オケラのくりごと  夏の想い出

 ‘夏が来れば思い出す’のは尾瀬ばかりではない。 生まれてからこの方、オケラにも毎年定期的に夏はやってきた。 その度に様々な事柄を思い出し、新しい想い出を残したが、それは夏だったからではなく、その瞬間をオケラが生きていたからに過ぎない。 人によって異なるだろうが結婚や子供の誕生など、その時点で本人が思い出せる過去の特徴ある出来事を、特に想い出と名付ける。想い出の総量は青年時代を頂点に限度があるので、曾て想い出だったものも新しい想い出候補が時と共に増え続けることにより、溢れ出て流れ落ちてしまう。そんなその都度の試練に耐えて頭の中に住み着いた想い出のエリートは、今度は少々の事では退散しない。 これが老人が何時も同じ話を繰り返す原因になっているのであろう。 忙しい時は思い出すことは少ないが、想い出に残ることは多く、暇な時は思い出すことは多いが、想い出に残ることは少ない、とは何処かで聞いたことだが実感としてそう思う。 人生は想い出作りの作業そのものと言っても良いから、その充実を図るためには毎日を精々忙しく暮さなければならない。 夏は今年も暑い。 然しいつもならこの暑さを一層盛り上げる筈の蝉の声を、今年は聞いていない。 晩春から初夏にかけての低温が原因ではないかとのことだが、理由の如何を問わず聞こえるべきものが全く聞こえないのはやはり寂しい。 いつもならオケラの店の前の銀杏並木の中のどれかに巣をかける鳩も、姿を見せない。 これも何か関係があるのだろうか。 然しこれらの自然現象絡みの話は、ラジオのお便りコーナーに限らず、例えば水不足だとか、米の作柄だとか、台風の進路だとか、毎年何かを例に語られることで、数年前の米の不作にでもつながれば別だが、多少の異変はまあ年中行事の一つだと言ってもいい。 高校野球は甲子園で今がたけなわ。 毎年‘初’やら‘奇跡の’やらが出るが、これも見ている者にとっては年中行事と言ってもよかろう。 台風も12号がやってきて、例年通りの展開になりそうである。今年はオリンピックがあったが、何とも盛り上がりに欠けた大会だった。 体操も、柔道も、レスリングも、バレーも、水泳も、卓球も、マラソンも、曾て日本のお家芸と言われたものは、ひとことで言えば皆駄目。 サッカーでブラジルに勝ったと言うけれど、他の皆に負けるようでは、日本がいいというよりはブラジルがたまたま駄目だったと見る方が正しいだろう。 期待した通りの成績を挙げ得たのは僅かに野球とシンクロナイズドスイミング位。 それだって本当は金や銀が欲しかった。 あの程度の有森が今回のヒロインになる位だから多寡が知れている。 オケラは最初の体操でがっかりして興味を失い余り見なかったが、それでも競技というものは面白くて見始めると止められず、一寸見る心算がついつい寝不足になった。 昨年の今頃はオウムや住専など、凶悪で派手な話題があり、午後のテレビはそれを追っ掛けて放送していれば良かったのだろうから報道関係者はきっと楽だっただろう。 ニュースにも運不運があり、例えば阪神大震災は不運。 何故なら、その直後にオウムが活躍し始めてニュースヴァリュウが削減されてしまったから。 その点オウムや住専は恵まれていて、ごく最近まで話題になった。 どういうわけか今年は国内での凶悪犯罪がない。 メキシコでの社長誘拐事件も、前の同様の事件に比べると扱いが小さい。 何故なら、この話を追いかけなくても他に格好の話題があったから。 そう、O-157。 O-26 と言うのもあるらしいが、兎に角見えないから始末が悪い。 噂に驚き、影におびえ、正にエイリアンとの戦い。とうとう貝割れ大根が槍玉に上がった。 あの業者の生産した貝割れが感染源かどうか未だに確定できないようだが、仮にそうであったとしても、では何故その貝割れが汚染されたのか、という疑問が残る。 そこまで考えるとあの貝割れ業者も被害者である公算が大きい。 ましてその他の貝割れ業者は気の毒である。汚染されていることを言ったり、証明したりすることは比較的簡単だが、汚染されていないことを証明するのは極めて難しい。 何しろ検査したものが白であっても、その隣のものが汚染されているかもしれないのだから。細菌なんてそこら中にうようよしていて、不断はそれらを口にしても何の問題も起きないのに、何かの弾みで運が悪いと食中毒になってしまう。 その意味で、オケラは食中毒なんて交通事故みたいなものだと思っていた。 保健所に相談した時オケラがそう言うと、保健所員からは、充分な手立てを講じていてもそうなってしまった場合は致し方ないでしょうね、との答。 それで判った。食中毒が交通事故のようなものだというオケラの理解は正しい。 但し、交通事故も無闇やたらに起きるものではなく、良く整備した車で高度な運転技術を持ち、信号を見落とさず、歩行者や他の車に注意して安全運転していれば、少なくとも事故を起こす率を低くすることができる。 車検を通して酔っぱらいの脇見運転をしなければ良いんじゃないの? 寅さんとお貞さんが亡くなったと思ったら誘拐された社長が無事開放され、報道機関は一様に大々的に扱っている。ということは、O-157はニュースとしてもう終わったのかもしれない。オケラの店は今年もお盆興業をした。と言ってもお盆の間、定休日をも返上して営業するだけの話だから、年中無休の皆様から見たら馬鹿みたいな話だろうが、メケラと二人だけで、今頃働いているのは我々の他には坊さんと警備員位かなぁ、なんて思いながら、13日間で百万円の売上げを目指して頑張っていると、くたびれ果ててこれを書く時間も頭の余裕もない。 それを斯うして書いているのだから、充分に忙しい。 さぁ、想い出の準備は出来た。 でも10年後、この夏について何を思い出すって言うんだろう。 楽しみだねェ。
−−−−−−−−−−1996.08記

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