぎると漸く成人男子も入れるようになる。 スイミングスクールの良い所は、指導者がいてメニューを作り尻を叩いてくれるところである。 千駄ヶ谷あたりでもそうだったが、自由に泳げと言われると皆なかなか泳がず、周りに立ったり座ったりしている時間が長くなる。 一寸混んでくると、泳ぎに出たら戻ってくる場所がなくなり、文字通り流浪の民にならざるを得ない。 50mプールのコースロープをはずして横に泳がせるのだが、一辺が20m位を泳ぐうちにも何度かニヤミスをし、やっと反対側にたどり着いてもターンは出来ないし、立ち泳ぎをしながら掴まる場所が空くのを待っている破目になる。結局皆、無統制のままだらだらと時間を過ごし、2時間の制限時間いっぱい存在することで健康になった気になると言う訳である。 それがスクールとなると大分様子が変わる。 今行っているプールは25mで6コース。 深さは1m位だから立って歩ける。 1〜4コースはスクールで順に上級になり、5〜6コースにはインストラクターが付かない。 バタフライが出来ないオケラの定位置は4コースの最後尾である。 準備運動に10分位かかり、その後あれやれこれやれと言われながら1〜1.3kmを45分位で泳ぐ。 元々腰痛対策で始めたことだが、やっているうちにあちこちが壊れてきて、今では心臓肥大とか不整脈とか言われている。 だから果たしてこんな重労働が本当に身体にいいのか疑問は残るのだが、腰痛には良いみたいで、論より証拠今でもうどん屋に毎日仕えられている。 尤も腰痛対策はこれに限らず、例えば機会あるごとの温浴、二週間に一度の整体、毎朝の寝床での30〜40分の体操、3〜6時の休憩等々、常に考えて居るから、実は何が効果があったのか良くは判らないのだが、‥‥。 6時過ぎに家を出る。 メケラはその都度‘早く帰ってきてね’とオケラへの愛情を表現する。 この間一人で店を守るメケラは、何度確かめても‘誤解よ、店が混んだら困るからだけ’だと言うのだが、オケラはそれを信じていない。  泳ぐ前にサウナに入る。 工業ゴム屋、冬靴屋、倉庫番兼運転手、地方公務員の二人、寸胴鍋の手専門の鋳物屋、昔なら飾り職人といった感じの電鋳屋、その他とオケラで、狭い室内は一杯。 この10分余りの時間に仲間で世間話をする。 話題は、政治経済犯罪健康天候流行景気戦争諸々、世相全般、何でも対象になる。 例えば米不足とかO-157等は格好で、評論家が数人鉢合わせしたようなもの。西暦2000年は20世紀か21世紀かを、多数決で決めたりもする。 悪さと脂肪じゃ負けない、と言うのが居る。 オケラだって馬鹿さと貧乏じゃ負けない。 こんな仲間が合間にも無駄を言いながら、子供ぐらいの年のインストラクターの言う通り、息を切らせて泳ぐ。 仲間の中には若いのも居るから、その連中に合わせるとオケラ達にはきつくなる。 それを気にしてか、インストラクターはオケラ達ロートル組に、盛んに無理をしないでと言うが、なぁに子供じゃあるまいし、しんどくなったら勝手に手抜きするからその心配は要らない。 インストラクターは転勤転属でしょっちゅう替わるが、大抵何時も男女同じぐらい居る。 水泳のコーチと言えば若くてスタイルが良くて、と頭から思い込みがちだが、それが多いのは事実として、例外が例外にならぬ程多いのも事実である。 オケラより僅かに若い程度の女性やO脚の女の子、今居る中での傑作は 175cm位で95kgの腹の丸々とした男性コーチ。 トンガから来たと言われても素直に信じる。 これじゃあプールのイメージダウンになっちゃうんじゃないかと心配したら、前は 130kgあったのがこれだけに減った、と言うことでいいんですと。 海では七尺の布切れだけで泳ぐオケラも、プールでは水泳パンツを穿く。 腰曲がりには、最新流行のハイレグビキニと言う訳にはいかない。 そんなのを穿いたら、腰に引っかかりが無いから脱げてしまう。 そこで一番オーソドックスな形の無地の、言い換えれば一番安いのを穿く。 色は紺黒赤と三色あって、その日の気分で選ぶ。 最近は特に赤を選ぶことが多くなったが、これも年の所為だろうか。このプールでは確かめていないが、或る時市営プールの管理人に甲羅干しをしながら話の序でに聞いたら、例の布切れ着用で泳いでも良いのだそうで、当然駄目なのだろうと勝手に決めていたオケラは、逆に驚いた。 でもまだ実践はしていない。 だって何か新聞種にでもなりそうで恐ろしいから。 そうか、扱いにもよるが新聞種になって死に残るという手もあるなァ。 こんな訳で、腰痛の為とは言え、かれこれ十年もプール通いを続けてきた。 良く続きますね、と人は言うけれど、プールに行かなければその間うどん屋に仕えなくちゃならないでしょ。 どっちがいいと思う?
----------1996.10記

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