オケラのくりごと  デジ・アナ

 オケラの独断的解釈によれば、アナログとは連続して増減する量の変化、ディジタルとは一単位毎に増減する数の変化のことである。 本来ならここで辞書を引いて、定義を明らかにしたい所だが、オケラの手持ちの辞書は古過ぎて、最近使われているような意味合いの定義や訳語が載っていない。 オケラの子供の頃は、皆アナログだった。 オケラのアナログの定義の中には、数字の判らないものを含むから、例えばどちらの山が高いか、とか、どちらが重いか、遠いか、の単なる比較もアナログの世界だった。 美醜も、好き嫌いも、勝手にアナログで決めた。 評判の美人や町内の小町娘なども、誰が選ぼうと、一人で何人選ぼうと、それぞれ丸顔の娘も細面の姉ちゃんも、皆美人で問題はなかった。 これらの比較には数字は使われず、主観だけが幅をきかせた。 それが、伊東絹子がミスユニバースになったり、山本富士子がミス日本になった頃から変わってきた。 彼女達は審査員の投票と言う、歴然とした数字の差によって選ばれた美人だったから、全ての人々が異を唱える事なく、説得されねばならなかった。 ぽい、と言う言葉も、アナログでは良く使われた。 例えば、色っぽいとか、黒っぽいとか、トッポイとか、雰囲気や、抽象的な程度を表すのに便利だった。 序でだけど、抽象名詞に色の形容詞をつけると、詩的というか、文学的になる。 バラ色の人生や黄色い声なんかもその内だが、白い恐怖、紫の嫉妬、黒い快楽、朱鷺色の感激、灰色の友情、緑色の葛藤、愛は藍より青く、何でも御座れ。 意味不明だが何となくそれらしき感じが出る。赤い殺意は誰の小説だったか。 これはひょっとしたら、詩や文学が如何に数字と掛け離れた存在であるかと言う証拠であるかもしれない。 一方、ディジタルも昔から有った。 何しろ数字で表されるものは全てディジタルの世界だから、商売での金銭はディジタルの最たるものである。 千円儲けるのはディジタルの分野だが、同じ千円の儲けで各人がどの程度喜ぶかは、アナログの話である。 コンピューターのお陰で、今やディジタル万能の感があるが、その結果コンピューターを使わない状態をアナログと言うようにもなったらしい。電子手帳ではなく紙の手帳に鉛筆で書くからといって、蔑称としてアナログ人間と呼ぶこともあるまい。 ディジタルが言葉として最初に身近になったのは、何と言っても腕時計であろう。 文字盤が文字通り文字盤になって針がなくなった。 これに対応して、名前の無かった従来の針が回転する方はアナログだという事になった。 大雑把に言えばこの定義は間違っていないのだが、厳密に言えば正しくない。 大抵の腕時計は文字盤の問題とは別にディジタルである。と言うのは、時を計る元に振動や振子、パルスというディジタルの原理を使っているからである。 曾ての腕時計はチチチチと言うテンプの勘定できる音がしたし、今のクオーツの針は水晶の結晶の振動を基に一秒毎にカッカッと動く。昔の電気時計には秒針がスムーズに動くモーター式のがあった。 これは見掛けも仕掛けもアナログの様だが、交流電流の周波数を利用していたのだから、交流の捉え方によってはディジタルである。 こうなると時計は皆ディジタルの様だが、そうでもない。 例えば、腹時計は言うまでもなく、日時計や、或る種の砂時計、水時計等は、見掛けは勿論原理的にもアナログだと言えよう。突然だが、首長選挙をするとする。 判り易いように候補者はA、Bの2名、選挙人は 100名としよう。 虹の色の赤橙黄緑青藍紫の変化や、金の含有量、夕暮れの明度の変化等はアナログの代表例であろうが、その状態は、範囲や近似値では示せても、ずばり表すことは出来ない。 人間の心理、思考もアナログである。 だからこれを何とか表現しようと、長い文学が存在する。 数字で表せるなら、例えそれが小数点以下を何桁使おうとも、それはディジタルであり、数学で処理され数式で表現されることになる。 人はこれに決めようと思いながらも、幾分か迷っている。‘時間が解決する’とか、‘案ずるより生むが易し’の類には、人間とは迷う動物である、と言う前提がある。‘本当は俺もそう思っていたんだ’も、ある瞬間は結論が逆だったことを意味している。本当はここでパーセント、即ち数字を使いたくはないのだが、それでは説明が出来ないので勘弁して貰うことにしよう。 さて、70人は、実は夫々が心の内で40%はBに投票したかったのだが、残りの60%分がAに投票したかった為に、結局Aに全1票を投票し、30人は80%B支持で、当然Bに投票したとした場合、夫々の内面まで考慮したBの支持率は、70×0.4+30×0.8=52票分で、Aの支持率48票分を上回る事になる。 然し結果はAが70票、Bが30票でAの圧勝。民主主義の大原則である選挙に於いてすら、夫々がAかBかに決めてディジタルになることにより、本当の民意を表さなくなることがある、と言う訳である。一人に 100票宛持たせ、迷いに合わせて分散投票する事にすれば、精度は100倍上がるが、この誤差を完全に無くす事は出来ない。 たった一度の人生、悔い無く暮そう、と来ると新興宗教か警察の交通安全標語みたいだが、種々の迷いを分散して、少しづつ同時並行的に自分の生き方を試したり、やり直してみたりする事が出来ない以上、悔いを無くす事は出来そうもない。 選択するまでは全て可能性だが、決めた瞬間、アナログがディジタルになると共に、その進路は人の宿命になり、残りは全て後悔の源になる。 オケラ達は憧れのうどん屋で、経営陣も新しくなって一層良くなったらしい本部に恵まれ、毎日感激に涙しながらズーッと悔いの無い人生を送っているから、そんな事はどうでもいいけどサ。 (閻魔様、堪忍。貴方はご存じ無いでしょうが、浮世には迷いの他にも義理とかお世辞とか言う、アナログっぽいものがあるのです。)
−−−−−−−−−−1996.06記

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