山川健一×小川義文
■from "AUTO ROUTE"(オートルート)DECEMBER 1999■


■普段は迷惑でしょうがないの、
フェラーリなんて。


山川「僕の場合は、自動車の先生って徳大寺有恒と五木寛之なんだけど、特に五木さんの場合は、いろんなクルマを代々乗り継いできて。で、僕はまだ20代で、勿論そんなクルマは買えなかったんだけど、五木さんとどっかに遊びに行ったりすると運転させてくれるんだよね。例えば、2日ぐらい乗ってていいよとか、あるいは『これ駐車場に返しておいてくれ』っていうと、返さないで、そのまま箱根に乗りに行っちゃたりね(笑)。そんな感じで、五木さんがいいと言った時も、内緒で乗っちゃった時も含めて、僕は五木さんのクルマを相当運転させてもらったんだ。それこそポルシェ、BMWの633CSi、メルセデスの5リッターとかね。で、僕はフェラーリにどうしても乗ってみたかったのね。ところが五木さんはフェラーリを買わないわけよ。で、五木さんが買えば、僕も乗れそうだから、『フェラーリ買いましょうよ。なんで買わないんですか?』って言ったら、その時に、その後の僕のクルマに対する考え方や感じ方を決定するようなことを彼が言ったのね。何て言ったかっていうと、『フェラーリを東京は許さないから』って言ったんだ。つまり、我々の住んでる街はフェラーリに乗る文化ではないと」

小川「……それはもの凄く頷けるところがあってね。実は僕も、4年ぐらい前にフェラーリに乗ってたことがあるんだ。それまでポルシェが好きで、ずっと乗り続けていたんだけど、フェラーリのある生活っていうのはどういうものかっていうのを、自分なりに体験というか検証してみたくなってね。で、僕が買ったのはモンディアルTっていう、4シーターのやつだったんだけど、当時は商店街を通り抜けて、私道の奥に入っていくっていうような場所に住んでた。で、自分の家から、右にラーメン屋、左に散髪屋がある細い路地を通って、角を2回ぐらい切り返しして、フェラーリの赤いノーズが出ていくわけよ(笑)。で、これを傍から見たら、どう感じるんだろうと思ったりしてね。大体、欧米ではとてつもないお金持ちで、かつ本当に好きじゃないと、あんなクルマ乗らないでしょ。イタリアでフェラーリ乗ってる人っていうのは、きっとリバース・ギアに入れる必要なんかないような敷地に住んでると思うんだ。まして切り返しなんかしないよね(笑〉。モンディアルは4シーターだったからまだましだったけど、それにしても荷物は積めないし、居住性はよくない。それにどこへ行くにしても駐車場に困る。まず“立体”は車高が低すぎて入らないし、ホテルの地下駐車場はフロント・スカートを擦る。かといって、路上パーキングでは何となく心配だし。で、これは役に立つどころか、迷惑なくらいのクルマだなって思ったんだ。……ただ、クルマ好きって、自分のクルマをどこかに停めて、離れる時に必ず振り返るじゃない? で、なんとなく自分のクルマのたたずまいを見るよね」

山川「そうだね。乗ってる時って見られないからね」

小川「で、フェラーリっていうのは、その振り返った時に、やっぱり人をハッとさせるオーラがあるんだよ。それで、これだと思ったの。結論は、フェラーリの価値っていうのはここにしかないなと(笑〉。もう世の中の役には立たない、しかしその浮世離れした存在そのものがフェラーリの美徳とされるところなんだってね。で、普段は迷惑でしょうがないわけだから、それで手放しちゃったんだけど。まあ、だから、そういう意味では、フェラーリはこれ以上ないくらい“映画的”なクルマだと思うんだけどね」

■これで小川義文に揺さぶりを
かけたかったんだ。


──お二人は、以前に『ブリテッシユ・ロックへの旅』という共著を出されてますけど、今度また『アリス達のマッキントッシュ』という本を一緒に作られたんですよね。
山川「いや、共作ではないんだけど、僕がプロデュースした本でね。写真が小川義文で文章が佐儀朋子さん。実は、これで小川義文に揺さぷりをかけたかったんだ(笑)。ロックン・ロールって僕も小川さんも大好きなんだけど、ロックって“岩”だよね。で、ロールは“揺れる”。つまり、ロックン・ロールっていうのは相矛盾するものがアウフヘーベンされるって言葉なわけだよ。で、岩のような存在として、小川義文は自動車の写真を撮ってきたし、今後も撮り続けると思うんだけど、やっぱり“ロール”もしてほしいなと。そういうことで、まあ『ブリティッシュ・ロックへの旅』っていう写文集を二人で作ったわけだし、今回はマックを使う女の子たちを撮らせて、ちょっと揺さぶりをかけてやろうかなと思ったんだ」

小川「そう、だから、これは完全に山川さんから振られた企画なんですよ。で、僕としては、マッキントッシュという生活最先端情報ツールと、それを使う女の子を通して、今という時代を、僕なりの視点で見れるんじゃないかなという思いがあって。だから、人を撮るというのは目的ではなくて、マックのモニターの向こうに何が見えるのか……。向こう側に当然細い線を伝わって、どこにあるか分からないモニターの向こうにも人がいるわけで、そういうモノを通して、今という時代を見たいっていうことかな。つまり、人を純粋に撮りたければ、別にこういう本でもなくていいわけだから。さっき、クルマを風景写真のひとつとして捉えてるって言ったけど、僕はやっぱり、東京にいるんだから、東京の中でクルマの写真を撮りたいと思ってる。その東京で撮るってことは、例えば今日なら1999年の9月24日を撮りたいわけだし、後からそのクルマの写真を見て、1999年の9月っていう時代を感じられるかどうかが、僕にとってのいいクルマの写真の基準なんだよね。それは、この『アリス達のマッキントッシュ』でもまったく変わらないんだよ。ここに収まった女の子やマックの写真が、ひとつの風景写真として、現在を感じさせてくれればいいなと思ってるんだ」


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