オケラのくりごと  米騒動

 今年は四年ぶりの豊作見込みだそうである。 と言うことは一昨年秋、ひとめぼれプレゼントのキャンペーンの終了間近の得の日に、当たらない人の為にと、ひとめぼれ食べ放題サービスをしたが、あの時既に豊作ではなかった事になる。そういえば一時古米古々米コココ米と、コケコッコの餌のような話をしていたのが、当時はなくなっていたような気がする。 事程左様にオケラは米に対して無関心だった。 必要量も収穫量も知らず、オケラにとって米の問題は、何処に行ったら安くて旨い米が買えるかだけであった。 それすらも自分で手当せざるを得なくなってからで、それまでは買いつけの米屋は愚か、何処で売っているのかにも関心が無かった。 自分で手当を始めてから暫くは、近くのスーパーに特別価格を出して貰っていたが、担当者が代わったのを機に大手の米屋に切り替えた。 それから約一年、漸く顔馴染になった頃、騒ぎが起きた。プールのサウナでは専ら農政批判、店では何処で何を買ったかの手柄話と、オケラが入手した米が旨いか不味いか、が話題の中心。 店に見える奥様方も米集めに必死で、夫のために、家族のために、この時とばかり働いた。精米で100kg買った話なども聞いたが、あの米は今頃どうなっていることやら。オケラは出来る限りの努力はするが、飯屋ではないのだから、米がなくなったらご飯を出さないことにしようと、早々と腹を決めた。 巷からはそれまで見向きもされなかった標準価格米が姿を消し、国産米なるが故に格上げされた。オケラは本気でタイ米のメニューを考えたが、外地で食べたことはあるものの再現するに至らず、結局諦めた。 と言うのもそれなりの紆余曲折はあったが、何とか納得できる味と価格の米が、件の米屋で確保出来たからで、店もうどん屋のみに徹する事なく、飯屋を兼ねることができた。 オケラのブロックの親睦旅行も新潟で外米を食わされては敵わんと秋まで延期したが、その時は冗談の心算だったのが、実は現実だったことがオケラの経験からも、友人の話からも後になって判った。 トイレットペーパーの騒ぎは少しも教訓にならなかったし、今回の騒ぎも結局はのど元過ぎて忘れられてしまう事であろう。 何しろ早場米に超高値を付けてまで自分の権力下に置こうとする官僚は健在だし、オケラはオケラで国内の新米が出回るまでは、オーストラリアの新米で繋ごうなどと、目先のことばかり考えているのだから。 でもサ、今度は逆に買い惜しみしてやる心算だし、勉強になったこともあるよネ。 例えばアメリカが米国なのは知ってたけれど、他に米国が三ヵ国もあったなんて、前から知ってた?
−−−−−−−−−−1994.07記

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