オケラのくりごと  初日の出 初詣

 予てから初日の出を拝みに行きたいものだと思っていた。 然し以前は車はおろか免許も、自転車すらも持っておらず、その上大晦日の夜は深酒するのが常だったから初日の出どころではなかった。 従って毎年向うから窓にやってくる、充分古びた初日の出でよしとして来た。 うどん屋になる時免許を取り、中古のフロンテを手に入れた。 これで初日の出観覧ツアーの態勢は曲がりなりにも整ったのだが、大晦日の営業時間が長かったり、元日も営業したりで、なかなか機会がなく、またくたびれ果てていてそんな気分にもならなかった。昨年正月、大晦日を早終いし、一杯飲んで寝たら午前二時過ぎに目が覚めた。これはチャンスと思いつき、日の出の時刻は判らないが、まぁ多分間に合うだろうと、寝たばかりのメケラを起こして、代替りしたアルトに乗り、空いていれば二時間程度でつく筈の九十九里浜を目指した。 首都高速は何とかくぐり抜け、千葉東金道路の出口近くなったら案の定渋滞し始めた。 この付近は長い下り坂で、注意の立て札にも拘らずやはり追突事故が起きており、二台の車の回りに数人の若者がうろうろしていた。 あれでは警官の到着も何時のことやら判らないから、彼等にとってはとんでもない年明けになったことだろうし、運転者はさぞや小突きまわされたことだろう。 暁頃海岸近くなったのだが、これがまた渋滞で、空は段々明るくなるのに車は遅々として進まない。 こうなると直ぐに日の出になってしまいそうで、心配でオチオチしてはいられない。意を決して脇道に入り無茶苦茶に海岸を目指した。 この甲斐あって水平線上が半円形に明るんでいる海岸に辿り着いた。 頭上は快晴だが水平線上に雲があって、太陽はその雲の上に出てくることになるのだが、もう直ぐにでも出て来そうになっているのに、なかなか出て来ない。 海岸では流木を拾って焚き火を始める組もあり、澄んでる筈の空気が煙で汚染されている。 煙を避けつつ待つこと数十分、漸く雲の割れ目から煌めく太陽の欠片が覗いた時には七時を過ぎていた。 天文学的には端が出た瞬間が日の出なのだそうだが、ここで拝む気にはならない。 それらしくなったらと待ちながら、うわぁ奇麗だと思っているうちに日の出は終って、昔オケラが国民学校に入ったときの教科書にあった‘アカイ アカイ アサヒ アサヒ’になってしまい、もう拝んでも間に合わないと諦めた。 さて今年、茨城の海に行く心算だったが、就寝時刻が遅く、昨年以上に寝不足になりそうなので、急遽手近な荒川の土手に行くことにした。今度はちゃんと時刻を調べ、6時51分であることを確認してから6時過ぎに出発。 見当をつけた橋の袂の土手の上に陣取って、これまた数十分、フロントガラス越しに日の出を待った。 ここはどうやらこの付近の初日の出の名所になっているらしく、オケラ達が待っている間に後続部隊が続々と詰めかけ、橋の上の東側の一車線は車で埋まってしまった。 7時近く、正面のビルの横から日が昇り始めた。 今回も気を持たせた割に、さっさと昇って行く。 昨年の海の日の出よりブヨブヨした感じで、全身コロナと言った様子。 昨年は見惚れているうちに拝まず終いになってしまったので、半分ぐらい昇ったところで手を合わせて、‘全てうまく行きますように’祈っておく。 欲張りのオケラが何を祈っても、神仏より遥かに神々しいのにお賽銭が要らないのが嬉しい。ショウは呆気なく終って、振り向いたら右後方に朝日に輝く富士の姿。 くっきりと意外な近さで、こんなものが見られるなんて、はや初日の出を拝んだ御利益があった感じ。 流れ解散と言った趣で、三々五々帰る。 房総と異なり渋滞皆無なのが良い。 こうして昨年今年と初日の出には義理を果たした。さて続いては初詣。 年に一度も神社仏閣を訪れず、神仏を拝まないということはないから、年が明けてから最初にお参りするのが初詣と割り切れば、わざわざ初詣のために神社仏閣に行くのは無用のことになるが、そこはそれ、昔からの仕来たりというもので、やはり初詣をしておくと、行かなければ敵に回りそうな神仏が、僅かなりとも味方になってくれそうで一安心する。 遠くの大神社や大仏閣には大混雑と若い人が似合いそうで、オケラ達は暇で面倒見の良さそうな近くの氏神様や観音様に行く。 初日の出と違い、初詣は実利一辺倒。これだけお賽銭上げるからこれに見合った福を頂戴。 或いは、去年あれだけ良かったのはこの神仏のお陰のような気がするから、お礼を兼ねてこれだけ上げる、だから今年はもっと良くして頂戴、と言ったように、give and take の世界である。 ‘賽銭箱に百円玉投げたら、釣銭出てくる’ようなら、オケラも自前の金で入れられるのだが、オケラは大抵小銭を持っていず、メケラから貰って入れる。 オケラの回りには借りたり貰ったりした金でのお賽銭は効き目がない、という言い伝えがあって、その所為かこれ迄の処、効いたーァという実感はない。 これに対しメケラは毎回自前の金で、オケラの十倍位を入れるから、そうは見えないけれども、実は毎年メケラにとっては良い年なのかもしれない。 尤も物は考えようで‘何でもないようなことが、幸せだったと思えば、御利益はあったのかもしれないが、‥‥。 御神籤は当たらないから、破魔矢は神棚がないから、と結局は買わない。 でもネ、今年は氏神様に十円、観音様に五十円、自前で入れたんだヨ。 いいことあるぞォ、きっと。
P.S. 大阪の会長様、お言葉有り難うございました。 読んで下さる方がたったお一人でもおられるのを知り、喜んでおります。 とっても禿げ増されました。
−−−−−−−−−−1995.01記

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