幸せになる『赤毛のアン』の言葉−187                    松本侑子ホームページ

 次の日の夕方、アンは小ぢんまりとしたアヴォンリーの墓地へ出かけていった。マシューのお墓に新しい花をそなえ、スコッチローズに水をやった。そして彼女は、小さな墓地の穏やかな静けさを心地よく思いながら、薄暗くなるまで、佇んでいた。ポプラの葉が風にそよぎ、そっと優しく話しかけるように、さやさやと鳴った。思うにままに墓地に生いしげっている草も、さわさわと揺れてささやきかける。アンがようやく立ち上がり、《輝く湖水》へ下っていく長い坂道をおりる頃には、すでに日は沈み、夢のような残照の中に、アヴォンリーが横たわっていた。それはまさに、「太古からの平和がただよえる故郷」だった。クローヴァーの草原から吹く風は、蜂蜜のようにほの甘く、大気は、すがすがしかった。あちらこちらの家々に明りが灯り、屋敷森をすかして、ゆれていた。遠くには、海が紫色にかすみ、潮騒の音色が、絶え間なく寄せてはかえし、かすかに響いている。西の空は、陽の名残にまだ明るく、柔らかな色合いが微妙に混じり合っていた。池の水面は夕空を映して、さらに淡く滲んだ色に染まっている。このすべての美しさに、アンの心はふるえ、魂の扉を喜んで開いていった。
「私を育ててくれた懐かしい世界よ」アンはつぶやいた。「なんてきれいなんでしょう。ここで生きていること、それが私の歓びだわ」


                        
『赤毛のアン』第38章

 マシュー亡き後のアンが、ひとりで丘にのぼり、村の景色と海をはるか眺めています。自然豊かなアヴォンリーに残り、マリラとともに村で生きていく決意をあらためてかみしめる感動的なシーンです。村岡花子先生の訳では省略されているため、初めてご覧になった方も多いかもしれません。悩みごとのあるとき、人生の転機をむかえたとき、自分が生きていく町や村を遠く見下ろし、空や景色のすばらしさを味わい、気持ちを新たにしてみてください。

松本侑子 


『赤毛のアン』(集英社文庫、松本侑子訳、800円、2000年)より引用/2002.1.23.