オケラのくりごと  虫

オケラの店には虫がいる。 オケラもメケラも虫ケラ同然だが、そのことではない。 お宅のお店にもいて、貴方が最初に思い浮かべた虫でもないのだが、ついでだからこの虫にもほんの少し触れることにしよう。 オケラが七年前店を引き継いだときには、この虫に対する知識は皆無。 変態を知らず、小さな黒い虫と茶色い虫の二種類がいるのだと思っていた。 当時この虫は店の至る所にいて、その数というより量は、大鍋で佃煮に出来るくらい。 即刻この虫との戦いを始めたが、当時のこちらの武器は、ホイホイ、ゾロゾロ、コックローチ、硼酸入りの餌、アメリカ製のコンバットのようなもの、等々で、これらは何れもそれなりの効果を上げたのだが、敵は常に優勢で、軍事費が嵩む割には目に見えた成果が上がらなかった。 例えばホイホイは客席から見えぬ陰に常置してある五つ位の他、十以上を15.5坪の店の各所に毎日閉店後に配置し、これを毎朝回収、一週間から十日で新品に交換するのだから、その手間だけでも大変なものである。 その上、休みの前には隙間という隙間にコックローチを噴霧して回り、フードの陰から落ちてきたのなどは丹念にメケラが手で潰す。 冬場は毎日釜の裏に水を流し、流れてきたのが溝に流れ込まないうちに、と追いかけ回す。 これだけやっても敵の戦力は衰える気配を見せない。 思い余って本部の担当SVに業者捜しを依頼したところ、M社を紹介してくれた。 この業者、黄色い団子を配置する方法で一年間三万円也。 これなら今までの軍事費よりやや安いし、手間がかからないのが魅力で、早速依頼することにした。 結果は、目に見えて減るが完全にはいなくならない、という事前の説明通りだったが、それまでに比べると満足すべき状態になった。 所が二年後、再び契約延長をしようとしたら、一年間八万円とのこと。 やむを得ず諦めて、他の業者を捜したが、費用が高い上に事後に食器、調理器具などを全部洗わなければならないことが判り、とてもじゃないと諦めた。 再び独自の軍事力での戦いが始まったがやはり敵が優勢で、カウンターとの境の配膳台を兼ねた板の上に現れた敵を、お客様とオケラが共に手出し出来ずに見つめ合うと言うような事態がしばしば起きるようになった。 そこにJ社が改めて登場。 ガスで駆除するから事後処理は一切不要、六万円で三年保証、を条件に売り込んできた。 それまで一年で五万五千円と言っていたのに何でまた急に値下げすることになったのか当然疑問で、この業者、あるいは担当者が三年もたず、何時か消滅してしまうのではないかと恐れたが、困っていたときでもあり思い切ってやらせてみたところ、事後処理一切不要にはちょいと問題があるものの効果抜群、当初は生き残りがウロウロしていたが、一ヵ月半たった現在少なくとも見た目には一匹もいなくなった。 ここが肝腎、駄目押しのしどころと、昨夜また駆除作業をしたのはいいのだが、客席の壁のとんでもない所に数個の穴を開けてしまい、オケラと大いにもめた挙句今朝から連絡してこない。 これで保証はオジャン、結局恐れていた通り高いものについたのかも知れず、オケラは頭痛の種を抱え込んだ。 一方、現在店内はひどい殺虫剤の臭いで、巻き添えを食って暫くはメケラも頭痛に悩むことだろう。 兎に角この虫には直接・間接に悩まされる。 調理師の受験勉強の中でも、この虫は取り切れないと言うことになっていたとは思うが、それにしても本部の‘QSCチェックシート’に全く触れられていないのは何故だろう。 高い資本の結果として、今だけなら堂々と胸を張って丸をつけられるのに残念至極。 アレレ、前置きがこんなに長くなってしまった。 こんな筈じゃなかったのに、こりゃァ、あの虫のタタリだわ。 五月下旬、突然ひらめいた。 ‘店でスズムシを飼おう’と。 夏の暑い盛り、うるさい有線を切った静かな店内に響く涼やかな鈴虫の音色。 アベックは勿論、賑やかな家族連れも一瞬黙って耳を傾ける。 親は子に鈴虫とその思い出を語る。 うどんは勿論、酒やビールも旨かろう。 多少回転率は落ちるかもしれないが、いいぞ、きっと。 早速網と虫籠と麦藁帽子を持って、アルトに乗って志賀高原に採りに行こうかと思ったが、季節は未だ梅雨にも入っていない。 志賀高原に行っても影も形もないだろう。 寝ないで考えて、タウンページを頼りに数件のペットショップに電話を掛けた。 ペットショップといっても殆どが犬猫屋。 金魚が精々で、時季の所為ではなく鈴虫なんて何処にもいない。 六月初旬、何処かの縁日で夜店に並ぶまで待つしかないかと思い始めたころ、然るホームセンターのペットコーナーにいるかもしれない、と言う話を聞き込んだ。 藁にもすがる思い、は一寸オーバーだが、諦めムードで電話したところ、います、と言う。 半信半疑で行ったところ、本当にいたので、却って驚いた。 雌雄二匹宛が仕切りをされた小さな虫籠に入って880円。 その卵が750円。 志賀高原に行くより遥かに早く、安く、簡単に手に入った。 買って帰って、間の仕切りを取ってやったら喜んじゃって、その晩からなくこと鳴くこと。 やはり雄は雌と一緒にしてやると張り切るネ。 店? それがドンピシャ思った通り。 お客様にも大好評で、有線は鈴虫のライブに押されっぱなし。 中には鈴虫同様錯覚して、“秋だねぇ”なんて感慨に耽る方もおられる始末。 キュウリはお客様の残りを鈴虫が、ナスは鈴虫の残りをオケラ達が食べる。 凡てうまく行っている中で、メケラだけがうるさいという。 外側の骨が鈴虫の羽みたいに薄くて中空のメケラの頭は、共鳴してるんだよ、きっと。

−−−−−−−−−−1993.06記


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