アンの青春の明日が輝く言葉−第2回                  松本侑子ホームページ

第2回は、『アンの青春』の読みどころを、以下、ご紹介します。

1)寂しい子どもたち
2)傷ついた大人たち
3)『アンの青春』の幸福哲学    の3構成です。

 『アンの青春』の奥深い魅力について書いてみました。


★寂しい子どもたち★

 本書『アンの青春』には、さまざまな子どもたちが登場しますが、アンがもっとも深く心を通わせるのはアメリカから来た少年ポール・アーヴィング、双子のデイヴィとドーラ、アンソニー・パイの四人です。

 この四人には、いずれも親がありません。
 ポールは母を喪い、父はアメリカに離れています。
 双子のデイヴィとドーラは両親と死別。
 アンソニー・パイも親がないために遠い親戚に預けられています。
 主人公のアンも両親の顔さえ記憶にない天涯孤独の孤児です。

 彼らの親たちが短命なのは単なる作り話ではありません。
 当時は抗生物質などの優れた薬品がなく、衛生、栄養事情も今ほど良くなかったために、風邪、肺炎といった現在なら死には至らないような病いで命を落とす大人は少なくなかったのです。 しかしそれを割り引いても、アンの周辺に親のない子どもが集ま
っている設定は普通ではありません。
 おそらくモンゴメリは無意識だったと思いますが、二歳になる前に母を亡くし、父とも生き別れて育った作者の深層心理がここに反映されていることを感じないではいられません。

 作家は、心の底にあるものを無意識のうちに小説という虚構に映し出すことがよくあります。
 私は同じ小説家として、モンゴメリが書いた文章、単語の一つ一つに、彼女が幼い日に味わった孤独の影を感じて胸が痛みました。
 亡くなった母を恋しがって涙ぐむポール、愛情に飢え心を閉ざしてひねくれているアンソニー・パイ、きちんとした躾を受けられなかったために善悪の判断も持てず野放図に悪戯を重ねるデイヴィ……。

 一見すると、本書は、のどかな物語に読めるかもしれません。
 しかしそこには、心に傷を抱えた無力な子どもたちが登場しているのです。
 大人に省みられず誰にも愛されなかった孤児のアンは、孤独な子どもたちが小さな胸に宿す悲しみを自分のことのように感じ、深い愛情を注ぎます。
 しかしそうした子どもたちの悲しみは、かつてモンゴメリ自身の心にも漂っていたものなのです。


★傷ついた大人たち★

 子どもだけではありません。大人たちもそれぞれが胸に秘めた傷(いた)みを抱えています。

 隣人のハリソン氏は、夫婦仲が悪く、妻が家を出たために知人もいない島に独りぼっちで流れついてきた初老の寂しい男です。
 ミス・ラヴェンダーは、若い日の失恋に、悔いても悔やみきれない後悔と未練を残しながら、人里離れた石の家で二十五年間も空しい歳月を送ってきた中年の独身女性です。
 アーヴィング氏も妻の死によって幸福な家庭を失い、子どもと離れ、多忙な仕事に悲しみを紛らわせて生きています。
 強烈な個性とエネルギーに満ちたリンド夫人でさえ、長年連れそった夫を介護して看取り、未亡人になります。
 アンが熱愛するアラン夫人も、かつては愛らしく朗らかで、まだうららかな娘のようでしたが、今や幼い息子に先立たれ、思うに任せない人生の悲哀をその面ざしに翳らせた女性に変じています。

 アンシリーズを、現実離れして楽天的な作品だと思うのは早計です。
 私たちと同じように、生老病死の苦しみを抱えた老若男女が織りなす陰影ときらめきの両方をたたえた大河小説なのです。

 しかし傷ついた大人も子どもも、太陽のように明るく暖かいアンによって生まれ変わったように人生が変貌していきます。
 アンの愛情深さ、希望に満ちた態度、善に対する強い信念に感化され、人々はまた生きる価値を見出していくのです。


★『アンの青春』の幸福哲学★

 もっともアン本人も、常に天真爛漫ではありません。
 最愛のマシューが急死した悲しみ、さらには、そのために大学に行けなかった無念さを、誰にも告げないまま、じっと胸にしまっています。
 人にはどんなに願っても実らない夢があり、思いがけない不幸や死別も訪れます。
 それでも徒(いたずら)に悲嘆に暮れることなく、いつか夢を実現させようと根気強く努力を重ねる強い精神力が、アンにはあります。

 つまり村の教師として働きながらも、アンはさらなるキャリアアップを目指してラテン語と文学の独学を続けます。その甲斐あって、カナダ本土の名門大学への進学も現実のものとなります。
 若い女性が未来にかける抱負と努力は、どんなに現代の私たちを鼓舞し励ましてくれることでしょう。

 そうした将来への野心だけでなく、変わりばえのしない日々の生き方についても、本書には、アンならではの幸福哲学が描かれています。
 仕事、勉強、家事とさまざまな用事に追われる煩雑で多忙な日々に情熱をそそぎこむことによって、美しさと喜びのある日常へ変えていく態度、何気ない小さな幸せに満ちた真珠のような一日、一日を楽しむ心がけもまた、アンのすこやかな強さです。

 20世紀初めに書かれた本書は、今となっては古典とも呼べる作品ですが、21世紀にも通用する普遍的な魅力に満ち、人生を生きる意味を私たちに教えてくれるのです。


──『アンの青春』(モンゴメリ著、松本侑子訳、集英社、2001年発行)の「訳者あとがき」」P.459〜461を編集しました。


 この「訳者あとがき」が読者の方々への励ましとなれば幸いです。

 それでは次回より、『アンの青春』の言葉をご案内していきます。
 どうぞ良い週末をおすごしくださいね。

松本侑子


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