ギブソン・レスポール スタンダード。
日に焼けたようなペイントを「サンバースト・フィニッシュ」とよぶ。

現在のマックがそうであるように、かつてギブソンはアメリカを象徴する「アイコン」だった。いまもその輝きは失せてはいない。
アメリカはテネシー州ナッシュビルにクルマを走らせ、ギブソンを巡る旅をした。
(『NAVI』11月号より)

ギブソンのカスタムショップ。
ここでは特注ものも多数手掛けている。
(拡大写真)

熟練した職人が、手作業を中心にギターを
作っている。(拡大写真)

レスポールの基本と言えるマホガニーと
メイプル。この組み合わせが数々の伝統を
生んだ。(拡大写真)

一目でそれと判るレス・ポールのアーチド
・トップ。(拡大写真)
ギブソンは
夢のギター
なんだ
 数年前に、アメリカ南部の旅の取材をしたことがあった。旅の入り口は、ナッシュビル国際空港だ。飛行機を降りてからバッケージクライムに向かう途中の通路に、ショーケースに入ったギブソンのギターが展示してあったのをよく覚えている。レス・ポールとES135だった。
「空港にギブソンが展示してあるなんて、南部だよなぁ」
 同行した編集者に、そう話しかけた。彼は返事をしてくれなかった。言っている意味が分からなかったようだ。ボクは、ナッシュビルがギブソンの本拠地であり、ブルースやカントリー・ミュージックの本場でもあり、空港に降りただけでその雰囲気が伝わってくる、ということを言いたかったのだ。ボクのなかでは「南部=ギブソン=ブルース」という図式ができあがっている。だがよほどの音楽好きでもなければ、たしかにボクの言ったことは伝わらないのかもしれない。
 その時の旅では、ナッシュビルには滞在しないでアトランタを経由し、一路ニューオリンズを目指した。唯一の心残りは、ナッシュビルに滞在できなかったことだ。 ボクは少年時代からギター・キッズだった。あの、憧れのギブソン・ギターの工場に行ってみたいと思っていたのだ。
 中学生の時(1968〜70)、 週に一度は銀座か池袋の山野楽器に出かけて、鍵の掛けられたショーケースの中のギブソンやフェンダーを眺めていたものだ。六本木のミツワ自動車のショールームに展示してあったポルシェ 911を眺めるのも同時にやっていた。
 当時、山野楽器のショーケースの中には、ギブソンのレス・ポール・カスタム、ゴールド・トップ、SGスペシャル、ES335、フェンダーのストラトキャスター、テレキャスター(全部分かる人はギター通だね)が一本ずつ展示されていた。レス・ポールの値段は、当時のサラリーマンの給料の約半年分ぐらいだったはずだ。ショーケースから出して触ることさえ許されなかった。と言うよりも、恐れ多くて店員さんに「弾かせてください」なんてお願いできなかった。
「あぁ、ギブソンなんて夢だよなぁ」と、毎回想い続けながら山野楽器を後にした。ちなみに、その頃のボクの愛用していたギターは、バーンズという国産メーカーのレス・ポールタイプだった。(当時のギター・キッズの愛器は、モズライトが多かった。あのテケテケやるギターね)。クオリティは、ギブソンの足元にも及ばないが、けっこういい音を出していた、と思う。たしか、近所の質屋で買ったはずだ。7,500円だったかなぁ?  当時の定価は3万円)である。
 ボクは、中学1年の時からブリティッシュ・ブルースを聴いていた。近所のクリーニング屋のお兄さんの影響なのだが。彼もギター・キッズだった。
 60年代後半、イギリスにおけるブルース・ブームの発火点となった「ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ」ばかりをだ。ボクのギターヒーローは、このバンドから育ったギタリストばかりだ。エリック・クラプトン、ミック・テイラー、ピーター・グリーン。当時のクラプトンは、58年型のレス・ポール・スタンダードとマーシャルのアンプ(1962コンボ)で、独特のトーンを弾き出していた。このレス・ポールとマーシャルの組み合わせが、ブリティッシュ・ブルースのサウンドを決定したと言っても過言ではないのだ。そんな時代のイギリスのギタリストたちは、だれもがレス・ポール(ES335やSGもいたけど)とマーシャルを使いはじめた。
 ブルージーでアグレッシブなギダーサウンドにしびれていたボクにとって、ギブソンは特別なギターだった。自分のギターヒーローが使用していた楽器にこだわったのだ。その影響はいつになっても拭い去れないものだ。 NEXT>>>
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